子供の魅力を伸ばしたい親が選ぶべき先生とは?クリエイティブな場でのアドバイスは不要かも

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かつて、「いい大学を卒業して大企業に就職することが子供の幸せだ」と考えるのは親としては当然の心理です。将来を約束された様なものですからね。

 

ですがそんな「一生安泰」は終わろうとしています。

 

打って変わって現在は「夢を職業にしたいと考える子供の気持ちを大事にしたい親」も増えている様です。

 

芸能的な子供のスキルって、どうすれば伸ばせるのでしょう。

 

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自由という押し付け?本当の自由って何だろう

先日、地域が主催する写生大会に息子と行ってきました。会場は地元の森林公園です。

 

大会がはじまる前に主催者からの話しがあるのはお約束のパターンですよね。そこでわたしは「その言葉は子供のためになるの?」というアドバイスを聞きました。

 

森林公園のお偉いさんからの話しに続いて、”絵の先生”とやら人からの説明がありました。それを簡単に書いてみます。

 

どこかのタイミングで先生は「自由に描いてください!」と言っていました。あとは以下の通り。ニュアンスで書いてみます。

 

■色の使い方について

「あの樹をよーく見てごらん?樹の色は茶色じゃないでしょ?幹の色は緑がかった色だよね?葉っぱはどうかな?雲みたいに固まってないよね?」

 

■模写について

「花を描くときに、花が全部コッチ向きで描く人がいる。花の向きは上や横や斜めを向いているよね?」

 

■マインドについて

「毎年、時間内に終わらない人がいます。そんなに真剣に描かなくてもいいの!(笑い)。時間は短いです。もっとラフに描いてください」

 

■まとめると

  • 「樹は茶色」で「水は水色」で「人は肌色」ではない
  • 葉っぱをまとめて描かない
  • 色を混ぜて使え
  • よく見て、見たままの形を描き写せ

こんな感じだと記憶しています。

 

「そうそう、そうなんだよね~」ある程度絵を描ける人だと先生が言わんとするメッセージに共感してしまうことでしょう。

 

ですがこれ、

 

本当にお絵描きが大好きでここに集まった子どもたちのためになる言葉だったのでしょうか。

 

”常識”という規制を解除せよ!コピーロボットを生産しても面白くない

  • 花が全部コッチを向いて咲いていたら逆に面白くねぇ?
  • 3次元ではあり得ないタッチで描くから、何か伝わってくることもあるのでは?
  • これはデッサン大会じゃないよね
  • ピカソとかは下手なのか?

 

わたしはちょっと疑問が湧いてきましたよ。絵を描くのってクリエイティブな作業だと思うのです。

 

枠(わく)を外して考えることで新しいアイディアが生まれるんじゃないのでしょうか。それを、いちいち指定(制限)されたら、絵の先生のコピーに留まってしまう。

 

人とちがうから価値がある。「見たことがないもの」が新しいから興味も湧くし、商品としても成立するし、生業(なりわい)に出来るのではないのか。

 

そして、そんなアドバイスの影響を受けて不本意な結果になってしまった子がいます。

 

本気で絵を描きに来ている子もいる。自分の実力を試したい子もいる

息子は絵が得意な生徒です。だから先生は写生大会をすすめてくれました。本人も「よしヤルぞ!」気合入っている感じだったと思います。

 

実際大会の前の日に、当日のことについてアレコレわたしに質問していたくらいの入れ込み様。題材は決まっているのか、描くポイントは自由なのかなど・・

 

そんな中、開会式で絵の先生からのアドバイスを聴いた息子が決めた”絵を描く場所”とは、開会式をやった広場にある一本の樹でした。

 

「もっと森の奥とか、池の辺りとか、綺麗な場所はあるんだよ?」といっても、「この場所でいい」とのこと。

 

「まぁ自分で決めたんだからいいか・・」と思いわたしは息子を独りにします。

 

しばらくしてから描き具合を見に戻って絵を見ると、絵の具ではなく色鉛筆を使って描いたのです。しかも超適当。お世辞にも「上手に描けたね」とは言えない仕上がり様。

 

絵の先生が「こんな描き方はダメですよ」といっていた話しの通りの悪い描き方。樹の幹肌の色は茶色。葉っぱはモクモクとした雲のかたまり。

 

一部、色鉛筆を何色も混ぜて風合いは出してましたが、それは、「絵の先生が近寄って来てアドバイスをしたからそう描いた」と、つまらなそうに言いました。

 

なぜなのか理由をたずねてみると、「時間がないから」とのこと。

 

本当に描きたいロケーションを探したり、細かい葉っぱを描いたり、絵の具で仕上げるのには時間がないから。約3時間。

 

つまり、大人の言うことを優先させてしまった。

一番大事な「やる気」をうばわれてしまった。

 

開会式で「時間内に終わらせるように描く」と絵の先生はいいました。

 

絵を描くことよりも、お昼前に完成させることを真面目な息子は真に受けてしまい、本来描きたい様に描けなかったのです。

 

最初、絵の先生は「自由に描いてください」とも言いました。「好きなように」だったかな?

 

■わたしが思ったことは以下の通り。

  • 「自由って言ったのに、注文が多い人だなぁ」
  • 「アレコレ制限をつけられたら自由に描けないじゃん」
  • 「自由に描いている子に、絵の技法のアドバイスは不要なんじゃないの?」
  • 「何か矛盾してないかい?」

とは笑ってしましたよ。

 

確かに未完成では作品を評価できません。1つレベルアップして帰って欲しい気持ちもわかります。先生ですからね。

 

それに、「おたくの息子の性格の問題なんじゃない?」というの一理ある。

 

最初からあきらめなてしまったのは良くないです。やれるだけもっと真剣にやってみようとする気持ちも必要な姿勢でしょう。

 

でも息子は色鉛筆の使い方になれてなかった。混ぜたりとか。塗る技法選びに失敗したのかも知れません。そんな子もいる。

 

だったら画用紙をもっと小さいサイズにするとか、時間内に終わらなく、ちゃんと仕上げたい人は、おのおの続きを描いて、後で提出するとかでもイイんじゃないって思いましたよ。

 

おわりに

まぁ先生も悪気はないと思いますし、上手に描いてほしいからアドバイスをしたのでしょう。もしかしたら、雰囲気を楽しんでもらいたかったのかも知れません。

 

ですが、子供って何でもマジでやるものです。「適当に描こう」って子が日曜日にわざわざやってくるのでしょうか。

 

主催者側はボランティアなのかわかりませんし、忙しい中の休日に出向いてくれるのはご苦労様ではありますが、

 

何か「やっつけ仕事に付き合わされた」感で、もんもんとした気持ちになりましたよ。どうせやるなら丸一日かけてほしかった。

 

子供が中学生になると親と一緒に出歩ってくれるのかはわかりません。小学生のいましか出来ないことは率先してやってみたいと思った次第でございます。

 

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エッセイ
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