人が求めていないアドバイスは罪になるのか?という話

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欲しけりゃ自分で注文する

 

お店で何か注文をしたときに、たまに聴くことばがあります。

  • 「ポテトも御一緒にいかがですか?」
  • 「うちのトンカツは塩で食べて!」

という言葉を聞いて、あなたはどう思いましたか?

 

「余計なお世話」なのでしょうか、それとも「ありがたいお言葉」なのでしょうか。ちょっと考えてみましょうよ。

 

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「アドバイス罪」について考えてみる

「アドバイス」を翻訳すると「助言」になります。「助ける言葉」という意味です。つまり、その助言によって相手を救おうとする行為になります。

 

的確な助言をするには相手の目的を知る視点が必要です。

助けたい相手が「どうなりたいのか」「どこへ行きたいのか」を理解してないと的を得た真の助言にはなりません。

 

■ここで「アドバイス罪」の生みの親、イラストレーター「あきまん」さんの言葉を引用してみます。

「一見親切に見えるけれど、求めてもいない他人のアドバイスは薬どころかむしろ毒」

アドバイスとはつまり「同じ船に乗っていないリスクのないカスが他人の人生を操作して喜ぶ作業」

本人が求めていないアドバイスは余計なお世話。信頼関係がない状態でのアドバイスは角が立つ。まずは信頼関係を作れ。たとえ善意でも、信頼関係がなければ有難く受け入れられない。不意のダメ出しは心象を悪くする。

と教わった記憶があります。

 

というのが、あきまんさんの唱える「アドバイス罪」の基本的な考え方のようです。

すべてのツイートを読んだわけではありません。が、ツイッター上で呟いたごく一部になります。気になる方は探して見てくださいね。

 

偉人は名言を残していた

■元総理大臣の「田中角栄」氏の名言にヒントがあるような気がします。

政治家は発言に、「言って良い事、悪い事」「言って良い時、悪い時」「言って良い人、悪い人」に普段から気を配らなければならない。

 

■角栄さんの名言をパクってアドバイス向きに変換してみると、

「助言して良い事、悪いこと」「助言して良い時、悪い時」「助言して良い人、悪い人」をアドバイスする前によく考えてから発言すること。

 

  • それって口出しするべきこと?
  • このタイミングで言われても・・
  • あなたには言われたくない!

になるのでしょうか?

 

■せっかくなので他のことばも紹介。

初めに結論を言え。理由は、三つに限定しろ。分かったようなことを言うな。気の利いたことを言うな。そんなものは聞いている者は一発で見抜く。借り物でない自分の言葉で、全力で話せ。そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる。

人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。

 

この引用行為がアドバイス罪の対象だったりして(汗)。。

まっブロガは個人の考えを主張する場でもありますし、見る見ないは相手が決められることでもありますから、見たい人が見ればいいことです。

 

アドバイスとはある意味「暗示や催眠」?

 

アドバイスしてくれる人を目指しているのなら、助言は参考になります。助言によって「たどり着きたい場所」に行ける地図になりえるからです。

 

助言は目的を達成させるヒントです。何かを完コピする場合には有効です。「そのもの」になるためには、進む過程と結果が決まっているからです。絶対的な譜面のようなものです。

 

でもこの世の中におなじ人はいません。時代背景や境遇もちがいます。絶対的なマニュアルは存在しない以上、「参考までに・・」ということばが適当です。

 

そもそもアドバスとは、助言する人の「知識」や「経験」や「能力」や「思い入れ」の様なものです。「アドバイザーのコピーを世の中に送り出している」とも考えられます。

 

ということは、アドバイザーの思う結果にされてしまうこと、これはちょっとどころか、すっごく問題です。人格操作になるからです。

 

その人が成長するチャンスを奪うことになっています。

■意図的にやっているとしたらメサイアコンプレックスの容疑もかかってくるでしょう。
リンク結局、損してる気がするのは相手の作戦にハマっているからという話

 

やはり、本人が希望しないことに対しての助言はウザイだけ、他人が責任をとれない以上、何も答えてはいけないのです。

 

ところがアドバイスされた本人次第ですが、長期的な視点でみると、毒が予防接種になる場合もあります。

 

同じレベルの人にアドバイスは有効?

レベルといいました。ここで言うレベルとは、自分の周りには同じような人間が集まってくるという「類友説」のことです。

 

つまり「相手がそのままの道を進めば自分と同じようになる」ことをある程度予測できる人でもあります。類友説を信じるのなら、アドバイザーが先駆者だからです。

 

でもそのレベルから抜け出したくて必死でもがいている人も中にはいます。

 

「あなたの様にはなりたくないんです!」そう考えていたら助言者からのことばは雑音にしか聞こえません。

 

「若い頃自分も同じ考えだった」助言した人が勝手に相手の将来を決めつけていることにもなるのです。が、自分と重なって見えるのは仕方ないこと、

 

ところが助言される側にしてみると、「まだあなたと同じ道をたどるのかはわかりませんよ」って思うのです。

 

わたしは実際に助言者の予言を体験しています。現象や事態や境遇のことです。

悔しいかな、後になって「こういうことだったのね」ってそのと言われた言葉を理解する場合もあります。

 

人はわからないことをはじめるとき身近な人をモデルにしてしまうことが往々にしてあります。身近な人を参考にすると同じような結果になる確率も高くなってしまうからです。

 

その後をアドバイザーに操られないためにも、「なりたい自分」というヤツを明確にして生きることが大事になります。

 

可能性と選択の自由を奪っている?

本当の意味でアドバイスとは、人のためになる助言なのでしょうか。子供の教育に関しては別です。

助言者のアドバイス通りに導いてしまう危険があるからです。

 

大人の考えをプログラムしてしまうことでもあります。こどもの未知数にふたをするようなものだからです。

 

「最近の若い者は・・」ということばは既に大昔に言われていたそうです。壁画だったか文献だったかは忘れましたが、テレビで誰かが言っていた記憶があります。

 

人類は、いまある状態をぶっ壊すことで進化を遂げてきたはずです。文明の発展から見るとアドバイスとは余計な圧力でしかないといえるでしょう。

 

そうなると新しいアイディアを想像するクリエイティブな職業にはいらないような気がします。いや、あってはイケないことになる、

 

同じようなものや、以前からあるよく似た商品をつくっても面白くない、マニュアル的ではなく、常に新しさと斬新さを求められる職業だからです。

 

だったら、どんな人のいうことなら受け入れられるのでしょう。

 

池上彰さんが受け入れられているのは?

その前に、従来の人気キャスターはどんなスタイルだったのでしょうか。

読み上げた原稿に対して「個人的なコメント」を最後に盛り込んだり、隣りにいる専門家に自分の意見(社会常識)を過激に問いかけるのが人気キャスターのスタイルですよね?

 

ところが池上彰さんは自分の意見を主張しません。ただ事実を淡々と解説するだけです。

 

質問してくる芸能人に対しても個人的メッセージなどを決してコメントすることはありません。

 

誰だって何かの出来事に対して自分なりの想いはあるはずです。それをグッと我慢なのか、控えめな態度は好感をもってしまいます。

 

ここに池上さんが好かれるヒントを見ることができます。2017年現在では、強気なリーダーを求める時代ではないという象徴のなのでしょうか。

 

人が何かをやっているときにアドバイスを受けることが毒でしかない1つの理由なのでしょう。

 

心情的なことも関係している?

  • あなたを心から心配して言ってくれているのか
  • 上から目線や知識のひけらかしをして優越感を味わいたいだけなのか
  • アドバイザーもあなたの意見を聞くタイプなのか

 

自分の都合でものを言ってもダメです。人には意見しても自分は受け入れないのでは信頼関係にはなれません。

そうなると結局は、助言者の人柄も重要になってくるでしょう。

 

おわりに

いままでの内容をまとめると、

「求められたときのみ助言は有効」になります。

「過去✕✕な時、あなたはどうしましたか?」と聞かれたとしたら、事実を報告することです。

「✕✕だったら○○した方がいいよ?」はアドバイス罪になるでしょう。

 

しかし、どんな物事にも必ず2つの面が存在します。どっちを選ぶのかはその時々で変わるものですから、答えを決めることは出来ないのです。

 

■こどもの将来を左右するのは周りの人にかかっています。
リンクあなたは「子供の能力を伸ばす親」ですか?「ダメにする親」ですか?

 

エッセイ
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