世間体を気にし過ぎると問題は大きくなり、やがて問題へと発展していきます。
他人に合わせる生き方が、結局あなたを苦しめているのです。
何があなたの深層心理を隠しているのでしょう。
心の「かさぶた」が出来るまでの流れから原因を探してみる
いまあなたを苦しませる原因は、他の誰かから組み込まれた性格の部分(他人の影響でつくられた「1つのことに対しての反応や考え方」)だけではありません。
▼人は生まれ育つ過程によって「性格(いくつものパート)ができあがります。
リンク性格が悪い自分がイヤな人は「3つの部分」のせいと知れば楽になる
ところが、”性格の部分”は他人からの影響だけではありません。自分の経験から出来上がる「部分」もあるのです。
もし小さいころ「ある何か」が原因で恥をかいたとしたら、新しいチャレンジをちゅうちょしてしまいそう。
たとえば、あなたが好きな男子のためにバレンタインチョコを手作り渡したとします。受け取ってもられなかったり、大勢の前で恥をかかされたとしたら、恋に臆病になったりもするでしょう。
好きな異性に対しての「1つの部分(パート)」の出来上がりです。次また同じ様なシチュエーションを避けてしまうのです。
一瞬で「事件」と思い込み、心に深く刻まれるからです。
こうして”かさぶた”は出来上がる
生まれたばかりの子供とは「本来の人」の状態です。大勢の前で何かをしても緊張はしませんし、他の人に気をつ使う忖度(そんたく)もないでしょう。
ところが人は変わってしまう。その流れは以下の通りです。
- 子どもが成長する段階で
- 大人や近くにいる人などから教わったことや
- 自らの失敗した「辛い体験」や「苦しんだの経験」から学んでいくたびに
- その出来事が「心の核」となり
- その経験を味わった「感情」を包み隠すように
- 性格の「1つの部分」となって
- あなたに組み込まれていく
大人や周囲の人からの刷り込みと、自分の経験を元に「性格の部分」はこうして出来上がっていくそうですよ?
この流れについて参考の著書から引用してみます。
純粋無垢だった素の状態のあなたの上に、あたかも「かさぶた」が覆いかぶさってくるようなものです。他人によってつけられた「傷」を覆うように、「かさぶた」をつくっていくのです。
「自分にイライラする!と思ったら読む本 P67
目の前に出されたお菓子を素直に食べられなくなってしまうのは、
- 「下品だ」と思われてしまうとか、
- 「太ったら嫌われる」とか、
- 「何か魂胆(こんたん)があるのでは?」と疑ってしまうのも、
「かさぶた」による反応になるのでしょうか。
”かさぶたは”それだけではない
「かさぶた」とは対処や反応のパターンだけではないようです。
その、「後からつくられた(かさぶた)」に対して、あなたは「”汚く恥ずかしいもの”だと思ってしまう」のが「かさぶた」の、もう1つの面です。
自分の深層心理では「イケナイこと」だと認識している証拠でしょう。
その「本当は悪いことだ」と思う気持ちを隠すために、さらにもう一枚「かさぶた」がプラスされていくのです。
人からの影響や自らの経験から違和感が生まれます。言い知れぬ心の矛盾を正当化するための理屈として、もう一枚「かさぶた」をつくって自分をなぐさめるのです。
こうして、もう1つのあなた(性格の部分)の誕生です。
また著書から引用してみます。
新しい「かさぶた」とは、世間に認められたいという意図をもってつくられる、「これこそが私だ」というイメージのこと。
本来の自分はどうあるかといったことにかかわりのない「見せかけの自分」です。P67~68
- ↑更に上=「こんな風に見られたい」
- ↑その上=「間違った自分を人に見られたくない」
- ↑一番下=「生まれ持った自分」
さらに引用。
- 辛い体験や失敗で傷つく
- 傷ついたところに「かさぶた」ができる
- かさぶたを隠すために「見せかけの自分」というさらに大きなかさぶたをつくり、「理想の自分」を演出する P69
この様な形でかさぶたは作られていくそうですよ。
生まれ持った「個性」を無視するから問題になっている
さっしのいい読者さんならもうお分かり頂いたことでしょう。
そうです。
階層の一番下にある「個性」が見えなくなるほど、たくさんの「かさぶた」で覆いつくされてしまったから、本来のあなたが息苦しくなっているのです。
それでも、違和感や問題を無視して本来の感情を押さえつけ我慢をしつづけると、すっかり自分の個性のことなど忘れてしまいます。
いまあなたがいる環境で、上手に生きられるのは「かさぶた」をつくったからだと思うからです。
親や先生や友人や上司に教わった「一般常識」という刷り込みや、「これをやったら失敗した」という経験を活かしたからこそ、いまその立ち位置で生きているからです。
しかしながら、それは個性を無視して手に入れた安定です。矛盾とは重圧です。やがて問題となって外部に表れるでしょう。
ストレスによって病気になったり、他人を傷つけるようになったり、無気力になったりなど表れてきます。
結局、ものごとが上手くいかなくなるのは、持って生まれた深層心理に反した行動をしているからだと思うのです。
「理屈なしにコレがイイ」とか、「なぜだか分からないけどそれはキライ」という感情とは、かさぶたの下に隠された個性です。
「本当の自分」この部分を今一度、よく思い出してみることで問題が解決できるかも知れませんね。
おわりに
- 昔を引きずり「いまに当てはめよう」とする(年功序列・上下関係など)時代錯誤な人
- 昭和が愛した謙譲の美徳(つまらない物ですが・見栄)を基準にする人
- 田舎の風習(”出る杭は打たれる”を恐れて足並みをそろえる)を押し付ける人
などから、たくさんの”自分とはちがう生き方”をプログラムされていることでしょう。
このような考えがよくないとは言っている分けではありません。問題は、人が勝手に作り上げたプログラムだということです。
わたし自身「それおかしいだろう・・」という大人の事情に対して、若い頃は反発抵抗していました。ところがいまは社畜風情のヘタレです。そんたくな道を生きています。
色々と前向きになれる活動で自己洗脳してきましたが、何だか上手くいかない様です。
転職する勇気もなければ、改革する道もやめています。本来の自分の個性にビッシリとかさぶたが張り付いて、ちょっとやそっとじゃはがれそうもありません。
たくさんの「かさぶた」の下に埋もれた「本来の自分」で生きるのは本当に勇気がいる行動です。
少しずつでもいいから「かさぶた」をはがしていけたらイイですよね。
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