境界線ギリ生垣の剪定にあいさつは必要?隣は民家じゃないケース

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まぁ図々しいこと

■生け垣などの手入れをする時に、

  • どうしてもお隣さんの土地に迷惑をかけてしまう
  • でもその土地は、だたの空き地や畑で民家じゃない
  • 以前その土地を利用する人に事前許可を取っている

こんなケースでも、その都度あいさつをした方がいいの?と、お悩みのあなたへ。

■結論からいいますと、

人間関係を良好にしたい。または誤解されたくないのなら、あいさつしに行くのがベターです。

あくまでも個人的な見解で。

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「一言ある」と「無い」とでは心象はちがうでしょ?

「ピンポ~ン♪すいませんけど、生垣を刈りたいので土地に入らせてください」

今回わたしは、生垣剪定をする前に隣の地主に土地に入る断りをしてから、隣の土地に入って作業をしました。

「別に勝手に入ったっていいのよ?」予想通りの返答です。わたしはその言葉を聞いて、ほんと安心しました。

やっぱり一言断ってからやる方が断然後ろめたさがありません。筋道を通してから「やることをやる」のって堂々とできます。

「じゃぁいままではどうしてたの?」というと、無断侵入でした。なぜかというと、事前許可があったからです。

お隣さんは「気にしないで入ってもいいんだよ」と、ずっと前に言ってくれていました。

「いかなるときも俺の土地に入るな!」とは言えないようですよ?

隣地使用権という法律があるからです。

関わりがご無沙汰だと心の距離を遠く感じてしまう

その土地はお隣さんが趣味でやってる畑。人は住んでません。小さなことにこだわらない気さくな人です。

生垣を植えた(引っ越して来た)当初、わたしは畑に入れ込んでいたので、そのお隣さんと交流がありました。

そんな間柄だったのと、わたし自身「あいさつ」とか「そういう配慮」をよく知らなかったせいもあり、いままで黙って生垣剪定をしていたのです。

ですが、ここ何年も交流もなく話す機会もめっきり減っています。そうなると、何か気まずい感じになりますよね?

人付き合いって「銀行に貯金をするようなもの」っていう考え方もある様です。

恩を仇で返す理由とは?もう○○がなくなってしまったから

つまり、わたしはお隣さんに何も与えてません。(あいさつ・会話・畑の交流など)

それなのに毎年わたしは無断で土地に入っているわけです。(お隣さんの銀行から預金を引き出してる状態)

積立(付き合い)なしに引き落とし(侵入)続ければ残高不足になり、関係は修復できなくなるという理屈です。

好意を「当たり前」だと思われると腹が立つこともある

親しき仲にも礼儀あり」とはよくいったもの。

一言あると無いとではやはり違うって思いますよね。

生垣を刈り込むと枝や葉っぱが地面に散らばります。全ては取りきれません。足跡だってつくでしょう。

キャッチボールの悪送球で隣の土地に入ったボールを取りに入るのとはちがうのです。

しかもいい年をした大人がやるわけです。

もし、急いで通り過ぎる人に肩をぶつけられたとき、

「本当にごめんなさい!急いでいたもので(;´Д`)」って誠心誠意に頭を下げられたら怒る気もしませんよね?

  • いつも仕事ご苦労様
  • いつも弁当サンキューね
  • こんなジジイの世話させてすまんのぉ

っていわれたら誰だって嬉しいものです。苦労が報われます。

何の会話もなかったら、何を考えているのかわからない。

やはり好意に対して「ありがとう」とか「すいませんね」の言葉は必要ではないでしょうか。

おわりに

とにかく、前もって一言『断り』を入れているせいもあり、「どっしり構えて安心して作業できた」のが今回の感想です。

「あそこのご主人、勝手に入っている」って言われても弁解できますしね。

おっくうがらずに、お隣さんの言葉に甘えずに、「もっと早く行動に移せばよかった」と、ふり返っています。

いままで良好だった関係が、ある日を堺にギクシャクすることはよくある話です。

誤解から生まれたのだしたら会話不足が原因だったりもするでしょう。

「アイコンタクトでOKが出た」「意思の疎通」「黙ってついてこ」男子脳は基本、会話が得意ではないようです。

ですが「根回し」をした方が楽に生きられると学びましたよ。人は感情の動物ですからね。
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