職場のモラハラ年配者から言葉の暴力に困惑した自分が今出来ること

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自分を守るためなら

モラハラをする人を変えられないのなら、自分が変わるしかありません。

 

自分の精神が崩れてしまう前に、もう自己中な人と付き合うのはやめにしましょうよ。

 

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意地悪じいさんの心など「もう気にしない」。これからは自分の心を守ってもいい

モラハラとは”殴るような目に見える行為”とはちがい、”言葉や態度でする攻撃”です。事実証明しづらいのがまた厄介なところです。

 

「じゃぁ対策って何だろう・・」と考えて本やネットとかで調べると結局は、「我慢をせず戦う」とか「自分が変わりましょう」など、精神論を語る教えにいきつきます。

 

たしかに究極は”すべては考え方次第”が正解なのでしょう。「本当は劣等感が強く可哀想な人なんだ」って哀れめば許せるのかも知れません。

 

わたしも実際、本やネットで学んだ知識を元に精神世界にひたり自己洗脳してまで、いま耐えしのいでいます。

 

会社側は何もしてはくれません。どんな人でもメリットはあるし、売上とは別だと考えているからだと思います。

 

そしてイジメとは見えないところでやるものだし、声を上げない弱い者に対してのみする行為だからです。

 

会社の上層部や上の立場の人や組織全体など強いものに対しては”めっぽう弱い”のがモラハラ人の特徴でもあるからです。

 

それでも自分で何とかできることもあったりします。

 

被害者本人がモラハラを気しないくらいにまで幸せでいれば、気にならないことなのでしょう。でも、それが出来ないから答を探し回ってしまうのですよね。

 

モラハラじいさんの現実とは不幸です。もし実際、物質的に恵まれた環境にいても精神が貧しい状態だからです。

 

原因は存じ上げませんが、やはり過去の生い立ちという呪縛なのがほとんどだと思うのです。変えられない記憶を引きずり、それを解消すべく、いま戦っている最中だったりします。

 

だからといって、何も悪いことをしていない人を傷つけていい理由にはなりません。独りでやらせておきましょう。

 

モラハラじいさん自身を追い詰めた要因は、自分が選んできた選択の結果です。

 

もうあなたは十分に我慢をしましたよね?寛大な気持ちでレベルを下げて付き合ってあげたのではないでしょうか。

 

人には限界があります。ここはしっかりと心を鬼にして、1ミリも感情移入しないことで自分の精神を守っていくべきです。

 

組織社会でのモラハラじいさんに対する対応

わたしの身近なモラじーとは会社の同僚です。もうかれこれ10年以上のつき合いです。わたしよりも歳はずっと上ですが、わたしよりも後に入社してきた後輩でもあります。

 

それが気に食わないのか知りませんが、”自身のお気に入り”以外に対しては誰にでも文句や因縁や小馬鹿にするのが日課です。

 

失敗の揚げ足り、自分が有利になるように仕掛けてきます。超面倒なじいさんです。

 

最初は「それダメ」的に対抗して反発した時期がありました。でも”拾う神”はどこにでもいるものです。

 

利用し合う中とは結局は空中分解するだけした。仕事を覚えだしたころから歯止めが効かなくなったのです。

 

必要以上に関わらない。なるべく一緒にいないこと。

 

コレがわたしが行き着いた答です。無視とはちがいます。

 

家族やご近所さんや職場が一緒なのだとしたら無視するわけにはいきません。自分が不利になる場合もあるからです。

 

個人プレーな職業ならともかかく、グループで何かをつなげていく関係だとしたら全く無視はできないでしょう。

 

だったら必要以上に関わらなければいいし、仕事以外の時間も一緒にいなければいいのです。

 

余計なことばを話さない。自分を語らないこと。

 

人は目の前の相手が何者なのかが分からないと不安になるものです。相手をよく知るほど安心するのが人間だからです。

 

だったら、自分の身の上話や感情なのどは一切話さないことで相手に何らかのダメージを与えることが出来るはずです。(反省・自己改善の機会)

 

組織系モラハラ人は、攻撃対象者を周囲から孤立させることで相手に圧力をかけるのが特徴でもあります。だれだって独りになるのは不安になるものですからね。

 

でも、もしその対象者が孤立を恐怖と感じない。それどころか独り好きなタイプだとしたらどうでしょう。攻撃が効かないバリアをはった状態と同じになるでしょう。

 

その結果どうなってたのか

  • 業務内容以外コチラから一切話しかけない
  • 極力、姿を見せないようにする
  • 仕事以外、絶対に行動をともにしない

 

その結果、モラじーの態度に変化が表れだしました。さすがに”自分はマズイことをしている”という事実を実感しはじめたのです。

 

最初はいつもの様に強がって他の同僚たちと群れていましたが、いつしか独りになっていき、わたしを誘うような行動に出来たのです。

 

もちろんじいさんはバカではありません。自分の理不尽なワガママが特別にまかり通っている状況は知ってのことだと思います。

 

「このままでは、自分が不利になるのでは?」というデメリットという危機感を感じたから、態度に変化がでたのでしょう。

 

態度をあらためたのは”いまにはじまった”ことではありません。不況のたびにリストラがあったのですが、そのときは、まるで人が代わってしまったかの様になりました。

 

でもわたしは学習しています。今回は折れません。もう何度も経験したせいで私たちには免疫がついてます。もうダマされない。

 

でも実際、「もういいのでは?」とモラじーを許してしまいそうな自分がいて格闘しています。

 

それでも、被害から逃れるには甘い顔をいてはいけません。相手は心底腐った自己中的思考の持ち主だからです。考えさせる時間を与えることが薬になるでしょう。

 

しかしながら、わたしは鬼ではありません。今後によっては態度を変える余地は持っています。

 

ちょっと可哀想ではありますが、ここは1つ「精神の修行の場」として鬼になってもいいんです。

 

おわりに

「この空間にモラハラ人は存在しない」と決意して思い込んでみましょう。実際、行動すれば変化を起こすことは可能です。

 

「嫌われたくない」とか「いつか分かり合える」思いも分かります。

 

でもそれこそが「モラハラ人の格好のエサ」であることを今一度再認識してほしいところです。

 

今後どんな展開が待っているのかは未知数ですが、次の一手は次の一手が出てからまた考えればいいと考えてみてはどうでしょう。

 

結果に辿り着くには必ず過程が存在するものだからです。失敗から何かを学びましょう。

 

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