負のメンタルリハーサルは呪い返しにあう?3秒以内にやめる

この記事は約7分で読めます。

いつでも戻れる

「自分の心をキズつけているのは自分」ということばがあります。

相手に『バカ』って言われたときに「どう思うのか」によって感情が左右されるということ。

 

「バカとは何だ!」って怒るのも自分。

「気がすんだかなぁ?」って微笑むのも自分。

 

結局、反応を選択しているのは他ならぬ自分自身だということなんですね。

 

そして、ぜひともやめてほしいことを身をもって体験したので、その辺を書いています。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

負のメンタルリハーサルは今後一切やめること

メンタルリハーサルとはイメージトレーニングです。人が想像する力をつかい能力を上げたり、よくない癖を治せることをいっています。

 

負のメンタルリハーサルって何なのかといいますと、

「自分にとってマイナスな結果になる落ちを勝手に空想してしまうことだ」とわたしが勝手に付けました。

 

なぜこの記事を書こうって思ったのかというと、

久しぶりにメンタルリハーサルをしてしまった結果、一度閉じ込めた怒りを開放してしまい収まらなくなったからです。

 

簡単に言うと、「過去、わたし達に対してモラハラをしていた人と、また一緒に仕事をするかも知れない」という未来を考えてしまったから。

 

なんのこっちゃですよね?

 

「グループ替え」がある職場で困惑

わたしの職場はある一定の時期になるとサークル変えをします。それはまるで学校のクラス替えや席替えのようです。

 

人の出入りがあったり、誰かが昇進したり、問題があったり、リフレッシュもかねてく組み替えをしています。

 

誰といっしょになるのかは上司が勝手に決めています。

 

「あのリーダーの元で働きたい」「あの人とは組みたくない」というは話題はつきません。

自分もふくめて色々な性格の人がいるから合わない人いるのは当然のことです。

 

ここで、わたし達が受けたモラハラを書いても仕方ないし話も長くなるのでその辺の事情はカットします。

 

大まかに書くとこんな感じ、

 

その腹立たしかった毎日と、自分たちが受けた屈辱(くつじょく)はいまでも納得がいかなかったこと。

その身勝手な人に対して会社側は何の対処もしないこと。

口は達者でも能力は戦力外。定年を過ぎてもまだリーダー気取りで会社に居座る高齢者。

 

「またあのイヤな人と一緒に仕事をしなくちゃならないのか」という忘れかけていた過去の事情を開放してしまったのです。

 

自分の中ではまだ納得していなかった

わたしは休憩時間に昼寝をすることがあるのですが、「次、自分はまた例の人と同じグループになるのだろうか・・」って、ふと何の気なしに考えたのですよ。

 

そしたら、

そのうち過去に受けた屈辱や怒りが頭脳を占拠。

我慢した(時にはやりあった)日々の想いが次々とよみがえり、

心臓がドクドクして、腹が立ち、怒りが収まらなくなって、まったく眠れない。

 

「もしモラハラをしたその年配者と一緒のグループになったとしたら」って空想したら、

次は「ああしてやろうかな、こうしてやろうかな」というような、その相手をやっつけるメンタルリハーサルを気づいたらしていたんですよ。

 

まるで、のび太がジャイアンを一泡吹かしているイメージの様です。

 

これはいかん!と思い直して、気持ちを落ち着けせるべく色々とやりました。目をつむって瞑想したり、読書やスマホをいじって気を紛らわせてみても結局はだめでした。

 

なんてもったいない時間を過ごしてしまったのだろう・・

 

これじゃ「意地悪をして笑っている人間の方がまだ幸せなんじゃないの?」って想ってしまうところです。

 

こうやって性格が悪くなってしまい、本来「いい人」にまで八つ当たりをしてしまい、

相手を恨むことで、そんな顔になってしまい、人を遠ざけてしまい、

不幸になるのでは?って思うのですよ。

 

そんなの絶対イヤですよね?

 

「人を呪わば穴二つ」ということばとは正にこのこと。「呪い返し」とは、自分で自分をダメにしてしまうという意味がここにあるのでしょう。

 

自分を傷つけたその爪あとを、自分で掘り起こして、自分でまたキズつけてしまったのですね。

 

なので、

  1. 相手にされたことをまたされるのではないか?
  2. 今度はそうはさせないぞ!

という様な「頭での予行練習はしない方がいいですよ」という話しでした。

 

そもそも、なぜ人は良くない先読みをしてしまうのでしょう

このブログで何度か言っていることなのですが、

「太古から受け継がれたDNA。身を守る本能があるからだ」といわれているからなんです。

 

  • 「きっとあの茂みに熊が潜んでいるのかも?」
  • 「この川にワニがいるかも。近道だけどやめておこう」
  • 「もしや、この酒に毒を忍ばせてるのでは?」

などに進化・・

 

危険を想定した予知行動をしてきたからこそいまがあるのでしょう。

でないと、何の文化もななく、小さく弱い存在の人類が今日まで生きてこれなかったことだからです。

 

不安予知は本来ならばいいこと。

 

現代に置いては負の機能?

いまあなたは生命の危機的状況下にいるのでしょうか。

 

紛争地帯や貧しい国はさて置き、平穏な国においては生命の危機の概念も時代とともに変化。精神的な危機になりました。

 

危機的状況になったとき「逃げる」か「戦うか」のどちらかをするのは生き者の当然の習性です。

でもいまはその2つを選べない時代になっています。

 

本能のままではいられない時代

■たとえば、「上司にパワハラされた」としましょう。

 

もしあなたが「頭にきた」としたら、怒鳴り返すか、ぶん殴るって気持ちを整理することでしょう。

 

それとは逆に、もしあなたが「不快」と感じたら自分を守るため会社を去るかも知れません。

 

でも簡単に行動に移せないのは、会社を辞められないのは、そこに事情があるからですよね?

 

わたしなんかは人一倍感情的な性格なので日々その気持と戦っています。まー、考え方がちょっとゆがんでいるせではありますけどね(涙)

 

「戦えなく逃げられない状態」とは本来人が持つ遺伝子に逆らう行為です。行き場をなくした感情はストレスとして身体に出てしまうのです。

 

心の病などになってしまうのはそのためだそうです。

 

ほんとにわたしも一時期はヤバかった・・でもギリギリのところで軌道修正できました。

本当は自分に合う生き方をしたいけど転職する勇気もなく、ブログ何かを書くことで気を紛らわせている今日このごろです。

 

おわりに

人を恨むでも相手を変えることはできません。変えられるのは自分だけです。

どうせメンタルリハーサルをするのなら、ポジティブなことを考えてみたいもの。

 

のび太くんが静香ちゃんにモテモテな空想や、自分が立派になっている未来を想像した方が100倍マシです。

 

しかしながら、不届き者は何処に行ってもいるものです。あなたの受け止め方が変わらない以上、また同じような人種の被害は免れないと心してくださいね。

 

わたしも、「今度こそはやっつけてやる」のではなく、

「今度こそは、その意地悪な人をスルーしてやる」

そのくらいの器にレベルアップできる様精進していきたいと考えています。

 

でも我慢は禁物です。きちんと声は上げておきましょう。

「戦うか・逃げるのか」どちらを選ぶかはあなたの人生です。

ここは1つ「もう一度チャレンジする時期が来た」と思い、冷静になって対応してみるのです。

 

▼「お山の大将」の下についても毒なだけ。
リンク独裁思考者のカースト下につかないための心得を考えてみた

 

タイトルとURLをコピーしました