無難な生き方に革命を!それは才能が目覚める予兆だった?

普通でいることがきゅうくであることに気づき、怒りを表現することがあります。

「でもやっぱりこれは間違っている」って思い直し、また元の状態にもどってしまう。そんなことのくり返しはお約束のパターン。

ですが、シッカリと怒りを表現したその先にさらなる自分がいるって知ったらどうでしょう。

参考書籍
「普通がいい」という病
著者:泉谷閑示

「ラクダ→ライオン→こども」3つの変化を通って人は完全体になる説

ドイツの哲学者ニーチェの思想書「ツァラトゥストラ」の中に「三様の変化」という章があるそうです。

人間の変化熟成するプロセスを、駱駝(ラクダ)獅子(ライオン)小児(こども)に例えて見事に語っているのを著者がわかりやすく書き直してくれています。

でなけりゃ、わたしには理解できない内容でしたよ。

このたとえって一見「順番が逆じゃない?子供が先」って思いませんか?そのギャップが面白い。そこが紹介したいところです。

1.「ラクダ」になって安泰を得る

「ラクダ」は従順、忍耐、努力、勤勉の象徴。人の言うことを素直に聞き入れる。

「遠慮なく重いものでも積んでくださいね。もっと積んでもいいんですよ」と望む存在と解釈しています。

身近にたとえると、こんな感じでしょうか。

  • 飲み会で率先して幹事をする。行き帰りは自分の車を出し、みんなの足になる。
  • どんな上司の命令もきこうとする。困難な指示ほどやる気になる。
  • 「それ違うでしょ?」と思っても、相手の期待にそうようなことを言う。行動を選ぶ。

上司や金持ちなどパワー関係が上の人にこびたり、世間一般の常識に合わせようとするのも同じだと思う。イヤだけど、それなりのメリットもありますからね。

古典文献学者でもあるニーチェは「ラクダ」について、こんな風にも言っているそうです。

「ラクダ」とは龍によって「ラクダ」にされました。ていうか、自ら選んで「ラクダ」になってしまったの。

なぜかというと、この龍とは「汝なすべし(わたしの言うことを聞いていればいいのです)」という名の存在。龍の命令をきいてさえいれば、自分を守ってくれるから。

ん・・何か、サラリーマンに似ている。「これまちがってるよなぁ」って疑問でも、いうことさえきいていれば毎月お金はもらえてしまう。自営に比べたら安泰です。

取りあえず、みんなと足並みをそろえておけば責められないし無難です。生きる術として、多くの人は身につけていますよね?

2.「ライオン」になって自由を手にする

ところがある日ラクダは、自分と龍との関係がきゅうくつになってしまう。

  • 「そもそも、何から龍は自分を守ってくれてんの?」
  • 「この構図っておかしくねぇ?」
  • 「俺は自由さ。もう龍なんてイラナイ」

そう思うと、駱駝(ラクダ)は獅子(ライオン)に変身。ラクダはついに龍を倒し自由を手にする。つまり自分のい場所を手に入れたってこと。

この獅子のことばは「われは欲す」です。「われ」とは自分であることを自覚した状態。

いままでは、何かをするときに「みんなはどうなんだろう・・」と、相手本位だったけど、「今度は俺が決める」に変わったってこと。

この獅子は「怒りの化身」と著者はいっています。

いままでラクダは龍に人格操作で大人しくさせられていた。自分の不当な扱われ方が怒りになり、獅子へと変わったのです。

人もポケモンと同じ。本当の自分じゃない生き方が進化のキッカケになったのでしょう。

そりゃキレますよ普通。いくら守ってくれているとはいえ、ずっとイヤな役回り(パシリ役)だったんですから。しかも本心じゃない。

そして、獅子になれない人が本根を心の底に押し込めてストレスをため込んでうつ病とかになっていく。会社や上司の悪口をさかなに飲み屋で酔いつぶれたりもすのでしょう。

だから、怒って当たり前の感情だった。

でも大人になると、怒るのはおかしいこと、我慢ができない自己コントロールできない人、理性的じゃないだめな人ってレッテルを貼られるのが怖かったりする。

だから、「本当はイヤだな」って思っても我慢しちゃう。

「俺はまだまだ人として一端じゃない。もっと人生修行が必要だ。あの人みたいに冷静になれたらいのに・・」と考えて、思考を自己修正してしまったりもする。

わたし自身、「人のため」とか、「デキる人はこうだ」とか、「人格者・いい人」になろうとして、違う自分を演じていた時期があります。

でもダメだった。どうしても怒りをかくせない自分になってしまう。そして人に溶け込めるような、みんなに好かれるキャラにはどうしてもなれませんでした。

そうなると、またラクダに戻って「普通の人になろう」としてしまう。

でもこの著書を読んで、「自分は人として正しい感情だった。成熟段階の途中に起こる正常なプロセスだったんだ」そう思うと嬉しくなりましたよ。

というのも、獅子の次にはつづきがあるからです。

3.「小児」になってクリエイティブに

「われ」になり自由を手にしたライオンは、怒るだけの猛獣では終わりません。次は「小児」に変身です。

なぜ獅子から子供になったのでしょうね。著者の泉谷さんは、人の心は感情の井戸になっていると言っています。

著書:「普通がいい」という病P111「感情の井戸の図」を参考

上の2つ(怒・哀)を獅子となり開放した。つまり、つっかえが取れたから下の2つ(喜・楽)が出てきて発想が豊かな子供になれた。

怒りや不安や悲しみで脳のキャパが一杯だと、それが邪魔になり、考える気になりませんよね。

もう怖い先輩もいない。教育ママもいない。同じであることを強要する村の衆もいなくなった。心の重荷が無くなった分、身軽になったのでしょう。

話をもどすと、

この小児の言葉とは、「然り(しかり)」意味は「その通り」もっというと「すべてはあるがまま」だと表現しています。

・・小児になり、純粋無垢で無心に創造的な遊びに没入していく。これが、人間の究極の姿なのだということです。P130

「あるがままに」「愛のママにわがままに♪」よく聴くフレーズです。

つまり、本当の意味で自由になるためには、怒りは必要な感情だったのですね。これがニーチェがいう「三様の変化」だそうですよ。

医師としての著者からみた患者の様子

ちなみに、小児へと進化をとげた人は次のようななっていると著者はいっています。

うつ病とかになった患者さんとセラピーが進んで変化していくと、たいてい、何らかの創造をするようになるそうです。

  • 絵を描く人もいる
  • 料理に関心を持つと連動して日常生活に新たな発見に気づく
  • それを文章や詩に表現したくなる

いずれにしても「創造的遊戯」をするような人生に変わります。新しい自分になって、第二の人生を生き始めるのです。P130

  • ラクダでいることに疲れてしまった
  • 獅子になるのって間違っている様な気がする

と思う様になったのは、攻撃的になった患者さんを「問題行動だ」と指摘する周囲の空気によるもの

それは駱駝にうんざりして「怒り」で自分を確保し始めた大事な時期なのです。それは一見、周囲と戦っているようですが、実は「自分になる」ための戦いを行っているのです。P130

もし力ずくでラクダにもどしてしまうと、腐ったラクダにしかならないと言っています。

きっと腐ったラクダに成り下がっている人は少なくはないはずです。それは自分自身が一番よく分かっているのかも知れません。

おわりに

人が変わっていく様を読んだときわたしは「これだったのか!」と、いままでの自分の行動が腑に落ちました。

そして自分の性格を直そうと思い、たくさんの考え方を真似し試し、違う自分をつくろうとしていたことが間違っていたのでは?と思考を切り替えるきっかけとなった章でした。

最初読みはじめの感想は、「やっちまったかな」でした。「最後まで読めない、読まない本を買ってしまったかも」の意味です。

でも読み進めていくと、わたしが求めていた本だったのです。

この本のイイところは、難しい専門書の様な引用文をわたしの様な理解力の低いごく普通の人にでも分かるように著者のことばで説明してくれているところです。

もし、ニーチェの言葉や有名な詩人の誌をそのまま書き写して「こう書いてあるように」とかいわれてもシックリこなかったし伝わななかったと思います。

オススメ記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加