生きるための仕事で働く労働者が生活向上でも心満たされないのは?

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  • 「またあの上司、車買い替えたよ。金持ってるよなぁ」
  • 「連休はハワイだって・・うらやましい」
  • 「やっぱり出来る人はちがうよね」

思いっきり働いて思いっきり遊ぶ。バブルの頃どこかで聴いたフレーズです。昇進、昇給すると好きなコトが出来るようにもなったりします。

 

それであなたは本当に幸せを感じているのでしょうか。

 

一見、人生が上手くいっている様に見えます。ですがその行動をひもとくと、実は同じスキルの人たちなのです。

 

「俺はお前らとはちがう」と思っている人にこそ読んで頂きたい内容です。

 

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自分のステータスが上がっても今の延長線上の話し。そこから逸脱してはいない

ある雨の早朝、いつもの様に会社へ出勤しようと車で家を出たときのことです。

 

近所のせまい道を走っていると、中国人らしき30代くらいの男性が自転車を必死でこいでいる姿を見てふと思ったことがあります。

 

「あ、自分と同じだ」

 

何でわたしとその外人さんが同じだと思ったのは以下の推測のとおりです。

 

1.外人さん

  1. 通勤手段は粗末な自転車
  2. リュックサック持参
  3. 時給?で誰かに雇われている
  4. 家族 or お金のために来日 or 自国に仕事が無い

2.わたし

  1. 通勤手段は無名な中古の軽自動車
  2. リュックサックの中に自前の弁当
  3. 日給月給の労働者
  4. なりたい職業ではなく生活のため

 

ほら、同じでしょ?

「でも相手はチャリンコだし、雨で身体はぬれちゃうし、給料だって安いんじゃない?」っていうのはわかります。

 

外人さんからしたら「車で通勤うらやましい」かも知れませんしね。

 

そして、もっと想像がふくらんでいきましたよ。

「と、いうことは、東京のサラリーマンも同じ何じゃないの」という発想です。

 

3.都心部のサラリーマン

  1. 移動手段は(電車 or バス + 徒歩)を組み合わせる
  2. ビジネスバッグ o rリュックなど持参
  3. 月給制、出来高制などのサラリーマン
  4. 取りあえず大学を出て就職した

 

■これら3つに共通するものとは、

  • 他人の会社まで仕事をしに移動している
  • 始業時間に間に合う様に家を出ている
  • エネルギー確保のためだけの食事
  • 収入額は他人次第
  • 心から好きな職業ではない

 

言いかえると「全ての行動は人に決められている」ということになっている。

 

ちがう角度で見ると、

  1. 外人さんのスタイルは、車がなかった時代
  2. わたしは、それより少し進化した文明
  3. 都心部の人は、さらに快適なインフラが整備されている

 

「買ってきた水出し麦茶」であっても「自販機やコンビニで買ったコーラ」であっても「スタバで注文したエスプレッソ」であっても、お茶をするのには変わりはない。

 

これら3人の本質を見極めると、

  • 結局、中身は同じ
  • 似たようなことをやっている同レベルのカテゴリー
  • 同じビルの階層を上がっただけの話し

 

と、いいうことに気づいたのです。そう思ったら、「頑張れ!」って何か心が熱くなちゃいましたよ。

 

眠くても寒くても暑くても雨でも雪でも台風でもです。会社に自分が行かないとお金にはなりません。

 

と同時に運命は他人がにぎっているということでもある。そう思うと何だか不自由だなと思ってしまいましたよ。

 

たしかに安泰です。責任は自分にはないですからね。けれどこれで安心してもイイのでしょうか。

 

自由を求めるなら、ちょっとだけ立ち止まってちがう未来を想像してみる

そしてその瞬間(外人さん)が目に入った場所は近所の自動車整備工場です。

 

「そう言えば、この人は個人事業主なんだよなぁ」わたしは通勤するときに、この工場の経営者と目が合うと車越しに会釈をする関係です。

 

もしわたしが給料が上がって新車の高級車で通勤してお昼は会社の外で焼き肉を食べて、趣味の道具を何でも買える様になっても、結局は、いまやっている仕事で得た延長線上のはなし。

 

外人さんやわたしがいくら頑張っても同じ様にはなれない。核の部分に進化は起きていないってことなんです。

 

自営業の社長で売上がそこそこで・・とか、わたしは雇われている人で・・など、上とか下とか争うレベルではなくって。

 

たとえ外人さんが自転車から車に乗れたり、わたしが新車に乗れる様な金銭的余裕ができても、朝早く会社に行くのは変わらないというはなしなのですよ。

 

生活のために自分に合わない仕事をした先の結果、給料が増えて、生活が楽になったとしても、本質的に幸せになれるのかを考えると「問」が生まれてくるんです。

 

もちろん愛妻弁当は嬉しいです。

「今日は隣の県にある人気のラーメン屋でランチがしたい」とか「海が見えるカフェでモーニングコーヒーを堪能したい」など急に思い立ったときにそれが出来るのか。

 

でも、そんなことが出来てしまう職業の人もいるんじゃなでしょうか。それが実現出来ちゃうのが「好きなように生きている人」のわたしの定義。

 

「有給や代休を使えば誰だって自由じゃん」ですが、普段からの心持ちの観点から考えると、どっちが本当に自由なのでしょうね。

 

おわりに

こっちが会社で必死に業務に追われ人間関係でギクシャクしてストレスまみれで家路に帰る途中、わたしが見るその経営者の印象とは、「何かお気楽でいいよなぁ」です。

 

逆にあちらとしては、「仕事が安定してるから気楽だよなぁ。ただ会社に行ってれば金もらえるっていいかも」わたしに対して同じ様に感じているのかも知れません。

 

ですが本を読む様になり、ブログをやる様になって価値観が変わってしまったわたしには、独り黙々と自分のペースで仕事ができる環境がうらやましい・・

 

もちろん親の後を仕方なく継いだのかも知れないし、やりたいことを諦めたことも考えられます。どっちにしても、わたしの感覚のでの話しです。

 

サラリーマンのわたしが語っても説得力はありませんが、ちがう見方ができる様になったのはちょっとした進歩だと思った次第でございます。

 

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