社会不安な私は『道は拓ける』を再読し本番に備える

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悩まない為に

人の悩みの正体とは対人関係の妄想だ。

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他人の目が気になり批判の恐れを啓発的な言葉で自己洗脳

今日久しぶりに『道は拓ける』という本を再読した。

タイトルのとおり、わたしは社会不安の傾向がある。

といってもお医者さんに行ったわけじゃない。だから世間的には健常者。

けど、とても生きづらのは確かだ。

人類はかつてピンチのとき戦うか逃げるかの選択をしてきた。

でも現代は戦えず逃げ場もなく、耐えた結果、自分を殺すことになる。

知らない人や場所。または格式高いこと。権威性に対してつい身構える傾向にある。

それは社内会議だったり地域の集まりや学校の保護者会だったり色々。

そういった集まりが得意ではなくなってしまった。

それは40歳くらいになったときのある時を堺にひどくなった。

その頃この様な本をたくさん買って読み漁った。だから今日また読んでみたというわけだ。

元々わたしは内気とは真逆のタイプだった。少年時代までは人前に出たがりの目立ちたがり屋さん。

そして小学生のとき、二度ほど転向した。

そこは未知の世界。言葉もちがう。知り合いは居ない。

どうやって友達作ろうか必死だった。

「僕の家でお菓子を食べようよ」と誘った。人を笑わせたり、面白い遊びを考えて提供した。

なぜならみんなに振り向いて欲しかったからだ。

だから人気はあったと思う。

転向する日は、クラスメイトや先生は、2回とも別れを惜しんでくれた。泣いてくれた娘もいた。

そして引っ越し先まで遊びに来れた友達もいる。

中高では目立つ方だった。先生にも迷惑をかける様なカテゴリだったと思う。

でもあるときを堺に世間が怖くなってしまう。

たぶん学校を卒業してから直ぐ会社を辞めて無職になった頃だったと思う。

みんな働いているのに自分は部屋の中。そして夜友人の誘いで街に繰り出す生活。

悪いこともたくさんした。

自分の過ちによって免許が取れないでいた。地方では就職も難しい。

陸の孤島。

そんなみんなとは違う人生を独り部屋で数ヶ月過ごした。

つまり自信を無くしてしまったのだろう。

「権威性のある立場の人はどうせ自分は見下されている」と自分で自分にレッテルを貼ってしまうのだろう。

それがわたしのベースになっているのは確かだ。

何をしても自信がなく、他人の目を気にしてしまう性格は出来上がった。

少し長い身の上話をしてしまったけど、そんなこんなで本を再読した。

お前の前髪など誰も気にしてはいな

そこで『避難に傷つかないためには』と言う章が目に止まった。

結局、なぜ集まりに対して拒否反応をしてしまうのかというと、批判されたくないからだと思う。

つまり自分を変えたくない。自分を否定されたくない気持ちの現れではないだろうか。

だから他人の目が気になってしまい、否定されないため、嫌われないために、自分の意見を押し込んでしまう。

そしてそれがひどくなれば精神を病んでしまうのだろう。

そこで丁度いい言葉があったので、いくつか引用してみることに。

自分の心の中で正しいと思っているのなら、他人の言うことなんか気にしてはだめだよ。P302

「自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。しても悪口を言われ、しなくても悪口を言われる。どちらにしても批判を逃れることはできない。」P303

さらに、わたしの精神状態とは自意識過剰とも解釈できる。

つまりみんなは常に自分を見ている。批判の種をアラ探しをして、噂するに違いない。という被害妄想でもある。

でも本書でも言うように、人は他人のことなどそんなに気にかけてはいない。他人の批判などには無関心。

人は朝も昼も、そして夜中の十二時過ぎまで、絶えず自分のことだけを考えている。他人が死んだニュースよりも、自分の軽い頭痛に対して千倍も気をつかうのである。P301

そして何か役割を担う役になったときについては、こう言っている。

人の上に立つ限り、非難をまぬがれることは不可能だ。気にしないようにするしかない。

だから「お前の前髪など誰も気にしてはいない」という訳だ。

最善を尽くしたら非難の声を気にしない様にするしかない。

おわりに

面白いもので、辛かった過去や不幸な記憶とは、美化されて思い出に変わる。

「だからこれから恥をかきに行こう」そう考えれば、道は拓けるのでは?と少しだけ勇気をもらえた。

自己啓発
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