イヤなこと、辛いことがあった時のストレスは考え方で見る目が変わる

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自分の意見がとおれば、一時的にはストレスは無いのかも知れません。

でもそれが幸せな未来につながるのか。本当にいい人生を送れるのでしょうか。

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「あの逆境があったからこそ今の自分がある」と考えてみる

  • そんなのイヤだからやりたくない
  • あの人とは一緒にいたくない
  • ずっとこのままでも構わない

もし少しでもあなたが「不満を感じたこと」や「不安になること」や「気が乗らないこと」の全てを断れ、気ままに生きてきたとしたら、あなたはどんな今になっているでしょう。

きっと『いま現在のあなたじゃない』ですよね?

1)もし子供のころ「和食はキライ。朝はケーキが食べたいの」の主張がとおったとしたら、その後どんな身体になったのか。

そうなると「ケーキはおやつ。朝は玉子か納豆!」の言葉はあなたのためだった。

「ケーキが食べたいのに・・」のストレスを受け入れたからこそ、いまの健康がある。

2)「勉強はしたくない。遊びたい」がもし許されれたとしたら、その後、自分が行きたい学校に入れたのか。

そうなると「宿題やったのか!門限は何時まで!」というストレスは自分のための言葉になるはず。

「遊びたい」を我慢したことにより、希望校に行けたのです。まーこれは極端な例ですけどね。

成長のある人生とは筋トレの様なもの。重荷を背負い筋組織をぶっこわし、少しだけ大きくなって再生する原理と同じだからです。

辛いことがやがてハッピーに変わる仕組みだとしたら、

「いまソレすっごくストレスだけど逃げないで受け入れて見よう」というのも、イヤなことがあった時のトレーニングとしては有りだと思う。

あなたが「イヤだな」と感じた、そのストレスとは成長するためのエネルギー源。って考えるのもストレスに打ち勝つ方法じゃない?

わたし自身、過去をふりかえって見るとコレに当てはまることばかりだから。その中の1つを書いてみます。

ストレスを与えてくれた人に感謝してみる

わたしは最初、家を持つことに消極的でした。

「お金の自由がなくなる。転職も気軽に出来ない。一生そこに住むことによって人生を縛られ、自分らしく生きられない」と思ったから。

「ローン返済に追われ、好きな物も買えず、好きなことも制限され、ある程度ちゃんとしないといけなくなる」とも考えました。

家を建てて、本当にやっていけるのかの恐れもありました。「このままでもよくねぇ?」って尻込みするのは、脳は変化を嫌い、現状維持する仕組みだからだと聞いています。

そんな人生、イヤだ。

でも周りの人達は次々と家を建てていく・・そんな中、せまく古びたアパートに妻と、まだ幼い娘がいます。

「2階建の広いお庭に住みたいの♡」娘と妻の圧力の日々。いい環境に住まわせてあげたいです。

そんな想いとは裏腹に「出来ればこのままでいたい」の葛藤。「住むところ」や「物」よりも、体験にお金を使いたい派だから。

でもその不安ストレスを受け入れて、次のステージに行く決心をしたお蔭で色々と成長できたのです。

変化とは自分を成長させるタネ

生真面目なわたしは、家を建てる2年前くらいに禁煙を始めました。理由は「もしタバコがやめられなかったら住宅ローンは払えない」と考えたから。

ローンを組み、子供が成長すれば支払いも増えます。この先大幅に給料が上がることはないでしょう。不況になれば下がる一方。贅沢は敵。正に賭けでした。

結果、気合と根性で禁煙に成功。家族への想いが勝ったのです。

もしタバコをやめずに家を建ててたら、お小遣いのほとんどがタバコ銭に消えていたことでしょう。

もちろん喫煙によって不健康にもなっていたはず。実年齢より老け顔になっていたかも知れない。芳醇なあっさり塩スープの味もわからなかったと思う。

それまではお金に無頓着で、まったく計画性のないお金の使い方だったけど、支払いの義務(ストレス)により、色々とやりくりする様にもなりました。

これだけは言えます。もし家を建ててなかったとしたら、きっとこうだったでしょう。↓

  • イヤになったら簡単に転職をする
  • 毎晩、好きなだけ酒を飲む
  • 気の向くままに会社を休む
  • 制限なくタバコを吸う
  • 車にお金をかける
  • 若い頃と同じ感覚でいる
  • 好きなラーメンを食べ歩く
  • 何となくお金をつかう生活

別にそれが悪いわけじゃなく、いま現在の私では無いってこと。

こうして振り返ってみると、本当にわたしは変わってしまった・・

でも結局そのストレスを受けれたから今のわたしがあるのです。良くも悪くもですけどね。

なので、妻と娘に感謝というわけです。

おわりに

確かに、気の持ちようだけでは乗り越えられない状況もあったりします。

「本当に、この人は血の通った人間なのか?」と思う性格の人もいる。どこまでも自己中で、他人をかえりみない意地悪な人間は、どうしても受け入れられませんよね。

ものには限度があります。逃げたり、時には戦うことで自分を守れる場合もあるでしょう。

ですが、もし少しでもイヤなその相手が「1つでもいい面がある」のなら、そのストレスが将来あなたの実になるのなら、「見方を変える価値はある」とわたしは思うのです。

あのころの逆境は未来の自分のためだったんだなぁ」と思う日が来るといいですね。

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