他人の親切を断るのは罪?自分らしさを出せないストレス症候群

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他のみんなと自分一人だけちがうのもストレスです。

じゃぁ、自分を変えてみんなに合わせるのはストレスにはならないのでしょうか。

 

悪気が無い親切を断るのは難しい。「多数派が支持することには逆らえない」の思い込み

自分にとって「イイもの」が必ずしも他人に当てはまるとは限りません。

 

「これマジ最高だから絶対つかうべき」っていわれても、それはその人が勝手に思い込んでいるだけだったりもする。

 

「でも相手も善意でいってる訳だし、他のみんなも『コレ最高』って思って使っているし、自分だけ拒否るのもちょっとまずいかも」って考えてしまったりもする。日本人によくあるパターン。

 

周囲からの見えない同調圧力を感じたり、その後の成り行きを想像したりもすると、中々「NO!」とはいえない状況は、よくあるケースですよね。

 

だってみんなが「それいいって」いうコトを、たった1人自分だけちがう道を行くようなものだからです。

 

自分が「これイイ」って思うものには理由がある

たしかに、相手が「それいい」っていわれることをすれば、「自分がやっている方法」よりもいい結果になる場合もあると思う。

 

いまつかっている「古い何か」から「新しい何か」へと飛び移るのにも勇気が必要なことはたくさんある。ガラケーからスマホとか、現金払いからカード払いなど、未知ものは不安になってしまうものです。

 

「スマホは料金が高いし、必要性を感じないよなぁ」的な葛藤は転換期の世代の人はあったと思う。カード払いだとお金を使い過ぎてしまう自分を止めるために、あえてそうしていることだってある。

 

でも独りだけ取り残される強迫観念も働き、無理くり時代について行こうとする心理もよくわかる。

 

たとえば仕事のやり方ではどうなのか。

 

もし「これいいよ」ってすすめる人の仕事のやり方が理にかなってたり、そのやり方を受け入れることによって効率がよくなったとしても、

 

「これいいから使ってよ?」っていわれた人が、そのやり方ではやり辛く、パフォーマンスを下げてしまうとしたらどうなのか。

 

いわれた方としては「新しいやり方についてくために必死に努力すべきこと」なのか。これはほんと、ストレスです。なぜなら自分起点ではないからだ。納得の度合いがちがう。

 

人は他人の決めたことには決意できないものだから。

 

「いいから黙ってこれやっとけ!」といわれても、中々身にならないのは、本人がそれを必要としてないからなのだ。

 

仮にその作業方法が会社のマニュアル化するのなら覚えなくてはならないかも知れない。でも、そうでないのなら、それまでの自分のやり方でやりたいものです。

 

だって右手で食べても左手で食べても要は同じだから。

 

自分にとって「何を一番大事にするのか」を決める

ここで選ぶ基準をいくつかあげてみます。

 

  1. 相手の気持ちを大事にする
  2. その瞬間の自分の気持を大事にする
  3. 全体を見て、場の流を重んじる
  4. 不本意でも損得勘定を優先する

 

きっと、「相手を立て空気を読んだ方が得だ」と思いますよね。サラリーマンなら尚更のこと。でもこのブログは「ストレスから自由になる」がテーマになっている。

 

そして、相手のやり方で仕事をした結果、ミスを連発してしまうとしたら考え直さないと、あなたの信用に関わることもある。

 

そんなのおかしくないですか?だって、もしいままでの自分のやり方だったら、エラーを出しにくかったのにです。

 

「ちがうんです。本当はこんなの使いたくなかったんです。でも相手に悪いし、みんなそうやってるから流されてしまっただけなんです」

 

「俺のせいじゃねぇー!!」っていいたくなっちゃいますよね。それでも責任はあなたです。

 

もし、おすすめした本人の耳に届いたとしたら、相手はどんな気持ちになるのかは想像の範囲。

 

「いらなかったの?先に言ってよー!」ってなっちゃいます。最初に断ったときよりも深く相手を傷つけることにもなってしまう。

 

だったら、最初っからそんな余計な気遣いはやめて、自分の気持ちに素直になった方が、自分にも相手にもイイって思うのです。

 

キャラはいつからでも変えられる

「自分とはこういうものだ」と人は勝手に思い込み、周囲の期待に応えようとしてしまいがちです。でも、それは「自分がそう思っているだけ」だったりもする。

 

「お姉ちゃんは頭がいいのに、あなたは何で出来ないのかしら」って幼いころ親にそういわれて育ってしまうと、「あぁわたしは頭が悪い子なんだ」とインプットされて、頭がよくない自分を演じてしまうこともある。

 

でもそれは、その分野のその時点のことであって、全てにおいての話ではありません。人の口癖によって、洗脳されていることは少なくはないのです。

 

あなたは「融通が効き素直なイエスマンだ」と思われてませんか?それはあなたが何でも聞き入れているからそう思われているだけなんです。

 

人は自分のことに一生懸命なもの。他人のことをずっと考えている暇はないのです。なぜ自分にはそれが合わないのか理由を説明してみましょう。

 

それで、もし「これ絶対にイイから使ってみて!」と押し付けるとしたら、そこにあなたへの愛は無い。

 

ただ自分を否定されたことに対して腹を立てているだけ。なぜなら、「誰のやり方」でも「あなたのやり方」でも結果が同じなら、何もそこにこだわる必要はないからです。

 

ほかの誰かが気分よくなるためにあなたが犠牲になることはないのです。あなたの人生です。もっと自己主張していきましょう。

 

でも、そう言ってくる人に限って、口が上手だったり大勢を味方につけるのが上手かったりするから厄介だお思います。

 

ここは一つ「親切の押し売りはお断りします!」を心にしっかりと刻みましょう。

 

おわりに

わたしには「金大事主義」な友人がいます。理由は、友人の父親は借金の保証人になったことにより、家族は窮屈な想いをしたからです。

 

「ログインは絶対にダメだ」といいました。個人情報を書き込むなど、よくわからないことへの警戒だと思う。便利だけどリスクがある。つまり奪われてたくない恐れ。

 

これは友人の人生経験から出た、本人にとって最善の選択。それを「便利だよ」というのは押し付けにしか過ぎない。

 

もし何かあったら、「俺の下の世話をしてくれるのか?自分の代わりにローン返済と妻子を養ってくれるのか?」ってところなのだ。

 

自分が望まない親切のことを「おせっかい」といいます。かといって、露骨に「それいらねぇーよ」と言い返すのも角が立ってしまう。

 

ですが中途半端な優しさは相手を傷つけるだけ。正直に理由を話して自分を優先させることも脱ストレスの方法なのです。

 

一生懸命な性格は治らない?それでも自分をお大事に

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