時は空前の筋トレブーム。そしてビーガンやお酒を呑まない人も珍しくない。
「自分がやりたくないことはやらない」ことを主張し、それができる新たな時代がやってきた。
そんな中、自分が決めたルールをストイックに守り続ける人が増えていることも事実。
ところが、もしその行為が寿命を縮めるとしたら本末転倒になってしまう。
今回はそんな話。
「まじめ派」と「自由派」ではどちらが健康なのか?
人の死因について、大きく2つに分類されるという話がある。
- ガン(悪性新生物)
- 動脈硬化(心疾患・脳血管疾患)
そのメカニズムについてざっくり説明すると、
- 我慢続きでストレスを発散しないと、免疫が落ちてガンになる
- 体によくない物を食べ、運動不足で、動脈詰まって倒れる
日本人は欧米人と違って、動脈硬化による死は少ない傾向だ。どちらかというとガンの方。
ストイックに食べたいものを我慢して、運動をして、スリムな体になったとしても、ストレスで免疫機能が落ちてしまい、がんになっては元も子もない。
そうらならないためには、たまのご褒美は必要だ。
ちなみに長生きなタイプは、「小太りな体型」だと言われている。
そのストイックは自分で自分の首を絞めている
ガンなりやすい心理状態をたとえると、
- 「健康オタクになる」
- 「立派な人を演じる」
- 「いい人に見られたい」
などを、やり過ぎてしまうこと。
健康オタクになると、嫌いではないが、体にいいと言われるメニューを選び、本心では食べたいものを我慢し続けてしまう。
甘いデザートや、揚げ物や、ジャンクフードや、ファストフードなどはいっさい食べない。水やお茶やスポエネ以外いっさい飲まない。当然お酒も断酒。
最初は楽しいと思う。目標に向かって歩み続けることに優越感も湧いていることだろう。他のみんなが、やめたいけどやめられないことを自分はできている。
ところが途中から、「やっぱり唐揚げ食べたい」「ビール飲みたい」「ラーメン食べたい」と思う日が必ずやってくる。
そんな自分の本心を押し込めて毎日、豆腐にサラダチキンを食べ続けると、どうなるのだろう。気が乗らない日にも運動をする。きっとストレスだと思う。
健康になるための活動がストレスになり、免疫力を低下させ、病気になりやすい体になってしまうなんて本末転倒だ。
細かい部分にまで、決められたルールを守ろうと生真面目に生きるのも同じようなもの。
本当はやりたくないことや、好きじゃない人にまで、嫌われたくないがために、いい人を演じてしまう。
ノーと言えない関係性を続けるほど辛い人生はない。
でも、そんなストレスを和らげてくれる仕組みが脳には備わっている。それがドーパミン。
ドーパミンを出し快楽報酬を受け取ろう
ドーパミンは生きるために必要な「やる気」をうながし、幸福感を上げ上げにしてくれるホルモンだ。
冒頭に書いた「自由派」と「まじめ派」について極論いうと、
自分に甘く生きた代償として、メタボになり、血管が詰まって、心筋梗塞や脳卒中で極楽行きになるか?
我慢に我慢を重ね、痩せ細り、免疫が落ち、やりたことをやらなかった後悔を引きずり、あの世行きになるか?
のどちらかの人生を選ぶこと。
もともと日本人は遺伝子レベルで警戒心が強い人種だ。裏を返せば、慎重、繊細。悪く言えばビビり。
ベースが弱いんだから、多少横柄に生きるくらいで丁度いいのだろう。
つまり、免疫機能を高める意味でも、ストイック思考を手放し、時にはダラけることも必要だと思う。
一番危険なのは白黒思考にはまってしまうこと。
物事にはグレーがあるように、グラデーションになっていることを知らず、自分や他人を追い込んでしまうこと。
続けられなかった自分に罪悪感を持つ人もいるかも知れないが、そんな時は、「一見、不幸そうなのに、なぜか楽しそうな人」を観察してみるといい。
きっと自分の中で、さまざまなことの折り合いを上手くつけ、いい意味で自分に期待し過ぎず、諦めているのだと思う。
なので、人生を悔やみながら最後のときを迎えないためには、ドーパミンを出し、幸福感を味わうことも大事になってくる。
やりたくないと思ったらやらない勇気も必要
そんな訳でここ最近、わたしは自分を少し甘やかすことにして、ノンアルビールを飲むようになった。
そして「いま、それ、本心で、やりたいことか?」という疑問を自分に問いかけた結果、あることがわかった。
それは、いまはブログを書きたいと思わないことだった。
それと、動画鑑賞とSNSに興味が湧いていること。なので、あえてそちらを優先した。
その代償ではないが、ブログを書かない分、定期の筋トレは守った。
たまに、どうしてもやる気が起きない日もあったので5分でやめた日もあったけど、ガンの件を思い出すと、それでいいと思えた。
わたしは断酒と断コーヒーの連続記録更新中だが、本当はこれらと上手に付き合っていければ、ストレス解消になるのだろう。
結局は断酒するよりも、「適度な量を守り続けることが、実は辛い道」だったりもするので、ある意味、断酒とは「本心からの逃げ」ともいえそうだ。
嫌いな人と絶交するよりも、うまく関わることの方が難しいように。
おわりに
何事も腹八分目。仏教の中庸ってやつが良いのだろう。
わたしは「自分との制約」の中に「例外」も入れることにした。
そしてもし、飲み込まれてしまったら、またそこから再出発すればいい。
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