生涯未婚の予定でいる人にとって甥姪(兄弟の子供)の存在が将来、何らかの助けになるかも知れません。
「でも正直、甥や姪ってウザいし、採取されるだけで面倒なんだよね。別に自分のことは自分で何とかするから放っておいてよ」と思うのも無理はないです。
若いうちはそれでイイし、お金があれば何とかなるかも知れません。けどそれは永遠なのでしょうか?
実家暮らしの独身男性は『子ども部屋おじさん』と呼ばれていた
以前ネットにて『子ども部屋おじさん』の言葉を知りました。「何だろう」と思い、その内訳を読んだらなるほどです。その意味を引用してみます。
「子ども部屋おじさん」とはインタネット上のスラング(俗語)で、講義には「社会人になっても親元を離れず、学生時代と同じ子ども部屋に住み続けている未婚の中年男性」を指します。(転記元は不明)
つまり、学生時代から中年になっても同じ子ども部屋に住んでいる独身男性のこと。
実はわたしの兄も同じです。そして妻の兄弟にも同じ人がいます。ですがこの二人を見ていると全く相反するタイプ。
今現在この二人に対する、我が家族からの接し方とは、
- 我が兄に対して=(ほぼシカト)イヤイヤ実家の行事ごとに参加
- 妻の弟に対して=(好意的)妻の実家の行事ごとに行きたくて待ち遠しい
この二人といよりも、「我が実家と妻の実家」というべきなのかも知れません。
なぜここまでの差ができたのか?必ず理由はあります。
そんな事情を客観的に見ていると「子ども部屋おじさん」が幸せになるためのヒントが色々と見えてきます。
あなた自身にメリットが無いと相手にされなくなる
いまの時代、「親だから・子供だから・親戚だから面倒をみるのは当然だ」の考えでは無くなりつつある堺目が来ています。実際わたし自身「子供に頼らず生きていこう」と考えています。
そんなサバイバルな時代、将来自分の助けになるかも知れない甥や姪。または親戚筋のハートを射止められるのは、あなたのこれからにかかっています。
「では金を出せばイイんだろ?」で通用するでしょうか。いいえ目指すべきは友達です。
まず、お金をあげるに代表されるのはお年玉。ですがそのお金、ちゃんと子どもたちに届いているのでしょうか。きっと親がとりあえず保留しているのが一般的。
ついでに実家の祖母が子供(孫の親)の祝い事への応援として、大金を渡していても孫は知らないしその意味も分かりません。(進学・新築など)
当の子どもはお金をもらった実感は無い。欲しいのはワクワクする物や体験です。そうは言っても何を買ったらイイのか分からないし時間も無い。手っ取り早いお金で済ませている状態。
つまり子供目線で見ると、実際に何かしてくれているのは親。盆正月・冠婚葬祭にたまに会うだけの人。実は何も与えてないのです。
実際わたしの兄はこのタイプ。我が子が幼いころ休日、実家に行っても本人は不在。居ても自身の趣味に没頭して顔を出しません。
そんな人が将来おじいさんおばあさんになり、日常生活の困りごとを助けてくれるのか?やはり盆正月だけの関係になるのが当然の心理なのです。
その一方で、実家としては「お金を渡している=助けている」と思う中の孫たちの態度に不満もあったりします。
そして自分が中年に差し掛かる。子供が大きくなるころに、何かやってどうなるのでしょう。
幼い子とは、どんな人でも無条件で接してくれる神の子だ
とあるお正月、妻の実家へ行ったとき、まだ幼い甥や姪と触れ合ったときのことです。「手がシワシワだね」っと、何の躊躇も無く老けたわたしの手を触ってくれたのに感激。
そうなんです。子供とは天使。大人の様に差別や偏見が無く、心が汚染されてないのです。
別の姪っ子は「おじさんはボロの服を着ている~!」と笑いながら小馬鹿にして逃げ出しました。これはかまって欲しく遊んで欲しい証拠。鬼ごっこの様に追いかけて欲しいのです。
子供が分かる様になったら「汚い人で貧乏な人でキモい」っとなって避けられたりもします。昔遊んでくれた知り合いだからそんなことは気にならないのです。
そんな自分との関わりを持てる幼少期はチャンスです。なので、お正月のお年玉もいいけれど、「この人と一緒に居たい」と思わせる何かが必要不可欠。
実家住まいで独身者なら家におもちゃは無いかも知れません。けどもし甥や姪の家に無いであろう楽しさがあるしたらそれは実家にやって来るメリットです。
楽しさとは、ワクワクする体験と先程言いましたよね。ゲームだったり、近所の公園だったり、お絵かきだったり、とにかく、一緒に遊んであげること。こんなローリスクな投資はない。
そうなれば、「暇な実家への里帰りに突き合わされるのはうんざりだ」と思われず、「わぁ~い!おじさんに会える!♡」とモテモテです。
「ザイオンス効果」と「洗脳」は”幼い頃から”がカギ
人は無意識に操作されて生きています。「いやわたしは違います!」って人でも、幼いころから慣れ親しんだ習慣とは常識です。けどそれは思い込んでいるだけのこと。
たとえば日本人なら誰でも日本語を話します。それは親が日本語で話しかけたから。
- なぜ”お化け”が怖いのか?
- なぜ”バチが当たる”と考えるのか?
それはこの世の最初の案内人(親・先生・友達・テレビetc…)などが、その情報を脳にインプットしただけのこと。
もし「お墓の概念」が無いとして地震で塀が崩れてしまったとします。そんなとき古い墓石がありました。「これ丁度いい」と思い塀として使うかも知れません。
けど私達には墓石をそんな風に使ったら(呪われる・罰当たり・世間体が悪い)ので、まずありえません。それはそう思わされて育った証拠。宇宙人には無い概念。
甥や姪の話に戻しますと、今話した原理と同じ様に、幼い頃から「そういうものだ」と思わせることが肝心です。
ただ、さっきも言った様に家族の在り方は変化しています。いくら子供の頃から里帰りのインプットをしていても、楽しさが無ければ自発的におじさんに関わろうとは思わない。
そして「ザイオンス効果」という心理学用語があります。簡単な話、”接触回数が増えほど好印象を持つ様になる”こと。
豆に遊んでくれる人と年に数回しか合わない人とでは、やはり豆な人なのです。そうなると盆正月以外でも積極的に関わって行くことも必要です。
夏休み・冬休み・ゴールデンウィークなど、もしかしたら家で暇しているからも知れません。そんなときがチャンスです。
小さな子供は自分でおもちゃを買いに行けないし、自分で映画にも行けません。大人と一緒じゃないと味わえない体験を与えてくれる人とは冒険の案内人。
子供はただ手をつなぐだけでワンダーランドへと連れって行ってもらえる。そんなおじさん・おばさんが好きにならない訳がないのです。
これが、わたしの子供達が妻の兄弟(実家)へと行きたがる理由です。
おわりに
これは既婚者のわたしから見た偏見だし、勝手な望みなのかも知れません。
けど、もしわたしが子供達の立場だとしたら、受験の合格・車のライセンスを取得・就職・結婚・出産など、人生の転換期があるたびに報告しに行くと思います。なぜなら、きっと喜んでくれて祝ってくれるからです。
なので「たかられる」と思うか「喜んだ顔が見たいから」と思うかによって、今後の人生に差が出るのは必然的なのです。
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