「49対51の法則」と言う概念があります。見ての通り、何をするのかどうかは、たった1%に左右されているという考え方の意味。
イジメ・モラハラ・パワハラや「憎まれっ子世にはばかる」そんな状況から開放されたいもの。最後に出来ることは無いのでしょうか。
「そんな会社は辞めれば」と言うけれど、簡単に言うよね
アラフォーにもなれば勤続年数は永いことでしょう。慣れた会社です。執着は当然の心理。「簡単に辞められない」のは誰もが同じこと。
そして私達は”我慢するのが当たり前”の昭和育ち。みんなと同じと教育されてきた従順なロボット。自分一人だけ途中から進む道を変えるのは本当に勇気がいること。
何か気に食わない事情になるたびにコロコロと転職するとしたら、当ブログには来てないはず。辞めるのに躊躇することも無いでしょう。
わたしは新卒で入社した企業をすぐに辞めてしまい、それから何度か転職を繰り返し、今の会社に結構永く勤める古株です。それが出来たのは今と違い、抱えているモノが無かったから。
ですが妻子持ちの中年ともなればそう簡単にはいかないもの。独自のスキルが無ければ年齢の壁は年々高くなる一方。迷うにはそれなりの理由はあるものです。
永く勤め上げたなら当然、給料もボーナスも新人より多いのは一般的。けど転職すればあなたは新人です。すべてはリセット。1からやり直し。
しかも妻子持ちにはハードルが高いです。独身とはちがって身軽ではない。運良く今よりイイ会社に入れたらラッキーです。でもそうとは限りません。
きっと独身でも同じでしょう。仕事にやり甲斐がある・それなりのポジションにいる・今まで積み上げてきた”何か”を失いたくないものです。
そんな財産を、”特定の何人かの人達によって奪われる”なんて、考えてみたらおかしく無いですか?
イイ会社、誰もが入りたがる会社は求人しないのが普通。いつでも誰でも入れるのは大抵は何かある。だから常に募集しているのです。ブラックからブラックに行く様なもの。
転職先にも同じ様な人が居ないとは限りません。どこにでも問題児はいるのです。そのたびにまた転職するのは地に足がつかない状態。もっと不安になるかも知れません。
それでも病気になるくらいなら、そんな会社辞めた方がイイ選択もあります。けど、いざ辞めるのは本当に難しいものなのです。では他にやるべきことは無いのでしょうか。
言葉に出そう。人が「何を望むのか」は誰にも読めません
一見正常に見える様な物でさえ、異常はあるものです。なぜそれが分かるのかと言えば、フタを開けて中身を見たからです。
もし誰が見ても「それって犯罪でしょ?」と思われる仕打ちを受けているのなら、誰かが助けれるかも知れません。
けどモラハラやイジメをする人は手口が巧妙で陰湿。分からない様に、何かあっても言い逃れ出来るズル賢さを持っています。だから立証が難しく、公(おおやけ)にはなりません。
そしてイジメが続くのは大抵、イジメを受ける側が気が優しく弱く我慢をするタイプの人。
それとは逆にイジメる側から見て”自分が持たない何かを持っている”、それに嫉妬しているケースもあったりします。
もし嫌がらせや悪口などをされても全く無反応だとしたらイジメる側にとっては面白くはありませしね。死んだ人を蹴飛ばして喜ぶ人は居ない。
しかもモラハラをヤル側に調子を合わせていれば周りとしても、「じゃれ合っている・そんなに深刻では無い」と、誤解されがちだったもする。
これだけ我慢をし続けていれば、
- いつか誰かが助けてくれるだろう
- いつか上司が、人事異動してくれるだろう
- 悪い奴は成敗されるだろう
と、「周囲の人達や、同じ立場の人間よりも上の立場の人が何とかしてくれる」という願いを抱くことはないですか?
残念ながらそれは難しいと思います。なぜなら人は他人が本心では何を考えているのか分からないから。超能力者ではないからです。
耐えられないのは自身をアップデートする時期に来ている
かつてわたしの職場にはモラハラをする年配者がいて、みんなストレスでした。どうやって向き合えばイイのか、常に試行錯誤。結果どうやっても不快な状況を変えることは無理でした。
わたしが我慢し続けてきたスタンスは以下の通り、
- 人に相談する=チクる・弱い
- もう無理(一緒に働きたくない)=泣き言・投げ出す人
そんな思考では、上司などに相談など出来ないでいました。だがしかし、社内の風向きが追い風になったのを堺に気持ちが変化。
「あぁ、もう、そんな”人からの評価などどうでもイイ。これからは他人の気持ちより、自分の気持ちを守っていこう”」と、それまでの自己イメージを手放せたのです。
逆に言えば「嫌われたってイイ」という自己の開放。そんなマインドになれたので、部署を取り仕切る上司にこういいました
「もうあの人とは一緒に仕事は出来ません。何とかしてください」的な被害を訴えることが出来たのです。それはみんなが周知のこと。これ以上、期待にそえません。
巧妙なイジメをする人とは空気に敏感です。必ずいまのままを維持するために強く圧力をかけてくるでしょう。
なぜならその相手は、当然の権利を侵害されたと思うから。せっかく洗脳した道具がバージョンアップしてしまい、自分仕様では無くなってしまうからです。
それでも絶対に信念を曲げないこと。どうせ辞めるなら最後の戦いと腹をくくりましょう。
この世は物理の世界。投げた様に返されるし、投げないと返ってこない仕組み
散々苦しめてきた相手です。どんな手を打ってでもやり込めた方がイイのでしょうか。いいえ違います。それは、つつしむべき行動です。
戦い方のポリシーは正義がオススメです。長い目で見れば間違えありません。なぜなら、人がやることは誰かが見て憶えています。将来あなたが攻撃を受ける要因を作ってしまう行為。
「お前、あの時、そうしたよね」しかもその過去を出汁にしされ、今度はあなたに返ってくるのがこの世のルール。(因果応報)ではどうすればイイのでしょうか。
あなたがその相手にヤラれたこと・してもらえなかったことをしないこと。意地悪返しをしないことです。
自分を助けてくれる立場の人たちから同類と思われてしまうし、他の人達を巻き込んでしまうからです。
揉め事になった理由がその相手の法律違反・社則違反・道徳や社会的倫理に反することだとしたら、それはケンカではなく、自分を守るための当然の抵抗です。
そんなとき、同じ様に意地悪を返してしまうのは相手のルールで戦う様なもの。そんな双方をジャッチする立場の人が見たらどう考えるのか。喧嘩両成敗に成りかねない。
悪いのはイジメる人。あなたを操作しようとするその相手です。
たとえ猫なで声で接して来ても、とにかく決意し続けるその姿勢を曲げてはいけません。なぜなら、ほとぼりが冷めたころにまたモラハラが再開するからです。人の”性”は変わりません。
わたしの場合のモラハラ人は、能力的にも年齢的にも必要とされない立場の人。モラハラが通用しないことを察知すると相手は弱いもの。上司でもなければ何の力も無いただの平社員。
今度は手の平を返す様に大人しくなり、結局は本人の予定よりも早く会社を依願退職して行きました。
その時わたしは思ったのです。
- もっと早く、モラハラ人の言いなりならずな態度や行動をしていればよかった
- もっと早く大きな存在に声を上げていればよかった
- 自分たちは、何てせまい世間(考え方)で生きていたのだろう
つまり、自己イメージ(泣き言はダメ)の執着を手放したことが成功の要因だと振り返っています。
モラハラはその人の弱みや痛いところをついてくる行為です。その相手に餌(えさ)を与えなければ生きられないと知りました。聞く耳を持たないことが大事だったのです。
そう思える様になれれたので、会社を辞める理由は無くなりましたよ。
おわりに
繰り返しますが、
- とにかく一度決めたらその信念を貫いて、言いなりになるのは止めること
- 自分の居る上のコミュニティに助けを求めること
我慢していい子ちゃんを演じても採取されるだけ。ただ利用されるだけですよ?
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