後悔力が成功のカギ?「後悔先に立たず」の本当の意味が目的を達成する

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過ぎたことをいつまでも考えてしまうことってないですか?

次からは後悔しないためには、一体どうすればいいのでしょうね?

とてもシンプルな考えです。当たり前ですが、ちょっとだけ見直してみましょうよ。

 

「アドラー心理学」について簡単に書いてあります。

 

どっちが地獄?後悔には2種類のパターンがある

「後悔先に立たず」という格言があります。

「過ぎてしまったことは戻らない」という意味です。

やってしまった後悔よりもしなかったことの方が後悔が強いといいます。

正にそのとおりです。

「やってしまった失敗」は、後悔ではなく勉強になります。「次はこうしよう」と思い、軌道修正のための参考になるからです。

 

でも、「やなかったこと」はちがいます。

「何であの時やらなかったのだろう」という「終わらない問いかけ」として、後悔だけがいつまでもこころに残ってしまうからです。

 

ある意味地獄です。

「もしかしたら上手くいっていたかも知れない」と思うからです。もし自分があきらめたことを他人が成功していたとしたら嫉妬します。最低です。だって、それをやらなかったのは他ならぬ自分自身だからです。

 

人の悩みの発端をたぐり寄せると、たいてい人間関係に行き着きます。

「今日は何を着ようかな?」って思うのは他人の目が気になるからです。本当の自分を表現出来ないのは他人との関係を意識してしまうから。自分への利益を考えてしまうからです。

 

常夏の誰もいない無人島で生活するとしたら、素っ裸でも平気です。服を着る必要がないからです。

「もし他の誰かと、たった2人だけで過ごしていた」としたとしても平気です。ほかの第三者に「あの人は○○だよ」とか秘密を告げ口する相手もいません。

恥ずかしいから服を着るのではなく、差をつけたいとか、自己表現のためのフアッションとして飾り付けをすることでしょう。

 

2人だけではコミュニティーにとは言えません。

でも、あなたは社会人です。たくさんの人達とつながっています。現実は受け入れるしかないのです。

 

後悔しないためには「やるっきゃない」です

後悔しないための唯一の方法は1つしかありません。

やるしかないのです。

そしてポイントは、

恥をかく覚悟を決めることです。

 

突然ですが、

「アルフレッド・アドラー」を知ってますか?

「嫌われる勇気」という本が2015年ころにブレイクを果たし話題になりましたよね?

わたしは「嫌われる勇気」をまだ読んでません。他の本でアドラー心理学をかじっていたから、ちょっとだけ知っていました。

 

アドラー心理学の特徴は「目的論」

世にもてはやされている考え方が「決定論」です。

「原因があって結果がある」という、自然の法則のことです。

「Aが起こったのはBにある」という具合に、何かの現象が生じたのは、原因をつくった人や、ものごとに結びつけてしまうことです。

 

たとえば

「会社から辞令で役員にばってきされたけど、断ってしまった」とします。2人の心理を考えて見ましょう。

 

決定論だと、「年功序列や仕事の能力や他の社員と比較しても彼だろう」という理由で「会社側は昇進を判断した」と思うのがふつうです。

 

しかし、ある社員を追い込もうとした人が人事だったときの「目的論」に立って考えてみましょう。もし会社側が「この社員を大人しくさせたい」という目的があったとしたら、

「昇進を断ることが分かっていて辞令を出したとしたら」どうでしょう。

 

この昇進を断った社員を大人しくさせることができます。

「何でやらなかったの?自分で会社を改革すればよかったじゃん!」っていえます。

もし承認したとしたら「パワハラでいじめることを目的」にできます。自主退社に追い込むことが目的だからです。

 

そして、断った側の社員はどうだったのでしょう。昇進を断った社員は、出世よりも別に強い目的があったことも考えられます。

 

自分が上司になり部下を引っ張る側になったときに、「批判されたくない」という心理を強く持っていたとしたら、嫌われてストレスになるくらいなら、「平社員のままでいい」って考えます。

つまり、「平和な環境の平社員でいることが人生の目的」だったかも知れません。

 

本を書かないのは、本を書く才能がない、才能がないのは勉強しなかったから、という結果だけではありません。

「書くことによって批評される」という目的も大いに考えられるのです。

でも、やらなかったことを後悔することも想定できます。

 

 

だから、悔やむくらいなら、前向きな目的を持つしかありません。

「後悔したくない」ことを挑戦するための目的理由にするのです。

そしてその理由が、

「やらなかったとにの後悔は大きい、後々まで引きずる」という理由です。

つまり、後悔しないために挑戦することを目的にするのです。

 

思い出してみましょう

「もう若くないから・・」といってアラサーのころ、十代の若い子に引け目を感じてあきらめたことはなかったですか?

今それを思い出してみましょうよ。40代になった今どうですか?

アラサーって若かったですよね?何で、おやじ(おばさん)って思ってしまったのでしょう。

今振り返ると、バカな考え方ですよね?人生の全体像がまったく見えてませんでしたね?

 

何かをするのに「遅すぎる」ということはない

 

誰がいった言葉でしょう。正しくそのとおりです。この言葉につきます。

 

アドラーのことば

 

勇気は本人でしかつくれない

勇気と責任

勇気というものは、スプーン1杯の薬のように提供することはできません。

責任を引き受ける訓練と、勇気を持つ訓練は、完全に表裏一体なのです。

『アドラーのケース・セミナー』

P248

 

「挑戦することとは、勇気を持つこと、責任を引き受ける覚悟が持てるようになる練習」だとでもいっているのでしょうか?

つまり、「自分で身につけるしか方法はない」とい解釈しました。

 

劣等コンプレックスが成功のカギ

失敗を恐れない

思うに、人が自分のことしか考えられなくなる理由というのは、失敗することを恐れているからではないでしょうか。わたしが成功したのは、劣っているという感覚に刺激されたからにほかありません。

『劣等感ものがたり』

(『アドラーの思い出』収録)

P218

 

アドラーは劣等感こそが成功の秘訣といっています。

「足りないから、自らが足すしかない」「足すためにはどうすればいいのかを考えて行動しろ」っていっています。

 

劣等優越は見せかけのカンフル剤

間違っていけないのは、劣等優越です。

劣等優越とは、まちがった方へ向けてしまうことです。

背が低いことをコンプレックスにいだいているとしたら、勉強をして知識をつけて頭脳を使った方向で成功を目指すことが、アドラーがいう良い劣等回避の方法です。

 

でも、背を高くしたいからといって、いつも竹馬に乗っていては何の解決にもなりません。

ガンダムを操縦していては買い物できません。ただ迷惑なだけ。本人が満足するだけす。まったく社会に役立ちません。

 

「勉強が出来なくって、進学できなかった」としたら、「みんなよりも、いい学校に行くために必死に勉強をする」「手に職をつけて早く一人前になる」ことが真の劣等回避です。

 

オートバイを改造して母校を流しても心は救われない。一時的な快楽であって、ただのごまかしです。一時的なサプリメントでしかありません。本当の苦労を知り、大人になったあなたなら分かるはずです。

 

世の中のためになる、社会に貢献することで、人は自尊心を満たすことができるからです。

おれ、誰かの役に立ってる」って思いだけが救いなのです。

だから、劣等感を感じたら、正しい劣等回避を人生の目的に設定すれば、「後悔の念」をいだくことはないのです。

 

わたしの人生振り返ると

わたしは25歳くらいのころから数年間、社会人バンドの活動をしていまいした。

一緒に対バンをするバンドの年齢はピッチピッチの10代がほとんどです。

「どうせ歳だし28歳はおじさんだ」とメンバーと言い合ってダラダラと楽しんでいた時期があります。このころ、

「あ~もっと若い内(10代のころ)に本気でやっていればよかったね」って後悔していた思い出があります。

 

でも、18歳で高校を卒業したころにバンドをフェイドアウトしてしまったのは、環境の変化はもちろんですが、「他に興味が移ってしまった」からです。

 

車を改造して楽しむことが目的、気の合う仲間と夜の街をエンジョイすることが目的、彼女を探すことを人生の目的にしてしまったからです。

 

「社会人になった結果、バンドをやる機会がないくなってしまった」んじゃやないんです。

バンドで売れることを目的にしていた、上手になることを目的にしていた、音楽とかかわってることを人生の目的にしていた、としていたら、他をさて置き、バンドをやっていたはずです。

なぜなら、選ぶことができたからです。

そして、28歳はまだまだ若い年齢でした。

結局は、「バンドで飯が食えるわけねぇ」「地道にやることを目的にしていた」というわけです。自分で普通の人を選んだんです。

まだ見えない先を恐れていたからです。

後悔しなためいは、逃げないこと、挑戦し続けることしかありません。

 

おわりに

トラウマでさえ目的があるとアドラーはいっています。

嫌な出来事が拒否反応を起こすのではなく、それを都合のいい理由として使っているといいます。

したくないことをトラウマとして無意識に働いてしまうでしょうか?

言われてみると当てはまることばかりです。あなたの自身や回りの人たちはどうですか?

「目的は何か?」という視点で人を観察すれば、何かのヒントになるかも知れませんね。

 

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