
満たされない想い
わたしは昔、あおり運転をする助手席に乗っていたことありました。
「そんなに怒ることではないのに・・」と思う中、知り合いはカンカンです。その原因は色々あることでしょう。
かつて居た場所の人間模様から、心理学の本を参考に、勝手に分析してみましたよ。
1. 人は見た目で相手を判断するのは人の本能です
人はいじめをやめられない生き物です。「こいつは弱いやつ」だと思ったら攻撃する本能を持っています。狩りは弱った個体を狙う方が捕まえやすいからです。
自分が急いでいるのに前の”弱そうな車”がゆっくり走っていれば、攻撃したくなるのは、見た目が弱そうだし、怒っても大したことはないと考えるからでしょう。
きっと、あおったり、車間距離をつめても、抵抗しないだろうし、もし抵抗しても、ダメージを受けないと高をくくる心理が働くからです。
あおり運転とは、弱い者を倒したい本能による可能性はあるでしょう。
2. 人は怒りを捏造(ねつぞう)する
そんな小者がもし、あおり運転者に配慮した態度をとらずに無反応だったり、あおり運転者に対抗する素振りを見せたなら、逆上し、よりあおり運転が強くなるのは当然の流れです。
なぜならビッグな俺に対して、こんな弱っちい、何の力も経済力もない野郎が、なめた真似をしやがるからです。
では、もし、あおられた車からこんな人が降りてきたらどうなのでしょう。
- 反社会的勢力者だった
- 首服警察官だった
- 身長2mの格闘系マッチョが降りてきた
- 憧れの有名美人女優が色っぽく降りてきた
- お世話になっている人(利害関係者)だった
おじいいさんや学生が乗るような安いセダンや軽自動車から、貧弱な人間が降りてきた時と同じ様な態度をとれるのか?
きっと、その時々によって自分の態度や感情は変わるはず。つまり自分を誇示するための手段として怒りを使っただけ。怒りとは出し入れが自由自在な道具なのです。
これはアドラー心理学の考え方を参考に書きました。ではなぜ怒りをつくりだす必要があるのでしょか。
3. 過去の栄光の中で生きている
過去の栄光にすがっている人は、いま不本意な人生だからです。そうなると、輝いていた頃を再現したいと思う様になる。と同時に、輝けるきっけかを探している状況で、電波を受信している状態。
そこに獲物が現れると、輝くための行動をとりたくなる性分が本人を犯行に駆り立ててしまうと考えられます。
- 若い頃は地元では有名な悪で、先輩先輩と崇められていたのに、いまは頭を下げる身分
- 以前は会社経営で収入ガッポガッポだったのに、いまは倒産寸前だ
- 昔はモテモテだったのに、いまは見る影もないほどの自分がいる
昔はチヤホヤされていたのに、いまは誰も慕ってこない。そんな自分を認めたくないことでしょう。
その憂さ晴らしとして、弱そうに見える人を叩くのです。(本当に強い人は、弱者を守ることに喜びすら感じます)
あおり運転とは、自分の思い描く人生と今のギャップをうめるための表現法なのです。
4. 自慢をしたがるナルシスト
「俺はすごいんだ!価値ある人間だ」そう思いたいのを自尊感情というそうです。自信は行動力を高めて人生を変えることにも必要な心理です。けど過剰になると毒にもなり得ます。
親に溺愛されて育つと「自分は優秀である」と思いがちになり、逆に愛情を受けずに育つと、マイナス体験を埋めるために「自分が優秀である」と考えがちにもなるそうです。
「自分はすごいんだ!」と自分の力を見せたくなるのは、ひょっとしたら、自分が優秀であることを世間に見せつけて、一目置かれたいのかも知れませんね。
あおり運転をする人は、他人からの良い印象を、やたらと身なりを気にする人に多い様に思えてなりません。なぜなら人にバカにされることを恐れているからです。
きっと、方向性は違えど、他人の目を気にする、こだわりがある人ではないでしょうか。(何かに、なりきっているタイプ)
5. 自尊心が低いほど他人と比較したがる
自尊感情が低い人ほど「他人の不幸を喜び、幸福をねたむ」と心理学で言われています。そんな人がキレるのは、自分と相手を比較して出した答え。それがあおり運転なのです。
例えば「世間は日曜日で行楽地を楽しくゆっくり走っている。なのに、こっちは仕事で忙しいく、飯もまだ食えてない」とします。
辛く不幸な自分と、楽しそうな相手の比較からくる感情は、他人の幸福をねたんでいる現れと言えるでしょう。
自分の劣等感(人が休んでいるのに働かないと生活できない自分)を消すために、人を批判する(涼しげに前を走る車を攻撃したくなる)のです。
それは「自分の正しさを誇示するため」でもあるそうですよ。
相手を攻撃して、自分から逃げたり、謝るのを見て、「自分は間違ってない」と思い込みたいとも考えられるでしょう。
6. 劣等感情を優越コンプレックスを用いて解消する
劣等優越をもって、耐えがたい劣等感をおぎなうのが優越コンプレックスの正体です。
正しいコンプレックスの使い方は劣等感をバネにして、それまでの自分から良い状態にもっていくこと。それには時間と手間と根気が必要になってきます。
そこで登場するのが劣等優越でコンプレックスを消す方法です。
たとえば自分を大きく見せるための手段として、
- 収入にともなわない高級車を乗る
- 強面使用に改造する
- お金もないのにブランド物で着飾る
- 本心よりも、他人(自分と同じ様な集団)が、うらやむ買い方をする
それらは過程をはぶいて結果だけを求める行為。自然ではないのでいずれ自分を苦しめてしまう。自分には嘘はつけません。そんな自分が更にコンプレックスとなってしまうのです。
本当に腹が立つ相手とは、あおり運転をする自分自身。本当は変えたいけど、今更変えられない自分へのイライラから来ていると思えてなりません。
7. 流行りのものが欲しくなる。周囲の人達と同じ行動を取ろうとする心理
人はなぜ流行りに敏感になるのでしょう。それは同調行動が働くからだと心理学で言っています。
たとえば、何か多数決をする際に、自分の本心をねじ曲げてみんなの意見に合わせてしまうことです。なぜなら安心するからです。
人は集団に所属したい願望を普遍的に持っています。集団からはぐれたら生きてはいけないと遺伝子に刻まれてるからです。
では、その逆を生きる人をどう思うのでしょうか。つまり、多数決に対して独りだけ違う意見をいうことです。
そうなると「変わり者」だとレッテルを貼られます。それは人にとって非常に怖いこと。なぜなら、先程言ったように、死を意味するからです。
「反逆者は攻撃・排除してもイイ」大義名分の出来上がり。
「みんなと同じじゃない車(不人気車種・時代遅れの車)に乗っているヤツとは異端児で集団の敵。叩いても許される」と攻撃するとも考えられるでしょう。
「こいつは世のハグレモノ=仲間がいない」と認識し、大したことは無いし、やり返される率も低いリスクのないヤツだ」と考えたりもする。
村社会によくある風習で「仲間外れは、いじめもイイ」の心理(村八分)と同じです。
あおり運転者にとって、多くの人が欲しがる流行りの車ではなく、時代遅れで価値のない車に乗る人はバカにされて当然。敵として攻撃したくなると考えられるでしょう。
8. マズローの欲求5段階説によって満たされてない
マズローの欲求5段階説とは、人間が精神的に向上するには、以下をクリアーして行く(昇る)ことが条件だという考え方です。

マズローの欲求5段階説
- 1番下=『生理的欲求』=お腹が満たされる。よく眠れる。性的な欲求が満たされる。
- 2段目=『安全の欲求』=安全な(戦争に巻き込まれない・雨風しのげる)場所が欲しくなる。
- 3段目=『愛情・親和と所属の欲求』=誰かに深く愛されたいと思う(家族・友情)どこかのコミュニティに所属したいと考える。
- 4段目=『自尊心・承認の欲求』=他の人から認められたいと思う。そこで出世したくなる。
- 5段目=『自己実現の欲求』=最後は自分の心の底からやりたいことを実現して、満足している自分になれる。
⇒自分の「好き」を、いつもあきらめてしまう私が心動かされた理論とは?
- あおり運転者は、もしかしたら、不眠不休で運転していたのかも知れません
- 常に身の危険を感じて、不安な心理状態なのかも知れない
- 家族に愛されず、友達も居なく、同じ仲間がいないのかも知れない
- 生きていくための収入源として、仕方なく走っているのかも知れません
威張る人の心理として、人から尊敬され、黙っていても上げ膳据え膳で、ペコペコされる親分でいたい理想像を持っているのにも関わらず、そうじゃないことへのいらだちがある。
この段階説からあおり運転者を見ると、本来自分があるべき姿、いるべき環境ではないことへの不満がある様に思えます。
9. ギャンブル心で満たされたい
あおり運転とは、言い換えれば勝負を仕掛けること。そこで勝てば脳からドーパミンが出て快楽を得られます。
ギャンブルとは、楽して一発逆転したい心理の現れです。勝ったこと、他のライバルをさて置いて自分の予想を当てたのは、自分はすごい人間で、価値ある人だと思う心理があるからです。
あおり運転者の心理とは、いまこの瞬間だけ勝ちたい想いが働いている可能性も捨てきれません。
10. サングラス効果
「自分とは怖い人だよ」をブランディングしているのも考えられるでしょう。
人は変身願望を持っています。幼いころ正義の味方や、可愛い魔法使いに憧れるのが証拠です。違う自分と錯覚することで、力を発揮出来るのも人の持つ不思議な能力です。
この様な「自分であって自分でない心理」に執着する人とは劣等感を強く持つ人。そんな人ほど、その変身した自分を心地よく感じると心理学では言っています。
「目は口ほどに物を言う」の逆をついたのが、サングラスや車の窓に貼られた真っ黒なスモークです。
アイコンタクトがある様に、人は口や行動よりも目からの情報を1番信頼する様になっています。
つまり、サングラスをかけて、こちらの情報を与えたいことで、「こいつ何考えてるのかわからない」と思わせることも出来てしまう。
そしてスモークやカーテンの中にいると、外とは別世界と認識するとも聞いています。
つまり相手の車とは同じ現実世界に存在してないと思えてしまい、バーチャル感覚におちいってしまう。
自分は相手をよく見えて、相手はこちらを認識できないことが攻撃心理を高めてしまうと聞いています。
あおり運転者とは、車の万能性が錯覚を起こしているとも考えられるでしょう。
おわりに
もし自分が本当に幸せだとしたら、その状態を壊したくないと思うはず、なぜなら人は、いまある状態を維持しようと働くから。脳は変化を嫌い安定を望む様に出来ているからです。
チラチラとバックミラーを確認して「俺をなめてるヤツはいないか?」と攻撃を待っている様な人もいることでしょう。
そしてアオリ運転に対抗してしまうのも、またその人自身も同じ様に満たされてないからだと思います。引き寄せの法則とは正にこのことなのでしょう。
とはいえ、余裕が無いことが切羽詰まってしまう要因だと思えてなりません。
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