悪しき関係から抜けるには「少しの勇気」と「馴れ合い」をやめること

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必ず追い風は吹く

「分かっちゃいるけど抜けられない」そんな関係から、なぜ抜けられないのでしょうか。

自分の本心に嘘をついて生きるのはかなりのストレスです。ここは一つ、その思いを相手に告げて、望まない関係から抜け出せたらイイですよね。

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自分が望まない『悪しき習慣』からぬけるには、チャンスを活かすこと

世の中にはたくさんのルールが存在します。それは規則をつくることによって「問題が起きない様にするため」なのは知っての通りですよね。速度制限があるのは事故を減らすため。

でも時として人はルールを守らなくなることもあったりします。

  • 無知(物事の意味が分からない)
  • 本人が管理する側の立場ではない
  • 責任の所在が曖昧(罰則が低い)
  • バレなければ大丈夫
  • 面倒なことはしたくない

など、つまり規則を守るメリットを感じない、守らないことにメリットを感じるってことです。

けれどそんな人であっても、色々と経験を積み、人生観も変われば、生き方を変えようとします。

  • 「俺は間違ってたよ。これからは正しく生きて平和に過ごすんだ」
  • 「意味の無い規則でも守ることが生活を守ることにつながる」

など思う様になる。気持ちはどうあれ、行動を正す様になるってことです。

たった独りの環境なら直ぐに行動に移せます。多人数でも、共に同じ方向に歩き出すことも可能です。けど集団行動では難しいものです。

同じ物事が起こっても、必ずしも他の人達も同じ様に心を入れ替えるとは限りません。なぜなら人それぞれ目的(信念・ポリシー)がちがうから。脳の構造(思考)も同じでは無いからです。

もしあなたが今いる環境が不正にまみれ、規則違反がまかり通る状況だとしたら、独り(少数)が正義を貫くのは、かなりハードルが高いです。

いくら間違った習慣だとしても、少数派とは反乱軍のアウェイ者。同調圧力に負けて流されるのは普通です。なぜなら人は群れからはぐれることを恐れる遺伝子も持つからです。

それでも「これって良くないよぁ」って思うのは、あなたの心(脳内のデータ)からのメッセージが、自分に対して危機を知らせるからです。

ではどのタイミングで行動に移すのがベストなのでしょう。その一つが、相手が弱っている時で、反対派が大人しい時期がチャンスです。

わたし自身、同調圧力に負けしまい、相手の作戦に乗ってしまい、後悔もあったけど、中々悪しき関係図をやめることが出来ないでいました。

けど、やっぱりこれは良くないことだと思い直し、その悪しき関係から独りぬけることを告げました。

切っ掛けは、正しく生きれば恐れることは無く、堂々と生きられるし、結局この世に悪は栄えないと実感したからです。自分たちは正しかったのです。

不正が蔓延する会社でも「悪に流されてはイケナイ」は正しかった

「悪しき馴れ合い関係」を利用する人もいる

もう一つありまして、この事案によって、悪しき関係を強要する人からの「ある一言」が行動の決定打になりました。

問題になった規則違反の話になった時に、ルール違反推奨派の人が、ポロッとつぶやいた言葉です。「もし俺がこの件で追求されたなら、他の規則違反を持ち出してやる!出るとこ、出てみろ!」ψ(`∇´)ψ

負け惜しみ混じりに、問題となった件を真面目にやっていた人に対して脅したのです。ニヤリと笑みを浮かべながら言いました。

そうなんです。確かに他の分野で決め事を守らずにアバウトにしている業務もありました。大局に立てば、私達は同じ穴のムジナ。質は違えど同レベルということ。

その部分を正しくやるとなると、本当に骨の折れる仕事にもなり、目をつむってもらっているのも確かです。その私達の弱い部分を付いてきたのです。

そして最大の理由は、その規則を守ると時間と手間がかかってしまい、その規則違反推奨派の怒りを買い、モラハラを受けてしまうことを恐れての行動でした。(モラハラ人対策)

「職場お山の大将」に目をつけられてモラハラ!反撃ではない対処法

つまり、モラハラ人の都合に合わせてあげているのにも関わらず、その施しすら道具(出るとこ出てみろ)に変え様としている。私はいい加減気づきました。

そんな人間とは真の仲間ではありません。結局そういう人は、自分が不利になれば、どうにでも転んで行くのです。手のひら返しも平然とやってのける。良心を持たない人はいるのです。

「もうこんな人とは線を引こう」と腑に落ちたので、悪しき関係からぬける決心へとなりました。

「今日から自分、それ、いたしません」とわたしが告げると、いつもなら、難癖つけてくる人間が、何も言わずに微笑むだけ。

いま騒ぐと自分が不利になるから。&「後で見てろこの野郎」の意味でもある。( ̄ー ̄)

決心とは、私達が犯している小さなルール違反に対して、ちゃんとする、自分達ができる精一杯をやってみるってこと。

つまり、モラハラ人からの攻撃をまともに食らう覚悟でもある。

恐喝者に餌を与えない。自分の襟を正す覚悟が必要

「面々の蜂を払う」というコトワザがあります。「他人のことをとやかく言う前に、まず自分のことを省みなければいけない」の意味です。

自分を守るためにも、相手がルール違反をする餌を与えないためにも、「自分を律することに歩き始めてみよう」と考えました。

そんな正しさを貫く人達にとっては正に追い風の時です。この時期を理由にして状況の方向転換してはどうでしょう。

何でもない普通なときに自分の思いを告げても理解されません。「は?お前アホか?」と益々、居辛くなるし、もしかしたらイジメの対象になることも考えられます。

でも、世間が注目するその時期なら、「他の規則違反も正して置かないと、何かあったらマズイよね」と理由付けにも使えます。そんなゴタゴタを利用すれば相手は納得するかも知れません。

そして”うみ”を出すなら今がチャンスです。いま信用がガタ落ちな時なら目立ちません。後で出したら(バレたら)目立ちます。

不祥事の記者会見のたびに二転三転と意見を変えたあげく、最後の最後でやっと正直に話しす人を見て、あなたはどう思うのでしょう。

おわりに

問題とは言わば「果実」です。その一つの現象だけを正しても、本当の意味での解決にはなりません。なぜなら、それが実るには実る過程があるからです。

そしてその一つの悪の実をもぎっても終わりません。必ず他にも別の悪しき実は成っているものです。悪しものに感染した他の実も、同じ様にもぎ取られる運命にあるのです。

「いや、私は本当はやりたく無かったんです」と、いくら弁解しても罪は罪。

だったら自分の小さなほころびを正すことから始めましょう。相手が弱っている時、そして味方になるであろう、大きな存在が注目している今がチャンスという分けです。

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