誰にだって「どうしても自分と合わないタイプの人」はいるものです。
それでも一緒にやらなきゃならないのは、ほんと辛い事情ですよね。
特にグループで何かをやる場合、不本意でも足並みをそろえないと全体としてまとまらない。
しかしながら、なぜあなたは「合わない人」だと考えてしまうのでしょうか。
もし相手の事情を知ったらなら、少しは相手を受け入れられるかも知れません。
グループ進行の職場の定員が減ると、その分負担になり、業務は詰まる体験からの気づき
わたしが働く職場の仕事の内容は、必ず他の誰かといっしょになって仕事を進める形態です。
これはあくまでも仕事上の都合。人は感情の動物です。そこが問題。
「常にグループ行動」の仕事を想像してみてくださいよ。本当に色々な性格の人がいるものです。気が合う人もいれば、自分とはまったく合わない考え方の人もいる。
最初は相手の様子をうかがって気を使ったりもするのですが、毎日のことです。慣れてくるとそのうちボロが出てしまう。
特に「自己中心的な人」や「楽をしようと考える人」や「承認欲求の強い人」などは職場を乱す元凶です。
▼わたしは職場にいる”年配のモラハラ人”によって日々悩まされています。
⇒逆ハラ老部下に苦悩する年下上司からモラハラ対策を学ぶ
社会的常識が崩壊した職場になると、通常ありえない上下関係が出来上がってしまい、業務が上手く回らなくなっているのが現状です。
今回、そのワガママ自己中モラハラ人が会社を休みました
正直いつもならせいせいして精神的にリラックスした一日を過ごすことが出来るのですが、今回はちょっとちがいます。
その日は丁度仕事が忙しく、小休憩もできないくらい、ずっと作業しっぱなしな状況で、あたふたな一日となりました。
いくら精神的に楽になるといっても、行動なくして仕事は終わらない。1人いない分の負担は残された社員にのしかかってきます。
いつもなら、モラハラ人がいない分、張り切ってしまう自分がいます。でも今回、思った感情とは、
「ちょっと休憩させてよ・・。もう少しゆっくりやってもイイんじゃない?」体力的に疲れてしまい、内心、腹が立っている自分がいたのです。
わたしはマジメな方だと思っています。一生懸命にやり過ぎてしまい、よく”人に止められる”くらいの人間です。そんなわたしがですよ。
わたしも40代。決して若くはありません。調子がいいときもあれば、気持ちが入らない日もあります。それなのに、全力疾走では疲れてしまう。
「正直、今日は疲れましたよ」と、わたしは上司にいってしまいました。これはいつも別の年齢者がいうセリフです。同じことをいってしまったのです。
自分が当事者になって、はじめて相手の気持ちを理解する
このモラハラ人に限らず、「わたしたち若い世代(会社では)が、年配世代と意見が衝突する原因って何なのだろう」とよく議論することがあります。
わたしは最初、「ただ楽がしたいだけ。やらずに金だけ欲しがるなまけ者」だと考えていました。でも、わたしよりも一つ上世代の人達の意見はちょっとちがうんです。
「”疲れるから”じゃないのかな?だからどうにかして仕事をしない様に、あの手この手で足を引っ張ろうとするんだよ」の発想です。
そして今回わたしは久々の仕事疲れ。「歳」も要因なのでしょう。もちろん普段から運動を習慣にしている人は疲れないのかも知れませんが。
わたし自身、毎日、筋トレやウォーキングなどをして、自分最適化をしていた過去があります。最近また筋トレを復活させました。
それでも、体調が優れない日があるのは否めない。それに、若い頃と考え方も変わってきている。「量より質」を重視するようになった事情です。
きっと1つ上の世代の先輩は、年齢者の気持ちが理解できていたから、肩を持つような言葉が出たのかも知れませんね。
モラハラ人は”なるべく自分が楽な仕事になる様に”、「人がいやがる言葉」や「屁理屈」や「人の揚げ足しとり」など、相手に不快を与えて相手をコントロールしています。
もちろん自分が”お山の大将”でいたいのもあるのでしょう。ソレ以外にも「体力的に辛いのでは?だから必死になっていた」のかも知れない。
⇒「職場お山の大将」に目をつけられてモラハラ!反撃ではない対処法
「人は自分が経験しないと、当事者の気持ちはわからない」とは、よく言われる言葉です。
たとえ意地悪な人だとしても、「年齢を差し引いた対応をしてあげないと、ちょっと可愛そうだったなぁ」と思い反省した今日このごろです。
”自分がされたらイヤなこと”を”してはイケナイ”とふり返ることが出来ました。
おわりに
基本「動かない人にかぎって口の達者な人」なのは否めません。
他人に迷惑をかけている意識はあるはずです。職場をかき乱している自覚もあると思います。なぜなら「気を使った」よそよそしい接し方をされ、人が離れて行くからです。
こういう人にかぎってさみしがり屋さん。離れていく人を引き止めるために一生懸命になっている。人を集める人も、人が離れていく人も同じことは本人が一番知っているはずです。
これからは「コイツはダメなヤツ」って100%否定するのではなく、「やがて自分も通る道」だと考えるキッカケになった出来事でした。
”本当は弱い人。辛い何かを訴えている”そう考えれば、少しはモラハラの被害感情を楽に出来るこにもなりそうな気がします。
またモラハラ人のワガママと批判する小言は続くことでしょう。過去記事でモラハラ人に対して散々批判的に書いているわたしが言うのもなんですが、
「これも何かの縁。自分を成長させてくれるありがたい人」と考えることができたなら、きっと何かが変わっていくって思った次第です。
「生長するための道具」と、いい意味でモラハラ人をとらえ「逆にメリットに変えてやる」と考えてみましたよ。
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