今回、知人が仕事でちょっとしたミスをしました。また上司が騒ぎ出す感じです。本人も責任を感じ落ち込んでいます。
「ちょっと待った!これっておかしくない?」とわたしは思ってしまいます。
- 本当にこの知人だけが悪いのか
- この知人を正すのが真の対策なのか
同じように落ち込んでいるあなたへのエールも一緒に、疑問点を少し考えてみた次第です。
あなただけに原因があるのかを考えて、もっと強くなる
■知人のミス
「お客様へ出す商品の中に、業務で使っている道具の部品が落ちたことに気づかずクレームが来た」という件でした。
元々道具は壊れかけている。上司も知っていた。部品が落ちるのは時間の問題。「たまたま知人が当ってしまった」という話しです。
最終的には知人の確認不足なのでしょう。でも100%知人だけが悪いのでしょうか。彼の一件は、以下の様な状況と同じだと思うのです。
■カフェで働くウエイトレス
以前から亀裂があったコーヒーカップを使うしかない状況の中。カップからコーヒーが染み出した。で、お客様のスマホを壊してしまった。これはウエイトレスだけのミスなのか。
■共有のパソコンで入力作業
パソコンのキーボードが物理的に壊れている。で、誤ってデータが送信されてしまった。これは一社員だけのミスなのか。
■スーパーのレジ係
値札の無い品だから値段がわからない。で、その商品が置いてある場所まで値段を見に行った。して、時間がかかったせいでお客様に迷惑をかけた。これはレジ係だけのミスなのか。
ちがうでしょー!!
どれも二次的、三次的な原因ですよね?
一次的な原因が無ければ、その後の「二次三次的な原因」は生まれない。大本の原因さえなければ、ウエイトレスも一社員もレジ係のミスも発生しないでしょう。
それを業務最先端の担当者だけの責任として対策なんかしているから、また同じようなミスが起きてしまうのです。
なので会社で雇われている社員1人だけが絶対的に悪くはありません。
反省すべきは仕組みをつくる人たちだと思ってあまり深く悩む必要などないのです。
他人のミスなどしょせん他人事。気にすることはない
ちょっとしたミスをするだけで気にしてしまう人はいるものです。一見強そうに見えるような人でも、どこか気にかかってしまうものです。
「『またコイツまちがえた』と・・同僚たちはきっと自分のこと悪く言っているにちがいない」などネガティブな想像をしては自分を追い込んでいる人もいるでしょう。
ここで1つ思い出してみてください。
テレビで観た事件事故を仕事が手に付かないほどに、いつまでも深刻にずっと覚えているのでしょうか。
たしかに自分に関するテーマや身近な話題なら興味もあるし、何か感じるものはあるでしょう。強烈なインパクトのある事件は強く記憶に残りますからね。
でも、「いい気味だ」とか「ざまあみろ」など、事件事故を面白おかしくいつまでも意識するのでしょうか。
逆に無意識に記憶してしまう内容とは何なのでしょうね。
もしかしたら「自分にも危害が及ぶかもという不安な事柄だと気になる」って思いませんか?
それは脳が身の安全を第一に優先するようにプログラムされているからです。チャレンジに臆病になるのは、安定した日常を失ってしまうかも知れないからです。
たしかに「人の不幸は蜜の味」という言葉はあります。人の失敗をエネルギーにする不幸な人も事実存在します。
でも、結局は他人事。
もし「確実に笑って暮らせる人生の本」と「確実に失敗しない人生の本」があって、間違えない内容だとしたら、人はどっちの本を欲しいと思うのでしょうね。
やはり興味があるのは「失敗しないための本」だと思うのです。上に行くことよりも下に落ちることを恐れるからです。
みんな自分のことに必死です。だから他人の些細なミスをいつまでも気にしてはいないのです。
「俺も悪いがお前らも悪い!」って強気になってもいいんです。
おわりに
面白いことに、「壊れています。これではマズイですよ」と前もって騒いでも取り合ってくれない会社や現場にかぎってミスがつきない職場です。
何かあってから大騒ぎ。なぜ前もって現場の声を悲鳴や金言として聞き入れようとしないのでしょう。
古い良くない日本の体質としか思えません。
やはり事件とは現場で起きてます。現場を見ずして改革が上手くいくのでしょうか。
どんな立場の人だろうと不具合は貴重な情報です。たとえ大きな会社や人気のお店だとしても来年生き残れる保証はありませんからね。
他人事に考えてもっと気楽になってもイイんですよ。
▼人間はミスをする生き物です。失敗は忘れること。
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