あなたの心を操る悪いヤツとはいったいどこの誰なのでしょうか。
正体を知って、修正するのみです。
負のセルフイメージとは自分を守る装置
人はみな理想の自分を持つものです。でもそう上手くはいきませんよね。その理由の1つは「恐れ」によって無意識に自分を守ろうとするからです。
人は団結して生き延びた記憶を生まれながらに持っています。とくに島国そんたく国家の日本ではその傾向は強く、幼少期から刷り込まれています。
そこであなたのセルフイメージをふり返ってみてください。あなたは自分自身のことをどんな人だと思っているのでしょうか。
■たとえば、
- わたしってシャイな人
- わたしは根暗な人
- わたしはバカ真面目な人
- わたしはタイミングが悪い人
- わたしはみんなの嫌われ者
- わたしってつまらない人間です
- わたしは魅力のない人間
「わたしはダメな人なんです」というネガティブな肩書を自分に貼っている人は、なぜ自分を卑下するのでしょうか。
物事には必ず他の一面があるものです。
そこで自分がつけたネガティブな肩書の”もう一面”を更につけたしてみます。本当の理由のが見えてくるからです。
■例
肩書:「わたしってシャイな人」
口実:だから初対面では話ができない
真の理由:傷つかずにすむ
●「わたしはバカ真面目な人」だからルール違反は出来ない
チャレンジしなくてすむ
●「わたしはタイミングが悪い人」だから間が悪いのは仕方がない
気を使わなくてすむ
●「わたしはみんなの嫌われ者」だから団体競技に参加できません
独りで自由でいたい
●「わたはつまらない人間」だから人前で芸ができない
恥をかきかくない
●「わたしは魅力のない人間」だから異性に愛されず恋人ができない
傷つくことを恐れている
ざっと書いてみました。出来ない理由を肩書に押しつけているのが分かるでしょう。
肩書が”出来ない理由”になるからです。自分磨きや自己努力や未知への挑戦をしなくてもすみますからね。
自己イメージとは、自分の深層心理を映し出す鏡になっています。
自分を悪く言っておけば上手く出来なくても責められないし、出来ない前提にもなるからです。
根底にあるのは「自己防衛機能」の強い影響のせいなのです。
肩書を変えれば人生も連動して変化する?
新たな肩書(セルフイメージ)を想像する前に大事なポイントがあります。
- こうあるべきだ(決めつけ)
- 世間に認められる人物像
- 損得勘定による打算
他人に合わせるセルフイメージをすることはしないことです。なぜなら、最終的には自分を追い詰めてしまう結果になるからです。
■設定すべき肩書とは、
- 本来、無邪気だったころの自分
- 無理がなく、心と調和が取れている自分
- 何の縛りもなく心から好きなことをしている自分
- 飾らない素の自分
をポイントに、もし何の制限もない状態で「どんな自分に本当はなりたいのか」をイメージしてみるのです。
その見えた姿があなたの真の肩書です。そのイメージした肩書が、負の肩書に変わる新しいあなたです。
きっとその肩書通りの行動をする様になるでしょう。
偽りの肩書では上手くいくわけがない
わたしも最近まで負の自己イメージに支配されていました。
- 理解ある人でいたい
- 何事も真面目にやらなくちゃダメだ
- 自分が犠牲になればチームは丸く収まる
など、その肩書によって苦しんでいたのです。いまも尚、心の中で天使と悪魔が戦い葛藤していることもまだあります。
「職場にいる自己中ワガママ社員がいるのは仕方ない。寛大になって受けれて見よう」と許してしまうのは、優しさではありません。
「面倒だから」さじを投げ出したネグレクトと同じです。自分の評価も上がるだろう打算もありました。
でもそれはとっくに見抜かれていたのでしょう。逆に利用され、事態を悪化させたのです。
ダメなものはダメなのです。「それダメ」をいう”嫌われる勇気”という努力が足りなかったのでした。
なのでこれからは、今までの”恐れからくる肩書”を書き換えることにしたのです。
おわりに
私事ですが、「自分を変えよう!」「変えなくちゃ生きていけない」「もう駄目かも」という精神がどん底の事態になった過去があります。
もうかれこれ7年くらい前のはなしです。色々とやってみました。
本を読んだりウォーキングをしたり、いい人を演じてみたり、断捨離をしてみたり、トイレ掃除など神頼みなど、ちまたにある話しを一通り実践しましたよ。
それはウソの自分。ただの現実逃避。
でも結局は、「本来の素の自分でいること。無理のない姿に帰るだけで楽になれる」って分かったのです。
どんな薬やアドバイスよりも効き目があったのは”自らの気づき”でしたよ。
▼(自分にイライラする!と思ったら読む本)という書籍を参考にしています。
リンク本当の自分を取り戻すには「個性を隠す仕組み」を知ること
もっと探してみる