今回わたしは「良かれ」と思ってやった忖度(そんたく)によって、いまイヤな思いをしています。そのルール違反を嗅ぎつけたモラハラ人の厳しい追求にあっているからです。
ちなみにこのモラハラ人は普段からルール違反の忖度を通すため、わたしに圧力をかけてくる人でもあります。
矛盾してます。でも相手はモラハラ人。常人では理解不能な思考の持ち主です。
「本当はよくないけど、自分が折れれば丸く収まる」ってことは世の中にはたくさんあります。
とはいえ、やったのはわたし自身。文章に書き出して、これからを模索してみます。
仕事を早く片付けるためにルール違反をしてしまった話し
わたしの仕事内容は、ズルをすればいくらでも仕事を早く終わせる業務です。でもズルをしないのはルールがあるからです。
「自分は楽したい。チャッチャと終わりにしちゃおう」とみんなが考えてしまったら良い結果の仕事になりません。秩序もなくなれば人間関係に問題が出るでしょう。(既に出ています)
なので、基本マジメなわたしは、事あるごとにルール違反を強要する社員とぶつかっています。
ところが先日、古株社員が”わたしとパートナーを組む同僚”にルール違反の忖度をしてきます。
それは”ひと手間”をはぶけば仕事も早く片付き、得意先も喜ぶ状況”。その古株とわたしの間に”ワンクッション”ある状況でもあります。
同僚は他から来た人材です。客観的に見ても「別にちょとくらいイイじゃん」的な愚痴を普段からいっていた人と、ふまえてください。
わたしが勝手に忖度をした
同僚は古株に「忖度で仕事をやりましょう」ってふられたけど、同僚にしても、実は願ったり叶ったり。
「忖度しろ!」本当は困っているのではなく「このくらいの違反はいいのでは?」と同僚は思っているのでは?
「同僚がわたしに忖度を求めているのでは?」とわたしが思ってルール違反をしてしまった話。
結局わたしの忖度が”モラハラ人のエサ”となりました。
自分の弱い部分への気づき
「何で違反をしたのか」とモラハラ人はわたしを追求します。
「古株の板挟みになった同僚が気の毒だし・・」とわたしは言い訳をする。
「古株は関係ないだろ。人のせいにするな!君たち2人の問題だ」とモラハラ人はわたしに説教をします。
そうなんです。当然です。結局、何かあったときの責任は”同僚とわたし本人”です。
なぜなら、ハッキリと命令されたわけではないし、断ることも出来たし、無視すればいいだけだからです。
実際そのとき”忖度する”かを迷いました。その後の結果をシュミレーションもしました。
ですがここは村社会の日本。とくにサラリーマンや組織で働く人達は重要視するものです。連携とは仕事上、大事な要素ですからね。
そして石頭は嫌われ、柔軟な人が好かれます。仕事には、ある程度流れもあるものです。先輩という上下関係が無意識にいうことをきいてしまいました。
間違った意見でも「多数派が王道」で、少数派のやるこは「変わったこと」といわれがちです。
たとえ真っ当な正論で正しい行動だとしても、そこはアウェーのグランド。そんな針のむしろの中で信念を貫き続けるのは難しいいものです。
ここがわたしの弱い部分。これから直すべき課題。
ルール違反を受けれてもイイことはない。もし何かあって会社を追われれば困るのは本人です。悔しいけどモラハラ人によって、やってはダメなことを再認識できました。
自分の”いい加減な信念”は敵によって明かされる
もし古株社員がわたしに忖度をしていきたらキッパリと断る自信はあるし、古株自身も、わたしには”もう忖度は通用しない”ことは知っていたはずです。
過去何年もやり合いましたからね。当時この古株は上司でした。ゆうずうのきかないわたしにヤキモキしていたことでしょう。
一見、わたしの忖度は「同僚に気を使っている」かの様にみえるけど、実は「わたし自身の、なまけ心がもめごとを引き寄せた」と思うのです。
「古株社員からの忖度のはなしをしてきたのは同僚だ」という責任逃れな姿勢と、
「それってダメですよ!」と古株のところへ出向き、違反を正そうとしませんでした。
「できれば関わりたくない人だし、違反している人もいっぱいいるから別にいいのでは?」と、このときは楽観的に考えていました。
相手を納得させるためには「一貫性と、正しいことをやり続ける勇気」が必要なんだと反省です。
自分が「ソレダメです」といったことをやってはいけないし、自分とちがう意見を持つ人の弱点に目を光らせている人がいることも再認識できました。
まちがったら修正して再チャレンジすればいい
忖度とは”させられた命令”ではなく、自分で決めた行動です。相手のことばに反応しているのは自分自身。
「常に自分には反応を選択する自由はある」ことを自覚し、見えない魔物を恐れないようになろうと思います。
たしかにモラハラ人がいうように「完璧にルールを守っている人などいない」のも事実です。
「経費の内容は正直に申告」な考えのマジメな人が、違法残業で足りない業務をカバーしています。「会社のため」とはいうものの、何がいいのかわかりません。
人は、まちがえる生き物。まちがえたら、それを認めて、そこから自分の信じた道を、また歩き出せばいいって思うのです。
自分の理想を実現するため、決めた目標が実現している未来を信じて、また一から出直せばいいって思いましたよ。
おわりに
今回、モラハラ人の追求によってわたし自身の欠点を再認識できました。ブーイングがないとしても、わたしの行動を疑問視する人はいるはずです。
同じ様に「ちゃんと仕事をしたい」と思ってくれている人をガッカリさせたことでしょう。
もしモラハラ人の追求が無かったら、このままルール違反への道に転がってしまったかも知れません。
今回は「感謝するべき人」として、真摯に受け止めたいと思った次第でございます。
もっと探してみる