ブログを継続して書き続けるのは簡単ではありません。
ココ最近わたしは久しぶりにブログ更新が止まっています。
また書くためにはどうしたらいいのかを考えてみましたよ。
なぜ人は常に快楽を求めてしまうのか?真の目標の邪魔をする物質とは
人が何かの依存症になってしまうには「ドーパミンとう脳の快楽物質が出るから」だと脳科学者はいっています。
これは本当「なるほど」です。わたし自身、いま痛烈に実感している最中です。どうにかしないとやばい状況になっています。実はここ数ヶ月、お酒をのむ頻度が多くなってしまったから。
なぜかと言うと、ブログ活動から出るドーパミンでは満足感が少ないからだと感じています。
ブログを書くモチベーション(やる気)って人によって違うもの。
- 文章を書くこと自体が好き
- アクセス数が多い・増えていく
- 収入が入る・上がる(生活のため)
- 記事コメント・いいね・シェアなど
- ブログ仲間やファンとの交流
こんなところでしょうか。
わたしの場合、最初は書くことがストレス解消だった。いままで出来なかったことが出来るようになっていく成長に対する満足感でドーパミンが出ていたのでしょう。
未来への期待(アクセス数UP・収入増)を想像するだけでモチベーションにもなっていた。「君なら出来る」という具合に。
実際、大したアクセス数では無いけど、「まーこんなところだろう。きっとそのうち増えるだろう。気長にただ記事を書くのみさ」と考えてました。
ちなみに現時点でブログを通した人間関係は0です。頼みの綱はアクセス数と収入のみ。
ところが、会社にいる人の「酒飲んでるよ。今日は飲まないとね。つまみは〇〇」の言葉の影響と、
「頑張った人へのご褒美」の自負から、「今日くらいはいいか。生真面目では続かない」次第に飲酒の頻度が増えてしまったのです。
それと、http⇒httpsにした時期を堺にアクセス数が4/1にまで下がってしまった。これはすっごく大きいです。ただでさえ少ないのにです。「もう勘弁してよ」って感じです。
つまり、ブログで得られるドーパミンでは満足できず、「足りない分をお酒でおぎなってしまた」というわけなんです。
本来なら、試行錯誤してブログからドーパミン(やる気要素)を増やせばいいのにです。
結局「根性なし」なのは否めません。けど、ドーパミンを欲しがるのは人の習性であることは脳科学でもいっています。
- 晩酌やめてマラソンをする
- パチンコやめて釣りをする
- 爆食いやめてボランティアをする
結局、ドーパミンを得る手段が代わっただけ。人は快楽を求めてしまうものです。わたし自身、これからが本当の正念場ってところでしょうか。
ブロガーはブログを更新しないと「いい知れぬ罪悪感」になるものですよね。毎日書くって決めたのに自分ってなんてダメなやつ的に自己否定感で辛いんです。
過去「なぜ晩酌を止められたのか」の仕組みを振り返ってみた
わたしはこの記事を書く約7年前に毎日の晩酌をやめました。といっても0ではありません。付き合いもありますしね。
何かの依存症の人が禁欲に成功しても、たった一回その行為をすると、あっけなく元の状態になるそうです。
わたしの場合は、「次の日も飲んじゃおう」とはなりませんでした。なのでアルコール依存症では無い様です。
プロフィールにも書いてますが、当時、部屋にあったギターを何となくさわる様になって、思いの外上達してしまいます。
技術的な話をすると、チョーキングとかビブラートが「プロ並みに上手に出来る様になった」と、わたしは勘違いしてしまいます。
このときおそらく、晩酌したときよりも多く脳内にドーパミンが放出されたのでしょう。「これ出来たら神」って思っていたプレイが出来たのですからね。
お酒を飲んでしまってはギターを弾けません。値段が高いギターも買いました。付属の道具を集めるのもワクワクです。だから酒をやめられたと思っています。
ということは、このときと同じ様な「何か」をすれば飲酒をやめらるかも知れない。
てか、「そのギターを極めればよくねぇ?」だったりして。
おわりに
そういえば、メタル系の音楽好きな知人も同じなことを思い出してしまいます。
「今度のバンドはスゴイよ?聴いてみて!」ネットやお店でハイテクニックなバンドを探すことが習慣だった。
一つのバンドを一途に愛するタイプのわたしからすると、「何で直ぐに飽きてしまうのか」理解不能です。でもドーパミンの話を知ったら本当、納得。
さらなる刺激を求めるのは、同じバンドの曲を聴き続けていると質の高いドーパミンが出ないから。また新しい刺激が欲しくなってしまう様です。
今回は、そんな脳の習性を身をもってよくわかったので、何とかブログを書き始めた3年前の、あの感覚を取り戻したい所存です。
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