学校の奉仕作業に行かないと損をる?脳科学が証明

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夏休み中、子供が通う学校へ奉仕作業をしに行ってきました。なぜかというと、幸せ感を味わえるから。これが答えです。

 

もともと活動に消極的だったわたしが、なぜ協力的になれたのでしょうか。

 

■当記事の参考本

  • 著書:脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体
  • 著者:中野信子

 

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「社会的報酬とドーパミン」について

学校(PTA)や地域(班長)や子供会(役員)とかになるのが好きで「進んでやりたい」って人は多くはないと思います。

 

「出来ればやりたくない。何とか逃れたい」って思ってしまうことでしょう。わたしもそんな1人です。

 

でも、実際参加してみると案外楽しかったりもするし、やり終えた後の達成感もある。「これって何なのか?」ずっと気になっていました。

 

【これで納得!】子供会役員が決まらないならもう◯◯を出すしかない?公平な基準と、しっかり運営できるアイディアがあった

 

脳内にドーパミンが出るから」が結論です。

 

ではどんなときなのか。著書から抜き出してみます。

 

  1. 楽しいことしているとき
  2. 目的を達成したとき
  3. 他人に褒められたとき
  4. 新しい行動を始めようとしているとき
  5. 意欲的な、やる気が出た状態になっているとき
  6. 好奇心が働いているとき
  7. 恋愛感情やときめきを感じているとき
  8. 美味しいものをたべているとき

 

ドーパミンとは快楽物質。人が動くのは恐怖と快楽だそうですよ?人は甘い誘惑や脅しに弱いものです。

 

  • 今回わたしは校庭の枝切りが担当でした。作業はいつも家でやっているから苦痛じゃない。
  • 何でもそうだけど、やっていると夢中になる。意欲的になり楽しくもなるもの。ボサボサだった樹を綺麗にも出来た。ちょっとした嬉しさもある。
  • 「いままでは妻に学校のことは任せてたけど、今回はじめて奉仕作業に参加した」の達成感もある。
  • 先生や保護者の方々との交流もあった。その場限りの一体感も味わえた。

 

しかしながら奉仕作業は一銭にもならない仕事。貴重な休みをうばわれたのに、何で爽快な気分になれたのでしょうか。そのことについて著書から引用してみます。

 

他人に褒められたときに反応する脳の部位と、金銭をもらったときに反応する脳の部位は、まったく同じ部分(線条体)であることがわかりました。p129

 

つまり、ドーパミンが出る脳の部分は一緒だってこと。学校の奉仕作業をする行為をすれば、ドーパミンという快楽のご褒美(おだちん)をいただけるってことだったんです。

 

「頼まれごと」「使命感」も同じこと

そういえば他にも心当たりがあります。会社の仕事も一緒でした。

 

上司が休みのときわたしはその代わりをする立場にあります。「今日はいつもと同じでありますよに」ってトラブルが無いことを祈るのか定番です。

 

人を批判するのは簡単です。自分が実際に指示するのではまったくの別もの。色々と考えなくてはいけないし、対応にも迫られます。

 

でも、実際一日を終えると「こんなものか・・やれば出来るし、何とかなるものだ」っていつも思うのです。そして、何ともいえない達成感もありました。これこそがドーパミンだったんですね。

 

大した役職手当もつかないのに、平社員よりも早く出社して遅く上がるのは、「金じゃない」「すっげー気持ち」いい脳のご褒美があったというわけです。

 

「他者との比較で得られる幸福感」について

名簿に「奉仕作業に来ましたよ」の記入がありました。協力した人とバックレた人を見分けるためなのでしょうか?もしかしたら、支給するジュースの量を知りたかったのかも知れません。

 

チェックシートをパット見、参加数はまばら。生徒数よりも参加者は少ない状況でした。

 

けれど「何だよ。別に来なくてもよかったのかも・・」とは思いませんでした。その逆。なぜなら、ココにも社会的報酬を与えてくれる要素があったからです。

 

最近、人は自分の経済的な状況を絶対的な物差しで見るのではなく周囲との比較で決めているらしいことがわかってきました。P147

 

「みんな来てない中、わたしは参加した」の満足感。

 

たくさんの不参加な親子がいる中、わたしは「親」として「人」として「社会人」としての義務を果たしました。という「幸福になれるご褒美」をもらえたからです。

 

さらに、

 

自分の年収が前年より上がっても周囲と比べてより収入が多くないと幸福は感じないことが明らかになりました。p149

 

逆にいうと、難易度が低く世間が注目するようなボランティアではなくっても、満足度は感じられるのです。

 

2歳の迷子児を探し当てる様なすごいことじゃなく、たとえ小さな親切でも、他の人がやらないことをするだけで十分ドーパミンは出るということなのでしょう。

 

「幸せと寿命」について

褒められて気持ちよくなる仕組み。それが体にどんな影響があるのかは現在の脳科学でもハッキリとはわかってないそうです。

 

でも「セロトニンが関わっているんじゃないか」と考えられているのはなんか分かる様な気がします。

 

脳内のセロトニン不足は、不安神経症やうつ病の原因になるといわれています。一方、ヒトが「他人との結びつき」「幸福感」を感じるとき、脳内にはセロトニンが分泌されているのです。p166

 

わたしは以前、精神的にどん底になった時期がありました。そんなときに知ったのがセロトニンの働きです。

 

いち早く助けを求めたのは若い頃のバンドメンバーでした。また再開すること「人との結びつき」によって癒やしを得ることが出来たのです。友人には本当に感謝です。m(_ _)m

 

自分でも努力をしていた。単純なリズム運動を一定時間することでセロトニンが分泌すると聞いたので、早起きして出社前に近所の運動公園を歩いたり、休みの日には地元の森林公園をウォーキングしてましたよ。

 

心が乱れる(心拍数が上がる)のをおさえるために、腹式呼吸をつかった瞑想で、リラックスもしていた。そのかいもあって普段の脈は安定しています。緊張・興奮するとまだダメみたいです。熱い扁桃体の持ち主だから。(^.^;

 

真の健康を得るには運動よりも心理が大事

  • 健康オタクなのになぜか辛い顔つきの人
  • 暴飲暴食、栄養過多なのに幸せそうな顔つきの人

そんな人はいるものです。

 

わたしは学者ではないし何の資格もありません。でも長らく人分析をしていて気づくことがあります。

 

「恨み・妬み・嫉み・怒り・恐怖・不安」をいだきやすい性格の人は不健康になるんじゃないのか?という見方です。

 

幸せの実感をはじめとする諸要素が寿命に与える効果は、運動の3倍の効果がある、とディナー博士は主張しています。p166

 

最近、親戚の叔父が亡くなりました。生前、運動をしたり健康に気づかって生活していたと聞いています。マメな人なので、きっと報酬(ドーパミン)は分泌していたと思います。

 

母も健康オタクです。健康な食材を知れば真似をします。それでも辛そうな顔つきです。というもの、実家に行くと必ず同じ昔の苦労話と近所の愚痴。客観的に見ても重度の被害妄想です。

 

人は同じこを繰り返すことで自身に定着する生き物です。いつも不幸なことを考えて人を恨んだり、辛かった昔ばなしや、自己否定を繰り返すことで、まだ過去の呪縛に囚われてしまっているのです。

 

ドーパミンで報酬を得るよりも、負の感情をおさえた方が幸せになれる様な気がしてなりません。

 

もしかしたら、そんな母の愚痴を聞いてあげて、「大変だったね」っていってあげることが、わたしにとっての社会的報酬になるのかも知れませんね。

 

おわりに

「自分のためにする」よりも「誰かのためにしてあげる」ことの方が幸せ効果は大きいことを著書を読んで再認識することが出来ました。

 

ギャンブル・酒タバコ・麻薬などがドーパミンが出る代表的なものです。人や物やコトへの執着は時として不幸を招きます。

 

自分だけの快楽を追求しても真の幸せは手に入らないのは、人は社会的な生き物で、遺伝子に、そう組み込まれているからです。

 

率先して地域社会とか関わっていける様に努力した方が良さそうですね。

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