店員に頼ることは迷惑?困ったことは我慢せず伝えた方がお互いのため

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客として言いたいことがあっても、「何か悪いかなぁ・・」と、意見を押し込んでしまう人はいると思う。

結論からいうと、自分のニーズをはっきり伝えた方が、お後がよろしい。

そんな内容です。

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メガネ修理の件。結局二度手間になり相手の迷惑に

わたしは数日前に愛用のメガネのフレームを誤って曲げてしまった。

このままではグラグラ。正面から自分の顔を見ると、メガネは斜めってしまう。まるで芸人がコントやる酔っぱらいのおっさん。

仕方なく当メガネを買った地場展開する老舗のメガネ屋さんへ出かけることにした。でも少し気まずい理由がある。

それは実はメガネ修理はこれで二度めだからだ。いかにわたしがおっちょこちょいかが分かってしまう。

でも意を決し、さっそく入店し、店員さんに事情を説明。

すると修理を開始。その間テーブルがある椅子に案内されたので座って待つことにした。

実は前回フレームを修理してもらったとき、実際にメガネをかけてみると、左側のフレームがちょっと痛い程度だが窮屈だった。

でももう一度手直ししてもらうのも申し訳ない気もする。

そしてわたしはこういった綺麗でハイソなお店の環境に対して落ち着いていられないタイプ。アウェイ感ってやつだ。

スッと入って用事をすませ、パッと帰りたい性分。人見知りな人なら分かってもらえるかな。この心理。

本当は眼鏡のかけ具合を、いい感じに調整してもらいたかったけど、わたしの仕事には上り下りする作業がある。

なのでゆるいよりは良いと自分に言い訳をし、そそくさと店を出た経緯がある。

そして今回、右側のフレームが外側に広がったせいで、修理をする羽目になった。

それは片手でメガネを外す際、左のフレームが窮屈過ぎて、こめかみにひっかかってしまった。

そのせいで、右側のフレームを大きく広げてしまったからだ。

いつもメガネを外すときは両手で外していたのだが、とっさなことでやらかしてしまったという訳。

もし前回のとき、自分のサイズに合ってないことを伝え、きちんと修正してもらっていれば、またフレーム曲げる事態にはならかったと思う。

つまり二度手間をかけてしまったのだ。

「店員に悪いから・・」は嘘。と自覚しよう

話は変わって先日、かなり久しぶりに高齢の母とランチをした。そこは母が何度か来たと言うお高そうな割烹料理的なお店。

この日も母は、さっぱりしたそば系のメニューを探していたが、その店には無かった。

仕方なく焼き魚定食を注文。それは1尾ではない。食べ比べ的に3尾。80過ぎた母には量が多い。

食べながら母は「もうたくさんだけど、作った人に悪いから・・」といつつ、料理を無理くり胃袋に押し込む始末。

そのときわたしは思った。

「店員さんに悪い」と思っているのではない。本当は「自分が責められることに耐えられないだけ」ということ。

つまり自分が可愛いから。

見てる方向は、相手ではなく自分。これはよくある心境だと思う。

それは幼いころ保護者から「可愛がられすぎた」ことや、「残したら罰当たり」などの刷り込みだったり、大人になって攻撃を受けた結果、身につけた護身術かも知れない。

「世間様に〜」が口癖の古風な母。誰も気にしてないのに、常に怯えてる被害妄想。

そうはいっても、お客様が無理して食べていることを知った店員さんはどう思うのか。

わたし自身、母が美味しく食べる姿が見たかった。

正直に、「今日は食欲がない。まだお腹が空かない」とわたしに伝えるか、そば屋とかに行けば良かったのだ。

もしその相手が「自分に夢中」なタイプだとしたら「嘘も方便」で、満足した顔をすればいい。それもある意味「優しさ」といえる場合もあるし対応に正解はない。

お客様のワガママに応えることがやり甲斐?

話をメガネやで修理を待つわたしへと話を戻そう。

修理を待つ間、わたしと同じ位の年令層の客がやって来た。

その出で立ちは、90年代風の若者。髪型は少しパーマをかけた茶髪のロン毛。革ジャンにブーツ姿。

「ちょっと違うけど、昔は自分もカジュアルだったよなぁ〜」とノスタルジー。

何やらブランドメガネについて店員さんと二人で談笑している。

その客は自分のニーズを躊躇なくペラペラと店員さんに問いかけ、店員さんが説明やらアドバイスやらをやり取り。

それは客が求めるブランドについてとか、眼鏡の特徴など様々。

その光景を見てわたしは思った。

「自分は今、すごく良い光景を見ている」と。

客はありのまま正直に商品について質問する行為とは、「メガネについての熱い想い」でもある。

もしかしたら、そのメガネをかけた先のベネフィットを思い描きワクワクしているのかも知れない。

それはメガネ屋さんにとって、「いいお客様だ」とわたしは感じた。

「何でもいいから安いのがいい。早くしろ」という人と比べたら、きっと接客しがいがあるに違いない。

思わず説明する側も熱くなるはず。

もし自分が得意でそれを仕事にしている中で、その知識や技術を求められているとしたら、こんな素晴らしい時間はない。

つまり遠慮されるよりも、「頼りにされること=対価」ではないだろうか。

突然だけど、もし自分が道を歩いていると、どこからともなくネコがやって来て、「ニャ〜オ」とすり寄ってきたらどう感じるのか。

「あら?可愛いネコちゃんでちゅね♡」と、わたしならそう思うことだろう。

逆に、餌をもらって置きながら「シャー!!」と威嚇(いかく)されたり、中々馴れてくれないもらいネコをどう思うのか。

初対面にも関わらず、なつかれる方が普通に嬉しいよね。

それはきっとお店の人も同じではないだろうか。

繰り返すけど、自分がすっごく得意な知識を必要とされることって、自己承認欲求・自己存在意義・社会貢献心を満たしてくれる行為だと思う。

もし「面倒な客が来た」とか「あと5分で退社できるのに」とかを常に考える店員だとしたら話は変わるけど、それを見抜けない人は居ないはず。

そのお店の忙しさなどケースバイケースで空気をよむ必要はあると、個人的な意見ではあるが、

常識とサービスの範疇であるのなら、客としてのニーズを伝えた方が、お互いのためになる。そう思う出来事だった。

おわりに

人は幼いころにインプットされた「生き方」のマニュアルと、育った過程で身につけた経験を基に思考する傾向が強い生き物だ。

このプログラムを変えるのは並大抵のことではない。

母については、一生変わらないことだろう。わたしもどうなるのか未知数。

けど、この様な思考に気づく前と今とでは、物の見方が変わった。

そうなると、「なぜ?」という疑問が減った分、かなり気持ちが楽になっている。

それには「それが現実なのか。それとも妄想なのか」を冷静に客観視することだ。

もちろんこの記事もわたしの妄想に過ぎない。

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