「ごめんね~まったくあいつのせいなんだよ・・」わたしはその人の影響で仕事の足止めをくらってしまいます。
別の部署の社員がいつもの様に笑顔で他人の仕事のやり方の文句を言ってきたのです。
でもまったくイライラしません。それどころかわたしは、何かホッコリとした自分に笑ってしまいました。
なぜかというと、以前仕事の配分で争った過去があるからです。
そして、自分のとった行動にまちがえはなかったといまふり返っています。この気持ちになれたのは、人として少し成長した証だと思っています。
「この人は苦手だ」という人に対して、いまわたしはまったく何とも思わずに接することが出来るようになりました。その辺を書いてみます。
こうあるべきだを捨てるだけで生きるのは楽になる
「自分は正しい」って思うのは実は思い込みでしかありません。なぜなら見る角度によって、いかようにも変わってしまうからです。
”こっちにいる人”にとっては、向こう側にいる人は”あっちの人”だし、”あっちの人”から見たら、自分とは”あっちの人”になるからです。
なのでまずは「自分の意見とは自分の都合でつくられたものだ」という勘違いに気づくことが、とても重要になってきます。
勝ち負け思考がストレスの元凶
当然のはなしですが、争いが起きるのは、自分とはちがう意見を持つ人を許すことができない感情のせいです。
では、争いがおさまるのはどんなときなのでしょうね。
- どちらかが強くなる
- どちらかが弱くなる
- どちらかがあえて身を引く
ことによって戦いが終結する。といったところでしょうか。
どちらか一方が強くなったり弱くなることで本当に争いが終わっているのかが問題です。
もし勝ち負けだけで本当に決着がついたなら”力によってのみ解決策できるもの”になるはずですよね?
でも実際そうではありません。
力で負けた方は納得しないもの。何とか挽回のチャンスをうかがい、また戦いを仕掛けようとたくらむものです。
実際、挑発的ではなくっても、協力してあげようとは思いません。失敗やヘマする機会を期待して待っています。
勝った方にしてもおなじですよね?
「いつまた襲いかかってくるかも知れない」って考えると、気が気でないはずです。自分に負けた相手を信用することは出来ないでしょう。
でも、もし「あえて身を引く」ことを選んだとしたら、その後の関係は良い方へ変わります。
なぜならあなたが折れたその相手は、自分の主張が通って立ち位置が優位になるからです。
「え~それじゃぁ自分が可愛そうだし、生焼けの肉状態だし、悔しさを引きずってストレスを抱えちゃいそうじゃない?」って思のは当然の考えです。
よく分かります。わたしも以前はおなじ発想をしていましたから。でも、ちょっと発想を変えただけで楽な人生になれています。
ものは考え様っていいますよね?
相手の言い分の源は何なのか?を知って自分の気持を落ち着かせる
まずは、”どちらの意見もまちがえではない”という事情を深くよく考えてみましょうよ。
争う相手側は、
- どんな状況にいるのか
- どんな問題を抱えていているのか
- 何が足りないのか
という事情をまずは理解につとめることでです。
当然その相手は”どんなことで苦しんでいるのか”を知ることができます。相手の悩みとは情報です。こじれた関係の修復の材料に使えます。
「そんなキライな相手の事情なんて知ったこっちゃない」って思うことでしょうが、ここは少し大人になりましょう。
問題が起こるのはそのシステムに問題がある、いままでのルールでは対応しきれていない証拠といえるのです。
一日に来店するお客様の数がいままでは10人だったのに、ある日突然、20人に増えてしまったとします。
増えているのに関わらず、いままで通りでは問題が出るのは当然の原理です。そのしわ寄せとして”争いが起きてしまうのだ”と考えてみるのです。
しかしながら本来、”システムに問題がある”ということは、仕組みやルールを作る人たち(上司)の仕事のはずですよね。
優良企業ばかりじゃないのが企業です。ブラックとはいわずともグレーな会社は世の中にはたくさん存在しています。
部下を管理する立場としても、「そのくらいは当事者の問題じゃないの?」って考えてしまう人もいるだろうし、考えて当然の争いもあったりするかも知れません。
とはいえ、結局は自分の身は自分で守っていくしかないのです。ここは1つ修行の場だと思って精進した方が最後には笑えるって思いますよ。
おわりに
わたし(達)はかつて、対抗した相手(達)がいました。でもいまはふつうに接っすることが出来ています。
もちろん、上辺だけではありません。本当にその人を自分の中に受け入れることが出来たのは、やはり、その相手の事情に共感出来たからなのが最大の理由です。
その相手は自身の持ち場の仕事をわたしの部署に押し付けようとたくらんでしました。結果、わたしたちが一部やるようになりました。(現場判断で)
本当に忙しいのなら手伝ってもよかったのですが、そうではありません。暇な時間、遊んでいる姿を見てしまっては手伝う気は失せてしまうからです。
でもよくよく考えると、だれがやっても変わりない仕事でした。アチラコチラのはなしのように、別にわたし側でやったとしても不条理ではないことに気づいたからです。
手が開いているのにサボろうとする人を見る人は見ています。たしかにその人は仕事は出来ます。現場では頼りにされている様です。
でも、なぜか出世のはなしも聞きません。そして、人望があるのかはまた別のはなしです。
「あいつらは大したことなかった」と勝ちを譲ったその相手は、わたしたちに対して言っていたと風のたよりで聞きました。
勝ったことでおごり高ぶれば自然に自滅していくだけです。なぜなら本当の実力で勝ち取った立ち位置ではなからです。ほかでは通用しないでしょう。やられます。
逆に、自分の仕事を他人に押し付けるタイプに対して、問題を受け入れ、うまく現場を回している人材を会社側はどう見るのでしょうね。
きっと追い風になるって思うのはわたしだけでしょうか。そしてスキルアップしたこと間違いなしです。必ず何かに役立ちます。
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