その「困った人」を助けるべきか悩むなら行動して考えてみる

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人が困っているのを見ると助けたいと思う気持ちは大事です。

とは言え「ありがた迷惑」の言葉がある様に、ケースバイケースで結果が変わるのも世の常。

人それぞれ考え方は様々だ。

ある出来事に遭遇した、1人の頭の中を書き出してみる。

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その「雪かき」を手伝つべきか?

今朝わたしは夜勤明けの帰り道、我が子が通う学校へと続く坂道を先生1人で、歩道の雪かきをする姿を見かた。

今はまだ冬休みだけど部活のために登校する生徒がいるので、雪で転んだら危険だからです。

わたしは手伝いたいと思い、帰宅して直ぐにシャベルを車に積んで学校へと急ぎ走り出した。

雪かきする場所に路駐するのは危険なので、学校の裏手にある空き地に車を止めようと思い、そちらへと曲がろうと考えていた。

するとその坂を、塩カリ(雪を溶かす物質)をまきながら、ゆっくり坂を登る作業トラックの光景が目に飛び込んできた。

よく見ると歩道の雪かきは終わっている。先生は作業トラックが登る、生徒が通らない学校の裏手の道路へと雪かきの範囲を広げている。

この光景を見たわたしは「これは手伝わない方がいいな」と瞬時に判断して自宅へと帰還した。

実際に行動に移してから考えても遅くはない

わたしはなぜ手伝いを止めたのかをいくつか上げると、まずは時既に遅し。歩道の雪かきはすでに終わっていたこと。

もう1つは、塩カリをまくトラックに行く手をはばまれたこと。

車を止めようと考えていた場所へ登る坂道を、作業トラックがゆっくり登っている後を自分の車が登れるのか不安だった。

スノータイヤを履いているが、結構道は急だった。勢いをつければ登れると思うけど、ゆっくり走るトラックの後をついて登るのはどなのか。

「ミイラ取りがミイラになる」ではないが、迷惑をかける可能性がある。

もう1つは、わたしが持っていった雪をかく道具は鉄製のシャベルです。

もしヒザ下まで積もる様な積雪や根雪だとしたら、固い鉄のシャベルは活躍しことでしょう。

でも今回降った雪は少量でパウダースノー。この場合プラスチック製のバケットが広い雪かき道具を使った方が理にかなっていた。

しかも近所には民家がある中で、今回の様な低い積雪で雪かきをすると、アスファルトをガチガチと引っかくノイズが騒音にもなりえる。

もしかしたら学校に苦情の電話がかかってくる可能性も無きにしもあらず。

そして先生の気持ちも考えてみた。確かに手伝ってくれるのは嬉しいと思う。でももうすぐ作業は終わろうとしている。

もしわたしが転倒してケガをしたり、交通事故に巻き込まれたら、それこそありがた迷惑。

もちろん先生に良い格好をして点数稼ぎのつもりはないが、偽善者だと思われるのではないかの保身。何か気まずい様な気もする。

今回は「これはスルーした方が賢明かも知れない」と考えて手伝うことを止めました。

正解など無い。行動から次につながるキーワードを見出す

わたしは「自分が何かやろうと考えてそれが出来ないこと」があると凹む癖がある。

どうせ自分は考えたことを実行できないダメなやつ。何であのとき挑戦できなかったのか。やっぱり自分は役立たずの口だけ番長。

ネガティブに囚われると切りがなく、不快の闇にハマって行くだけでしかない。

そんな時は、「今までの自分よりも一歩でも進むことが出来れば良しとする」そう強制的にポジティブに考える様にしている。

『実際に雪かきを手伝うことは出来なかったけど、物置からスコップを取り出して車に積んで現場まで行った。もちろん形にはなってないが、この一歩は次へ繋がる一手にすればいい』そう考えてみた。

すると「どうすれば今回雪かきを手伝えたのだろう」と振り返ると、ある考えが浮かんだ。それは除雪用スコップを買って用意して置くこと。

つまりわたしの場合、『準備なくして成功なし』『備えあれば憂いなし』という格言がある様に、思い立ったら直ぐ行動に移せうような、下準備をして置くことに欠けていたのだ。

実は数年前に壊れたままで買おうと思いつつも行動に移せないでいた。買って置けば次に役立つことが出来る。

同じ轍(てつ)を踏まない様な準備をして置けば、凹むことは減ることだろう。

猫の様な犬になる

もし普段からハンカチを持ち歩く習慣があれば、公園の汚れたベンチに座ろうとする美女にハンカチをそっと差し出せる。

そして自分のジャケットでは相手は気兼ねするか引いてしまう。大事なのは、自分の想いよりも相手の心理を優先させること。

もしかしたら「万札ならOKよ!」って人もいたりして(笑い)

その相手が差し迫って困る状況じゃないのなら、スルーもありだと思う。

各地で起こった震災のとき、たくさんの支援物資が個人から被災地に届いたニュースを観た記憶がある。的はずれな物資の扱いに困っている被災者側の様子が印象に残っている。

やはり現場にいる人や経験者じゃなきゃ気づかない何かがあるのだと思う。

たとえ世間的に良いことだとしても、その相手や状況によってはどう判断されるのかは分からない。

ありがとうを求めるのは良くないことだけど、せっかくの支援なら、感謝されたいのが人情ではないだろうか。

気まぐれな忠誠心「猫の様な犬になる」こともありだと思う。

手を差し伸べることの難しさから逃げずに考えては行動するを来り返し、少しでも明るい社会にすることに貢献できたなら、きっと自分の気持ちは癒やされるとわたしは信じたい。

もしかしたら「何で?手伝ってくれたら良かったのに・・」って思われてたら取り越し苦労。笑い話になるかも知れませんね。

おわりに

いつもより、チョットでも進んだら、それは何かのきっかけを作った様なもの。勇気を持ってチャレンジしてください。

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