小5男児といえば「漫画サザエさん」のカツオと同じ年齢です。しっかりしています。独りでもやっていけそうですよね。
もし自分不在の状況で危険な観光先に我が子を連れて行く判断に迫られたとしたら、あなたはどうするのでしょう。
「騒ぎすぎでしょ?」「どうぞお願いします」って思う人は、以下の想定を是非とも読んでみてくださいね。
子供にとって何が一番大事なのかを考えてみる
タイトルの通り「子供にとって一番大事なのは何なのか?」を真剣に考えた結果、親として出す答えとは、
友達家族といっしょにハイキングへ出かけるのを許可しない、の判断ではないでしょうか。
「何だよ、別に平気じゃねぇ?お宅のお子さんはエベレストにでも登るんですか?」の意見もあると思います。
「可愛い子には旅をさせよ」経験させるのも大事です。でもそれは生きていてこそ味わえる話し。
ハイキングの件に関わらず、人が一番大事なのは命であることは間違えのない事実。現代は命を捧げる行為が美徳とされていた時代ではないですならね。
もちろん相手の親を信用しないわけではありません。
「人の習性」が心配だからです。
事件事故が起こる確率よりも、助けてもらえる確率の方が優先度は高いと思いますよ。
あなたが一度も行ったことのない山だったら尚更の判断です。
「とっさに」どんな行動を取るのかは捨てがたい想定
このブログで何度もいっていることで、わたしがこだわっているテーマでもあるのが脳の習性です。
脳には「顕在意識」と「潜在意識」の2つがあるといわれています。聞いたことがある人もいることでしょう。
「このケーキを食べたいけど好きな子にゆずったら高感度があがるかも知れない」と計算するのが顕在意識。(左脳的判断)
「ただ、この子の喜ぶ顔が見たいからケーキをゆずった」理由もなく、損得を抜いた正直な感情が潜在意識。(右脳の役割)
山登りに話しを戻してみましょう。
もし、がけ崩れが起きたとき、我が子と友達の子供に大きな岩が転がり落ちてきたとします。それか、犯罪に巻き込まれたときも同じです。
さてこの瞬間、とっさに友達の子供を助けるために我が子を犠牲にするのでしょうか。
「友達の子供を一番に助けたら英雄になれるし、何か得があるかも知れない!」って思うのか。
そんなの、なってみないと分からない。我が子を「一か八かの賭け」の対象にするのは、いかがなものでしょう。
人の本性とは潜在意識(右脳)にあるといわれています。
いままで生きてきた膨大な情報が記憶されている脳の95%もしめている部位です。顕在意識は残りの5%。左脳に勝ち目はありません。
自分の子との思い出がいっぱいなはずです。
痩せればモテるって分かっていても食べてしまうのは、無意識が顕在意識に勝った証拠です。医者に「死ぬよ」って宣告されたらやめられます。脳は命を最優先に考えるから。
瞬時に手を出し助けるのは「自分の子」の確率は高いのでは?
もちろん、我が身をかえりみず命を落とした勇敢な人の話もニュースでたまに見かける事実です。中々出来ることではないでしょう。
しかしながら、それは、その助けた人の”性”(性分)あっての結果。
つまり無意識内に「我が子も、よその子も関係ない」とインプットされていてのはなしだと思うのです。
「かけがえのない存在」ってほどの関係性を、子供をあずけた人と築いているのかも大事な判断基準です。
レスキュー隊やボクサーは、日々くり返し訓練しているからこそ無意識に身体が反応し、手が出るものです。
「もし何かあったとき」他にも
子供の命の心配だけではありません。
我が子にもしものことがあったら、これからの関係がギクシャクすることも想定できるでしょう。
「またお願いね」とは言いづらいものだし、あちらの親も、誘いづらくなるものです。
- 部活の送迎
- 街へ遊びに連れて行く
- 雨、台風、天災時
もし何もなければ、親友と気さくなつき合いを続けることも出来ます。
でも過去に一度何かあったとしたら、あなたのお子さんと関わらなくなるかも知れません。またもしものことがあったらイヤだからです。責任は取れませんからね。
この様なケースは実際にある話です。お互いイヤな想いをしないためにも、よく考えみることです。
危険がともなう場所に対しては、ポジティブ思考ではなく、いかにネガティブになることだといえるでしょう。
おわりに
「何で僕は行けないの?」友達家族と遊びに行けなくなった状況を子供は理解できないものです。
いつも忙しかったり旅行に行く余裕がなく、いつも子供が寂しい思いをしている場合もあるかも知れません。
もし今回、断念させる判断をしたのなら、山登りに代わる何かを考えてあげる対処をしてあげられたらきっとお子さんも喜ぶと思います。
子供がいつまで親と一緒にいてくれるのかは未知数です。いまが一番大事な時期です。これが良い機会になるといいですね。
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