子供が巣立つ直前は『子孝行』のラストチャンス!

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助手席

助手席の天使

「親孝行したい時に親はなし」=やりたいと思った時は既に遅しの意味。親が生きている内にやりなさい、と言う”やれなかった人”の教訓です。しかし今回はその逆のはなしです。

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子が幼く「独り歩き出来ない歳」が親孝行の時期だった

都会と違い田舎では車は絶対に必要な移動手段。わたしには今年高校を卒業する子供がいます。いま自動車免許を取りに教習所へと通う最中です。

そして子供が幼い頃は、親無しに外へ出ることは出来ません。

  • あのブランコの公園へ行きたいよ
  • お池の魚に会いたいよ
  • ばあちゃんと遊びたい

って思っても親同伴でしか行けません。だから移動は親頼り。

歩いて5分程度の近所でさえ幼子にとっては独りでは行けない楽しい場所。そんな子供も小1.2位に自転車を乗る様になると独り歩きを模索します。

最初は家の前の道を何度も往復。親が見てくれている中の挑戦です。慣れると今度は親と一緒に地域を散策。好奇心を満たそうとします。

そして自信がつくと独りで友達の家に行く様になる。そのうち親の知らない、家から遠い場所まで行ける様にもなるでしょう。そうなると親は必要ありません。

親は忙しい。「やっと手がかからなくなってきた」チョットした子育ての休息に喜さえ感じてしまうもの。それはみんな同じことでしょう。

★★★

以前「親孝行について」かつての先輩にわたしは、こんな言葉(概念)を教そわりました。

俺は子供からの親孝行を期待しないことにしている。子供が可愛いのは精々小2くらいまで。もう既にその、あどけない可愛さと言う幸せを親に与えている。つまり親孝行は終えている。とっくに返しているんだよ。

そして先輩は人生に絶望した時に、「子供の寝顔に何度も救われた。”子は春日”。夫婦を繋ぎ止める杭。生きる勇気を与えてくれた人生の恩人なんだ」そう話してくれました。

私自身、もしこの子が居なかったとしたら別の人生だったと確信しています。

武勇伝では無いけれど、毎晩酔いつぶれ、夜遊びの果に会社を休む。腹が経てば憂さ晴らし。悪びれることがカッコイイの思考。若い頃と変わらない価値観で生きて来たと思う。

お陰様で、タバコを止め、毎日の深酒も控え、お金の勉強(失敗)も出来ました。いいか?悪いか?分かりませんが、社会に順応する”スタンス”へと導いてくれたのです。

子供は「正しさと忍耐と理不尽な世の中でもグレない」そんな生き方を教えてくれた恩師です。

★★★

そして我が子はもう直ぐカーライセンスを取得しようとしています。それは同時に”誰の許可も無く、自由に車で行くことができる”というパスポート。

小学生でもらったお年玉の千円は貴重です。けど高校生になりバイトする様になれば、その価値は下がってしまう。

それと同じく車を乗る歳になればもう「お出かけに対して」の親に価値は無い。子供に頼られなくなっしまうのです。

もしかしたら来年のクリスマス、家族と違う誰かのもとへ行ってしまうかも知れません。免許を取って自分の車を持てたなら、もうあのブランコがある公園などでは物足りない。

まだ間に合います。二度と戻ることは無いこの時は、子供との貴重な時期では?と、ふと想いましたよ。

おわりに

当たり前ですが、過ぎたその時は戻りません。

  • 自分を頼りにされる時が華
  • 相手にされるうちが華
  • 言われるうちが花

戻らない瞬間を大事にしたいものですね。

♪二度と戻らないOh~フレ~ンズ♪ by – REBECCA (*^^*)

エッセイ
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