クローバーを手で刈り込んでいるときに、ふと思ったことを書いています。
何でも「効率的」が果たして良いのだろうか
また今年もクローバーの群衆との格闘がはじまった。それはクローバーに限らない。
わたしはカーテンをチラッと開き、窓の外をながめ、庭の状況を見るのが毎日の日課になる。
「あぁ・・もうそろそろ草刈りをしないとヤバいな・・」と、ため息をつきながら、そっとカーテンを閉める。
もし、ちゃんと管理された理想の庭だとしたら、きっと逆の心境だろう。
そして、分かってはいるものの、やろとしない。そんな何でも後回しの性格が好きになれない自分を客観的に見てしまう。
新築のころはまだ庭はタダの土一色。
何も描かれて無い真っ白なキャンパスに、自分なりの表現をする手段を手に入れた満足感。毎日ワクワクして過ごしていたころが懐かしい。
今、庭の管理が超ウザイ。面倒ごとで悩み事に変わってしまった。すべては自作自演の自己責任。
それでも草刈りや芝刈りをやり終えた後の満足感は格別だ。
その気持と何かを達成した満足や義務を果たした感はもちろんだが、近所の人からどう思われるのか?のストレスが和らいだ安心感の方が強いと感じている。
とはいえ「お前の顔を気にしてるのはお前だけだ」の言葉がある言うように、他人のことなどどうでもいいもの。みんな自分のことで精一杯なのだ。
もしこの世に自分しか居なかったらきっとクローバーを生やしっぱなしにしているのだろうと思う。別に何の被害にもならない。
けどそのままでは、クローバーの勢力はどんどん広がって、やがて芝生を覆い尽くしてしまう。
そうなると、日が当たらなくなった芝は枯れてしまう運命をたどるのが自然の法則だ。
芝を守るため、自分の人間性を守るため、家の地盤を雨から守るためにもクローバーの除去は必要になる。
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そしてこの記事のポイントの1つは、面倒なことはやる前はシンドイが、やり出すと気分が良くなる効果があるって話。
これはある人が想像する未来のはなしだけど、「将来AIが普及した未来、人は働かなくとも食べていける社会になる」といっている。
ベーシックインカム(国がお金をくれる)によって、最低限度の生活は出来るようになり、みんな好きなことをして暮らすようになる。そこで活躍すればお金を稼げる。
で、誰もがそんなスキルがあるわけども無く、またやる気がある訳でもない。
そこでコレと言って特殊な能力や経験が無くても誰でも出来る簡単な仕事を、AI・自動化・機械化された仕事でも、その人達のためにわざわざ与えてあげる。
そしてもっと大事なことがある。
すべてが自動化になり、すべてが便利になると、今度は逆に自分でそれをやりたくなってしまう。
例えると、会社へ行くのに乗り物を使わず、わざわざ自転車で行きたくなる。または、家があるのにキャンプをしたくなる逆説的行動だ。
いまは自動化されてしまった、昔やってた仕事をまたやってみたくなる。不便を楽しむ様なる。リアル体験に価値を感じるという流れ。
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何でだろう・・
わたしは毎回草むしりをすると、作業に集中し、言い知れない感覚になるのが好きでたまらない。
それは脳からポジティブになれるホルモンが出ているからでもる。
そして『道は開ける』という有名な本にそのヒントが書いてあることを思い出した。
戦時中、残虐な体験をした兵士は心理的におかしくなってしまう。その対処法として出した医師の処方箋は、
「多忙にして置くこと」。
安静にすることでも、楽しいリクリエーションでも無い。
これは”作業療法”といって、何かに集中することで、悩んでいる暇を与えないことにより、正気を取り戻せる治療法なのだ。
そして脳は2つのことを同時に考えられないからでもある。
もし食を失ったり、最愛の人を亡くしたり、窮地に立たされたとき、アレコレ考えるのではなく、とにかくひたすら行動すればいい。
実際この本の中にあるエピソードの1つとして、妻を失って何も手につかない時期、小さな息子がプラモデルを作って欲しいとせがまれて、
仕方なく作り出し、完成するころには、気分が落ち着いたと書いてある。そこから、家の中で、いま改善することをリストアップ、
それを一つ一つつぶしていき、数年かかってやり遂げたころには、すっかり元気なったいう。
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お年寄りの人が、自分の家の前の道路に生えた雑草をむしる光景をたまに見かけることがある。
「除草剤をまけば早いのに」と思っていたけど、本人はきっと「仕方なく」じゃなく「好きでやっている」のだと思う。
「は?それはネコのためですよ」確かにそんなケースもあるかも知れない。
けど自分が出来る何かを探して、自分なりのやるべき仕事として、自分の生きる価値を見出しているしてのでは?そう思えてならない。
いまわたしは芝刈りや草むしりが苦痛だ。それは他にやることがあるからだ。だから何とかして効率化を考えている。
けど、もし雑草が生えない未来が来たならば、わたしはせっかくの綺麗な芝庭に、わざとクローバーの種をまくかも知れない。
自分の生きる意味のため、そして「人生の季節」で人は変わるものだから。
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