考えを押し付ける悪気ないお節介のメントレ。アドラー心理学は人生の教科書だ!

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人それぞれ目的は違う

たとえ「その人のため」だったり、「誰がみても正している」様に見えたとしても、当の本人がイヤだと思うなら、それは列記としたお節介。

今回わたしが「自分のやりたいコトが出来にくい状況」がありました。そこで1つ思ったことがあります。なので今後の備忘録として書き残して置くことにします。

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”自分がやろうとしている事に「待った」をかける人の対策を打ち出した話し”の前振り

自分が何かをしたことの結果、ミスにつながる可能性に気づくことがある。

「あれ?やっちまったな!でも手直しするタイミングも無いし、取りあえず保留」など。直ぐにやり直そうと思っても、出来ないケースもあったりもする。

そんなとき「後でやり直そう」と考えていたにも関わらず、つい忘れてしまうこともある。

中途半端な自分の行動を最適化したくなる

例えばスーパーで商品を並べる場合だと、”新入荷の商品のサイズが枠に収まらなく「どう扱うのか」のマニュアルもなく、ただ同じカテゴリーの棚へ適当に陳列してみたりするってこと。

そんな時ネガティブな予測をしたりもする。

となりの商品の邪魔になりそうだし、他の社員にも変だと思われるかも知れない。「もっと考えて置けないのかしら?」迷惑をかけることも想定できてしまう。

じゃぁ今すぐやり直せばイイ話しだけど、そうもいかず、手を出せない状況になることもある。

例えば、人手不足だったり、時間に追われてたり、店長がせっかちで、尻を叩く様な人間だと、「早くしないと怒られる」などで忖度(そんたく)。後で手直しをしようとその場をやり過ごすこともあったりする。

とはいえ、倉庫から商品を取りに行っても、またこの場所にもどれる状況。自分がココにいれば他の店員に一言伝えることだって出来るはず。

たとえば「そのイビツな商品に合わせた売り場つくりをしたい。そのとなりに商品を置かないで」など、二度手間を防げる。

自分の考えを押し付ける人は一定数いる

けど、考え方は十人十色、千差万別。とらえ方が違って当然だから。

「やり直さなくてもよくねぇ?」「そんなの考え過ぎだし、そこまでこだわる必要はない。心配し過ぎ」って”さとされる”こともある。

そうなると迷いが出る。しかも上司や先輩など、反論しにくい関係だと聞き入れなくちゃいけない空気に負けてしまう自分もいたりする。

人の意見に流されず、自分のこだわりを通した方がイイのか。それとも他人の意見を素直に聞きれた方がイイのか、何が一番イイのか分からなくなるステージ(精神的段階)にいる人もいると思う。

分かり合えないのは目的がちがうから。でも組織では”仲間の愛ある意見”は大事だよ

で、結果的にわたしは素直に聞き入れちゃいました。実際そんな問題にはならないことだったと思うし、過剰反応なのだろうと思ってもいたから。

けど、同じ(行動・行為・リアクション)だとしても中身はまったく違うこともある。これは自分本人しか知りえない成長といってもいい。

と言うのも、以前のわたしも同じ様に先輩の意見を聞き入れていた。でもそれは、そうすることで「助けてもらおう」とか「べつの自分になろうとしていた」も目的にしていたからだ。

偽りの自分ってこと。

その後「いや、やっぱりそれってお節介だし、人格操作だし、後輩の成長を邪魔してるだけ」と思い、嘘の自分にフタをできず、本当の自分ってヤツが反発していた時期もあった。

きっと先輩としては「しょーがない奴だ。ここは長い目で見て、育てていこう」と思って、一歩引いていたのは観て理解していた。

そんな想いを見透かしたわたしは、逆に、その先輩の意見を聞き入れる様になっていた。つまり、本当は納得してないけど、面倒だからしたがっていたのだ。

てか、何がいいのか正直わからなくなってもいた。

しかし時を経てわたしは、何が一番自分にとって自分らしく生きられるのかが見えてきた。てか、必要に迫られて気づいたのだ。

いいかえるなら、迷っていた自分の考えがハッキリした。ちょっと大げささけど、人生の目的を遂行する決意がかたまり出し、密かに動きはじめていたのだ。

ここは表現がちょっと難しいけど、同じ、先輩のいうことを聞き入れる行為でも、

  1. 最初は本心から猛反発
  2. 次に表面上は聞き入れる
  3. 次にやっぱり変だと想い抵抗
  4. そして今回また聞き入れた

最後(今)の理由は、「この先輩に言ってもわたしの気持ち、考えは理解されない。もともとわたしとあなたの目的(進む道)が違う」と悟ったから。どっちも間違えじゃない。

そして、「こだわらないことに、こだわってみよう」というテーマも密かにかかげていた。

ちょっと上から目線だけど、その先輩に対して逆にわたしが「しょーがない人だから」と考えて身を引いた。

だから「自分の気持を理解してらおう」と争わず、相手の目的を知ろうと考えれば、意外と腹も立たずにすむこともある。

「自分の立場から」ではなく、全体像と自分がやろうとしている行動を客観視する

つまり、「俺の言うことをきかないと、何かあっても助けてやらなねぇーよ」という脅し(おどし)に対して、自分で解決する努力と戦う勇気も湧いていいたから。

「嫌われる覚悟」を持てれば怖いものはなくなる。アドラーがいう「自立」がここにある。

その人も悪気はなく「そんな苦労をさせないために言ってくれたのかも知れない。わたしの完璧主義的な思考を正そうとしたのかも知れない」とも考えてみた。

実際、なぜやり直そうと考えたのかは、「ミスにつながる仕事をした自分を責める、批判されることが許せない」のもあった。

そして他人を信じることでまた自分も信じてもらえる。もちろん何か起きたとき責を負うのは自分。

そんな中途半端な(ヘマ)自分を受けいれる勇気や、仲間の意見を信じる関係もアドラーがいう共同体感覚の1つなのかも知れないと思った。

完璧な人などいない。未熟な部分も受け入れ、共に成長する

そしてアドラーは”課題の分離”に着目している。

もし何か問題があったとき責を負うのはわたし。それなのに、行動を変える意見を言うのは、他人の課題に口出しをしているってこと。

そして、「そうしたほうがイイよ」というのは”縦の関係”でわたしを観ているからだ。アドラーは「立場はちがえど人は平等」といっている。

つまり、”横の関係”として仲間をとらえていたら、相手の思いを尊重し、上からものを言うことはないはずなのだ。

つまり、口では優しさを歌っても、結局”わたしを支配したいだけ”なことを証明している。

それでも、それに気づいても、腹が立つこともなく、素直になれたのは、ひとえに、アドラー心理学の本をまた読む様になったからだ。

さて、ここからが本題

とはいえ、もう一つの側面もある。

そうやっていつもいつも他人の意見を尊重してばかりいると、イイように使われる落ちにもなりえる。

そしていつになっても自分のやりたいことが出来なくもなる。人の成長に必要なのは、自分の考えたことによる経験値を積むことだけ。実際に動いてこそ道は拓けるからだ。

今回「思った、学んだこと」と、次への反省点を書いておくことにする。

  • 人の意見に流されない勇気も必要
  • 自分がやろうと思ったことは口に出さないようにする

この人は「わたしが失敗しない様に導いてくれた」のではなく、「失敗という貴重な経験(成長)を奪う人」だと考える様にする。

さっきも書いたけど、実際自分がその場にいればミスの可能性に対して手出し口出しが出来る状態だった。

取り返しがつかないことじゃないのなら、やっぱり「可愛こには旅をさせる」のが本当の優しさなのだ。

先輩の意見もあるけど管理責任がある上司ではない。やはり自分が責任追及されない高台からモノをいうのはどうかと思う。

そして「決める、選択の自由」は自分にあったのだ。だったら一旦その場はスルーして、次のタイミングのときにゆっくりとやり直せばいいだけのことだ。

その前に最初のミスに気づいた段階で、「素早く手直しする判断と、その行動の反発者に対して恐れない勇気を持ている様になりたい」という願いも付け加えておくことにする。

おわりに

悩みのほとんどは人間関係だといわれています。もめごとの多くは人の課題と自分の課題がわからないことだとも言われています。

「自分の領域と他人の領域」つい自分の意見を人に押し付けてしまうのはしょーがないことではあります。

けど、本当に「あなたのため」だと思うなら、やっぱり自分のことは自分に考えさせるしかないのです。

わたしたちが出来るのは、助けを求めて来たときに手を差し伸べるだけなんです。

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