なぜか「なつかない人」っていますよね?
ミスを助けてあげたり、気を使った行動をしたり、正しい方向へ導いてあげているのに、中々心を開いてはくれません。
「ありがとうございます、助かりました」とは言うものの、別人に変わってしまうことはよくある話です。
機嫌をそこねたり、逆のことをしてきたり、意地をはって牙をむかれては、何がよくないのか分かりません。
「何で分かってくれないの?」
「何でよくしてあげているのに、どうしたものか・・」って悩んでしまいます。
さんざん助けてきたのにガッカリです。
「恩(おん)を仇(あだ)で返すとはこのことだ」って、いきどおりを感じてしまうところでしょう。
でもあなたがやってきた行為とは本当に恩に値することなのでしょうか。
今回は、人間関係を銀行にたとえて説明してみます。
あなたの行動は残高不足になっている?
銀行にお金をあずけ入れることは貯金をすることです。そしてあずけた金額を引き出せるのもその特徴でもあります。
人のこころは銀行のようなもの。
相手に対して「何かあずけ入れ」をすれば、「あずけた分だけを引き出すこと」が出来るようになっている。本当に当たり前のルールです。
そして肝心なことを忘れてはいけません。
貯金とは、相手にとって心から必要なことでなくては、あずけ入れをしたことにはなりません。
ここが超重要なポイントです。
信頼の数で関係は成り立っている
お金とは人間関係においては信頼です。信頼残高によって関係が成り立っていると理解することが必要です。
「お金を振り込めば商品が届く」という信頼があるから先払いできるし、住所があるから、先に商品が届けられるのです。
とはいえ人は完璧ではないし、状況も絶対ではありません。
失敗もあります。相手の気持ちを考えない行動をしてしまうことだってあるでしょう。注文したのに遅れる場合もだってあるのです。
でも安心して待っていられるのは、何度かやり取りした実績という信用残高があるからです。
「またかよ・・」という状況は信頼を削っている状況です。そしてある日、
「もうこの通販サイトは利用しない」という判断をしてしまうのです。信頼がなくては取引はできませんからね。
このようなルールが人間関係でも働いています。
不慮の事態でも受け入れるのは?
「あれ、やって置いてね?」といきなり言ってきたり、機嫌がよくない口調な場合はだれにだってありえます。
「何のこと?」「どうしたのかしら」と思うようなコミュニケーション不足があったとしても、何とかしてあげようと調整するでしょう。
たとえイヤだと思う頼みがあったとしても、相手の立場を考えれば多少の犠牲を払ってしまうもの。
なぜなら、人のこころには、その相手から受けた「あずけ入れがまだ残っているから」です。
ケンカになったり絶縁することがないのは、いままで積まれてきた信頼が相手のこころの銀行にしっかりとストックされているからなんです。
貯金だと思っていた行為が実は「引き出し」になっていた
「なぜ分かってくれないの?」記事の最初に書きました。その答えとは、
その相手からすれば、あなたに対しての信頼残高がなくなってしまったからなんです。
相手に対して「良かれ」と思ってしたことが「実は迷惑だった」という心当たりはないですか?
その行為とは、自分の利益につながることだからやっていたのではないですよね?
百歩譲って、あなたが親切をした行為はだれが見ても正当だったとします。それなのに相手は何で態度をあらためようとしないのでしょう。
あなたはその相手に何か迷惑をかけていることは本当にないのでしょうか。
「自分がされたら絶対に許せない」という目で少しふり返ってみましょうよ。
- 自分のわがままを正当化して、その相手や周囲に何か押し付けたりしてませんか?
- 大人しいことや人の弱みをついて、その相手を利用してはいませんか?
- 一般論や正論などを武器にして、ことばたくみに相手を操ってはいませんか?
- 相手が望まない行為を貸し付けて、恩着せがましくしてはいませんか?
- それらをテクニックだとかんちがいして自惚れ(うぬぼれ)てはいませんか?
どうでしたか?何か心当たりはありませんでしたか?
こうして書き出してみると、わたしには思い当たることがありましたよ。分かってはいるものの、つい優位に立ちたくてやってしまいがちです。
こんなことを続けていたら相手の残高はいったいどうなってしまうのでしょう。
もうあなたに対しての貯金は一円も残っていません。なのにどうやってお金を引き出せるのでしょう。
無いものを「出せ」といいつづけたら、その相手はどうなってしまうのでしょうね。きっと、記事冒頭で書いたような、
あなたに対しての接し方が変わってしまうとは思いませんか?
「いいえ、悪いのはあいつだ。この恩知らずめ!」っていうのは勝手です。
相手(世の中)に対しての接し方をそのままずっと変えないといいうことは、相手に借金をしている状態だという現実を理解してこそ道は開けるのです。
人間とは「仕返し」をする生き物です。
返してくれない人を恨むのは当然の報いです。正当な理由にもなってしまう。
その相手はあなたの不誠実な態度が許せなく、おさえきれなくなっている。
そして的はずれな「お節介」などで対処しようとするから、よけいに火に油をそそくことになっているのです。
相手との関係を修復させるには?
こたえは単純です。
コツコツと信頼を築くしかないでしょう。話術や望まないプレゼントをつかっても、結局は逆効果になるからです。
誠実な態度をすべてにおいて一貫性を持つことです。
もし、相手があなたがしてくれる行為を「好意的に思って受け入れている」としても、それは上辺だけのつき合いです。心のなかでは見下しているはずです。
相手にアメという近道で接するから、相手も条件付きの行為しか返さないのです。こころを動かすには、
あなたがやるべきことを受け入れて、日々の小さな信頼を築き上げることでしか信頼は生まれません。
いつも家にいないお父さんが、こどもの誕生日だけ立派なプレゼントをしてもこどもからの信頼は生まれません。子がこどもでなくなったときに言うことを聞かなくなるのはそのためです。
仕事で会えないのなら、会えないなりの行動が必要です。
「こどものことをちゃんと考えてくれている」という事実が分かれば、こどもだって納得するものだからです。
「こどもだから」という不誠実な態度は見抜かれているのです。
礼儀正しく、何に(誰に)対しても誠実で、きちんと約束を守ることを積み上げていくこと。
たまには間違うことや、よくない態度をしてしまうのは人である以上、だれだってあるものです。完璧な人なんていませんからね。
そんなときでも日々の「あずけ入れ」があるから大丈夫なんです。
とにかく、ある一方だけちゃんとしていても、別の一面が大きく不誠実である以上、人から真の信頼をつくることはむずかしいと知ることです。
いくら頑張って「いい人を演じたり、ほめられる行動をした」としてもそれは偽善にしか見えない、という訳です。
おわりに
わたしなんかは、有言不実行なところがあって家族からの信頼はガタ落ちです。
なので「信頼というあずけ入れ」を意識した関わり方で接してくように心がけています。
もう日々のことですから、結構大変です。大変と感じるのは、いままでいかに不誠実に生きてきたのかがよく分かります。
何か、家族から忍耐を試されている感覚です。信頼を取り戻すには、ここはしっかりと小さなことを大切にしていくしかないでしょう。
▼人間関係において近道の道具をつかう人は信用できません。
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