本人が不幸にならないための選択を完璧にしているはずなのに、なぜか満たされない人生を歩んでいる人はいるものです。
幸せになれない人ってどんな人なのでしょうね。
幸せになれない人とは、本当の意味の幸せをまだ理解していない人だと思うのです。
そうはいっても幸せに決まりなんかはありません。本人が「幸せだ」というのなら幸せなのでしょう。
しかしその幸せになるための行動をしてもなぜ幸せを感じられないのでしょうか。
自分最適化を人生のテーマに生きるのはどうなのか
幸せになれない人のランキング上位とは、「自己中心的なエゴイスト」になるでしょう。
なぜなら独りよがりのその行動が「多くの人たちの迷惑になる」のはもちろん、自分で幸せを遠ざけているからです。
ところが当の本人は「幸せを遠ざけている性格」にすら気づいていなのも悲劇です。むしろ、「オレってデキルやつ」と思い自惚れるいるのもその特徴の1つです。
もし「自分はまともな人間だ」と思うあなたが「自分最適化をしてみよう」と思ってもそれが出来ないでいるのはなぜなのでしょう。
自分が選んだ行動によって「誰かの迷惑になるんじゃない?」という配慮を想像してしまうからですよね?(これは「嫌われるから」とはちがいます)
敵わない自己中者に対しての自分最適化人間の対応
たとえば、「まだ冬の名残がある春先の肌寒い職場に、暑がりの同僚(太っている)と仕事をしていた」とします。
春の強い日ざしによって部屋の気温が上がることもあるでしょう。
もし、暑がり(太っている)社員がエアコンの冷房をつかって部屋をキンキンに冷やしたとしたら暑がりの人は快適です。
でも普通体型の人は寒くていられません。もしその寒い部屋にいなくてもすむとしたら別の部屋に逃げてしまうでしょう。
人は感覚のちがう人ととは一緒にいたいとは思わないものだからです。
このような自己中者はこころに問題を抱えています。自分では「よくないことだ」と認識している人もいれば、まったく気づかない幸せな人など千差万別です。
でも真の自分最適化人間はもっと最適を考えています。
絶対に損しない道を選ぶ思考
ところが真の自分最適化人間はちがいます。暑くなることを見越して、暑くて困らないために前もって準備をしているのです。
そして、自分が快適でいられない状況を決して受け入れようとしません。用意周到な人もまた自分最適化の持ち主だからす。
相反するこの2人の対決はどうなってしまうのか。
自己中者に対して用意周到な自分最適化人間は我慢する考えは毛頭ありません。自身をエアコンから離れるための行動をはじめます。
具体的には「別の部屋で仕事をさせてください」とか「悪いけど、冷え性だから席を変わってくれないか?」という要望をハッキリと上司や同僚に主張してしまうのです。
もちろん真の対策ではないですよね?
他の誰かが身代わりです。暑がりでワガママな人のそばで仕事をしなくてはならないからです。会社だって困ってしまうでしょう。
深く考えれば、暑がりの人の自己努力(ダイエット・薄着に着替える)が足りないし、部下を統率(指導)できない上司や会社側に根本的な問題があるのは当然です。
そんな納得できない体質の会社から離れる選択をしない社員たちが悪いという意見もあるでしょう。
それでも、何とも思わないで自我を通せるのが真の自分最適化人間のすごいところなのです。
自分に不利益を感じれば手を出さないのもその特徴
それでも他の人たちはある程度は我慢をしています。
「謙譲の美徳・嫌われたくない思い・自己イメージを怪我されたくない」などのエゴといわれればそれまでです。
が、社会に忍耐はかかせないルールのようなもの。みんながみんな自分最適化をはかったらコミュニティは崩壊してしまうでしょう。
「自分だけ助かろう」抜け駆けし、影で動くから自分最適化人間といわれてしまのです。
もし「将来さみしい思いをしたくない」と思うのなら、まずはその身勝手な発想をやめることです。
暑がりの人に意見を言うとか諭す(さとす)とかをするべきなのです。
「暑がりな人」と「流されて生きている他の社員」とを天秤にかけたとき、暑がりな人の報復の方がデメリットと考えて、上司に自分だけ助かる主張を選ぶから自分最適化人間なのです。
自分最適化人間を卒業しましょう
さて、このような「真の自分最適化人間と関わりたいと思うのか」がこの記事のテーマです。
もちろん、困らないための知識を持っています。参考になる部分もあるしそこから学ぶことだって出来るでしょう。
自己中心的にしか物事を考えられないのは「他人がどうなろと知ったことはない」と強く思っているからです。
長くつき合えばその思いは見抜かれます。
自分が失敗しないために最適に仕上げてきた人生に自信満々です。逆に、世渡りベタな人をあざ笑う習性もあるようです。
ところが悲しいかな、そんな偽りの設計では幸せにはなれません。
結局さみしい思いをするのは他ならならぬ自分最適化人間、本人です。将来みじめな思いをしないためには本人次第といったところでしょう。
おわりに
そんなわたし自身も幸せにはなれい人なのかも知れません。
思っていることをハッキリと言えずにただ耐えるだけだし、時には爆発させて反省したり、何の策略もなく生きてたからです。
でも、そんな決して賢く生きていないわたしでも、客観的に自分を見つめることで変わりつつあるのもまた事実です。
こうして「幸せになれない人」を日々目の当たりにし研究することによって、少しでも幸せに近づけたらと思うしだいでございます。
▼自己中心的な発想が幸せを遠ざけています。
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