長年苦しんできたモラハラじいいさんとの関係が最近急速に良くなりつつあります。
以前も似たようなことはありましたが今回は違うように思えています。
誰が「分からず屋」たったのか。そして、モラハラじんさんからも学べることはあるのでしょうか。その辺を書いてます。
モラハラ人は常識が通用しない人。対応は自分で考えるしかない
何か物事を判断する基準としてルールがつくられています。法律・道徳・伝統などが常識として秩序がうまれ、人と人は折り合いをつけている。
ところが、そんな常識を持たない人は一定数存在します。
たとえば冬の寒い早朝、評判のラーメン屋に並んでいるところ、1人の老人が現れて、いつもこう言ってくるとします。
「そこをどけ。俺は腹が減っている。この寒い中、この年寄りに並べっていうのか?俺はこの後、別に用事は無い。食べ終えたら並んでいる奴らを見て優越感に浸りたい」
もしそんなこと言われたら「順番を守りましょう」って言い返しますよね?「何だこいつ、後ろに並べこの野郎」って心の中で思って当然です。
するとその老人は言いがかりをつけてきます。
「そんなことより、お前、こんなところで遊んでいる場合か?何だそのショボい車。もっと働いた方がイイんじゃない?家族が可愛そうだ。俺はもう住宅ローンは返し終わった。余裕w」
返す刀で「みんな迷惑してますよ・・」って老人に言い返したら、
「誰が言ったんだ!ここに連れてこい!なんて自分勝手なヤツだ!そんなことだから出世できないんだ。昇進した〇〇さんは本当に気が利く人だ。あんたとは大違いだ!」
という威圧的な言動を毎日毎日ずっと言われ続けたらどうなるのでしょう。更に、
「みなさ~ん!聞いて下さ~い。この人は後発組に先を越された万年平社員の可愛そうな人ですよー!」
って噂のネタにされたら「この人とは関わりたくない。いじめられる」って警戒しますよね。それが作戦です。
最初は「何を言ってんだ?間違ってるよ」誰だって思いますよね。だってモラルに反するから。どう考えても理不尽な要求です。
▼わたしも当初、この様な要求に反発しました。ところが色々な人がいるもので、こんな人を味方につけ、自分の武器へと替えてしまう知能犯も出てきます。
⇒「楽しいだけ」のつながりからは本当の絆は生まれない。15年見て分かったこと
そうなると誰もが疑心暗鬼。大ぴらに否定できない心理状況になって、口が達者で要領のいい人がおかしなルールをつくり、主導権をにぎる様になりました。
ところが結局、空中分解という結末になったのです。なぜなら甘やかしからは何も生まれないし、どちらも自分が得するために相手を利用しているからです。
話をもどすと、モラハラ人と四六時中ずーっと一緒、同じ枠で仕事をしていると、いい加減イヤになってくる。そうすると、ふうつは折れます。だって面倒じゃないですか。
誰もが反撃しきれないのは、離れられない関係だし、その相手が会社では弱い立場の人材だから。つまり対等じゃない相手に本気にはなれないのです。
その「ストレス」から逃れるため、仕方なく相手の理不尽を受け入れ、ご機嫌を損なわないルールが職場の秩序となっていく。そんな職場はよく聞くはなしです。
どうしても耐えられない人は、そのモラハラ人から離れていきました。しかし多くの人は我慢をしています。それは後々自分のためにならないことを無意識に感じ取っているからです。
そして、訴えられないギリギリの範囲で攻るのがハラスメント。反撃する気力を無くすまで続ける人種なのです。
ですが私は、どうしてもその「おかしなルール」を受け入れることが出来ません。
おかしなルールに仕方なく乗っていたけど、どうしても耐えきれずモラハラ人と衝突していまうのを繰り返してしまうのです。
ところが、ココに来て「そのおかしなルール」を心から受け入れることが出来るようになりました。というのがこの記事の内容です。
これは私の「対人レベル」ってやつが上がったんじゃない?って思うのです。なぜなら、同じレベルの者同士は戦う法則があるら。
その方法は一言では言い切れませんが、その経緯を以下の章に書いてみます。
1. 道徳に反することこには耐えきれなかったので突き抜けてみた
このブログを読んでくださると分かると思いますが、わたしは
- 人間関係の改善と
- ストレスなく生きていく
- ポジティブな未来をつくるため
に自己改革をするべく試行錯誤(PDCA)をくり返しています。その中の一環として本を読んで「これはイイ!」って思った部分を取り入れる実験です。
わたしは40歳過ぎて初めて読書をする様になりました。当初は、結局は自分次第で人生は変えられる的な話に影響を受け、世にいう「いい人」になろうとしてました。
▼脳科学や心理学などの本を読むと「なるほど、だからこの人はそんことをするんだ」って理解できました。「人の習性」についての研究です。
⇒人を説得したい!脳の2つの仕組をヒントに他人を操れるのか?
▼ところが次第に「変なヤツはスルー」とか「もっと自分を大事にしてもいい」「自己主張は必要」など、いわゆる自己啓発本やメンタル本に触発されてく。
そうなると、
- 自分がイイと思うことを大事にする
- 自分の心を守ってもイイ
- 人に流されてもつまらない
- そうやって他人に合わせるから辛くなる
と考えて、あえて強気になりモラルや倫理に反する人に、自己主張と自分がイイと思った行動を貫く決意をします。
「わたしはココの人達とは違う」と思うようになり、職場のおかしなルールに乗っかり、抵抗しない多くの人達とはちがう理念の基、行動する様になったのです。
つまり、自分が「正しい」って思ったことを貫き通すってこと。これは本当に勇気がいる行動でした。1人だけ違うことをやるわけですからね。
▼他の部署の役職ともめた件
【脱ストレス】出世が関係無くなた組織人は理不尽な上司に抵抗してもいい
ここで学んだのは、組織社会で生きるのに必要なのは、お互いが利用し合える関係を築くこと。持ちつ持たれつ論。関わりのある他の部署と喧嘩しても、自分や仲間が不利になるだけ。
相手はモラル違反をしました。それでもトラブルを避ける行動の選択は他にもありました。そこが私にかけている部分だったのです。相手の立場になれば怒ることはではなかった。
これがわたしを変えるきっかけとなった1つ目の出来事です。
2. モラハラ人も自分を変えようと試行錯誤を繰り返していると感じたから
わたしの部署のモラハラ人は和を重んじる島国根性に洗脳された世代の人間です。逸脱者を嫌い、自分が孤立することを強く恐れています。
自分だけ他の人と違う状況に劣等感。被害者意識から、自分が持たないモノを持つ人への嫉妬から攻撃するのを本を読んでから理解できました。
▼モラハラ人が変わろとしている件
なぜモラハラ年配社員は急に大人しくなったのか?同僚と議論した件
仕事を仕切ったり、人が気づかないことを見つけ指摘することで、仕事ができる自分をアピールして自己実現していた。自分を守ろうと必死。これ以上傷つきたくなかったのでしょう。
本人は、「お山の大将になりたい」のと、「解雇される恐れ」から、時折おとなしくなっているだけだと考えてました。
けれど「本当は違うんじゃないか?」って思える様になったのは、わたしが世にいう「正しいこと」を捨て、モラハラ人の要求通りに動くと、人が変わった様に機嫌がよくなるからです。
「それってただモラハラ人の手下になっただけじゃない?負けたのかお前。しゃばくねぇ?」って思われても仕方ないです。
かつて同じ様なあつかいをする先輩に対して「何で味方になるのか?もう知らな(-_-メ)」ってわたしも思ってましたからね。
その先輩もモラハラ人の理不尽な要求に怒っていたのに、なぜかいつも一緒につるんでいる。好きで一緒にいる様にしか見えません。
▼人のお世話が大好きな人は危険。そうとも考えていた。
⇒結局、損してる気がするのは相手の作戦にハマっているからという話
このリンク記事の疑いもある人ですが、でもその先輩方の気持ちがやっと理解できたのです。皮肉や偏屈の裏には物事の真髄もある。
吠える犬には自分の腕を差し出し、気が済むまで噛ませることで信頼されるの原理。叩いたり無視をしても真の解決にはならない。
そしてその要求とは裏を返せば、人に対する優しさです。所詮モラルとは人がつくったもの。完璧なルールなどないのです。わたしにかけている部分でした。目に見えない部分が大事。
相手を理解し、利他的な行動こそが秩序の原則だったのです。頭ではわかっていましたが、突き抜けて失敗したことで腑に落ちました。
なぜなら、他人の入れ知恵(即効性のあるノウハウ本)ではなく、自分の本心の基。自分で決断した結果出された答えだからです。なので自然と変わっていけました。
3. その場所が自分に合わないなら「その場所を去る」か「融合」するしかない
わたしは基本マジメです。そのマジメさがときに人を傷つけてしまいます。
▼他人の親切をノーサンキュ
結論からいうと、仕事上、馴れ合いをしては仕事は最適化されません。自分の目で実際に見て触れるなら、自分がやった方が確実です。二度手間になりません。
けど相手は「良かれ」と思って自分に情報提供してくれています。その気持を受け取る器量にかけていたのです。
「渡されたこのデータは過去の情報。ひょっとしたら使えないかも」と分かっていても、教えてくれた人の気持ちを大事に思う真心にかけていた。
先ほどのリンク記事の内容(チームプレイに反する態度)は、集団行動に抗う態度です。
「君たちが間違っている」って、このまま一匹狼的に規律やモラルや正論を武器に戦っても勝ち目はありません。
このままのやり方ではいずれ行き詰まるでしょう。既にそんな生真面目な上司がいて、総スカンされています。
人は「快楽」と「恐怖」で動く生き物です。
わたしはこの件に関しては、自分が本当に正しいことをしている自身がなく、このままでは本当に孤立してしまう。自分を応援してくれている味方まで失ってしまう恐怖をいだきました。
そこでモラハラ人の話にもどります。
このモラハラ老人が怒っていることの1つは、わたしが個人主義だから。つまりチームプレイをしないからです。そしてモラハラ人本人寄りの行動をしなかったときです。
つまりモラハラ人は「自分は弱い立場の被害者、年配者で敬意されるべき立場」だと思い込んでいる。という前提での行動を周囲に求めいている。
そしてモラハラ人本人としては「自分はあれこれ指摘したり指示を出して集団に貢献している」と考えています。
確かに言い方も嫌味です。気に障る部分を付いてきます。どうしても好意的にはなれません。ですがその言葉だけに耳を傾け助言として聴けば金言だったりもする。
でも、集団で要領よく立ち回るタイプを見るとどうしても好きになれません。なぜならズルい人があまりにも多いから。
でも他人の親切は別でした。たとえその教えてくれた情報が「教えた側の得になる行動」だったとしても、やっぱり人としての温かさににかけていたのです。
4. 考え方は一方に偏ってはいけない
本を読み、影響を受け、実践して、イイものだけを自分に取り入れればいい。最初「これっだ」って思っても、もし変わってしまったら別に変えてもイイんです。
▼内向的な性格なのに外交的なふりをする人に読んで欲しい書籍
上記のリンク記事の様に「違う自分」になろうとしても上手くいきません。あまりにも違う自分を演じても辛いだけです。が、変わる努力が必要な段階はあると思い直しました。
5. その場所にいる限り、質は違えど同レベル
タイトルの通り、悔しいけど、自分の周りにいる人とは自分に似た人の集まり。そして自分の精神レベルを表しているという話をふまえると色々見えてきます。
つまり私自身も何らかの影響を与えているってこと。だからじいさんは「お前、まちがっているぞ」って教えたくなるのでしょう。
たしかに私自身も許されていることがあったりします。苦手な分野を察して気遣ってくれるお陰で「この職場でやっていけるんだ」と言うことも分かるようになりました。
そう考える様になると、モラハラじいさんだけを責めるのは理不尽になってしまう。
関わり合うのも何かの縁。「モラハラじいさんは、私達を鍛えてくれている」そんな風な価値観になれれば、どんなことでもプラスに変えられるとも思えました。
まだまだ未熟者だし衝突することもあるかも知れないけど、「自分にも何か非が無いか」自問自答してイイ関係を築いてこうと考えています。
おわりに
1の章での「迷惑な老人の割り込み」の件に話をもどすと、
- その老人は「そういう人」なんだからしょーがない
- 来ることを察して先を譲る
- ついでに話相手になってあげる
なぜなら本人は「それが正しい」と思っているから。偏屈なのには何か訳がある。折れたもの勝ちなんです。
この様な心理にマジでなれれたら、それはもうモラハラではありません。そうなると本当に辛くなくなります。これは偽善でも何でもありません。
そしてモラハラ人本人も、その施しに気づかないわけはないんです。年の功は伊達じゃない。私自身も歳を重ねて良く理解できています。(^.^;
くり返しますが、もし昨日までの自分の考え方とは違う考え方になれたなら、あなたが成長した証拠です。
そして常識とは、その人の家系や経験が独自の思想を作り出すもの。そもそも常識など存在しないのです。
試行錯誤をくり返し、失敗を成功の糧にして対人レベルを上げていきましょう。
最後に脳科学でお馴染みの中野信子さんの言葉を著書から引用させていただきます。
人間関係は、結局のところ、他人を思う通りに動かせるかどうかにかかっています。しかし、他人をコントロールしすぎようと無理強いすれば、うまくいかなくもなります。
他人を変えようとするから上手くいかないくなる。なら、自分が変わる方が早いです。
物事には必ず別の一面が存在します。自分のためになりそうな部分を教訓として使えれば、それは立派な自分なりのノウハウになると私は信じています。
もっと探してみる