「脳に悪い7つの習慣」をチラ見。そう言えばそんな人が身近にいる

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柔軟に

なぜかかたくなに自分の考えにしがみつき、他人の意見を受け入れない人っていますよね?

 

そんなわたしも基本、自分が正しいって思いがちなタイプです。

 

理屈では間違っているって分かってはいるものの、やっぱり今まで通りにして欲しいって思うし、自分を受け入れてもらいたいって考えてしまいます。

 

でもそれは、脳の本能からくるクセがあるようです。

わたしの解釈で勝手に書いてみましたよ。

 

参考書
脳に悪い7つの習慣
林成之
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自分と別の意見を言う人を好きになれないのはなぜ?

どうせなら自分と同じ考え方の人といっしょに過ごしたいものですよね。

ところが、自分が好きなものを否定されると面白くないのは正直なところでしょう。

 

■例えばこんなやりとりはよくある会話ではないでしょうか。

 

意見:「あのラーメン屋がうまいんですよ!」って話たら、

返答:「チェーン店が好きなんだ、安い舌だね。」って言われる。

 

意見:「健康のために野菜生活はじめた」って話たら、

返答:「缶コーヒー飲んでるんじゃ意味なくない?」って言われる。

 

意見:「前の会社ではこうやってたんですよ」って話たら、

返答:「うちの会社はそうじゃない」って言い返される。

 

こんな返答ではイラッとしますよね?

「お前が分かってないだけ」って思うところでしょう。

 

自分が「良し」とするものを否定されると、自分は正しいことを証明したくなるものです。相手に対して理解してもらおうと反発したくなってしまいます。

 

人それぞれ価値観はちがうのは大人なら誰だってわかります。でも何でその相手までキライになってしまうのでしょうか。

 

(自己保存)と(統一・一貫性)が本能として脳に組み込まれているからだと専門家はいっています。

 

「自己保存」とは?

脳は自分を守ろうとすることや、生きたいと思う本能があるのは知っての通りです。

 

先程の例から言いますと、「あのラーメン屋がうまいんですよ!」といったときに否定されるのは、自分のセンスを否定されたからですよね?

 

感性とは、その人の歩んできた道のりによって生まれるものです。

 

親・兄妹・友人・先輩・時代背景の影響や、生きてきた環境や出来事を否定されたかように思ってしまうからだと思うのですよ。

 

心当たりありませんか?

 

たとえ自分のせいで失敗をして波乱万丈な人生になったとしても、どこかほこれる所はあるものです。

 

「人生すべて自己責任」とはいうものの、仕方がない場合もあるからです。

そんな、いとおしく愛着のある我が人生は言わば大事な宝物。

 

「確かにいままではダメだった。でもこれから違う」って自分に甘くなるのもやはり自己保存の習性なのかも知れません。

 

そうなると、「自分という設計図を変えられてしまうかも」とう恐れから身を守ろうとして、また自己保存がはたらいてしまう。だから頭にきてしまうのでしょうね。なるほどです。

 

「統一・一貫性」とは?

統一と一貫性を保てなくなる情報を脳は避けようとします。

そして自分の意見とちがうものを「統一・一貫性」に外れるから排除しようともするのです。

 

先程の「前の会社ではこうやっていたんですよ」という仕事のやり方を新人がやりたくなるのは、

●自分のスタイルを統一したいという思いと、

●ふだん自分が何気なしにやっている動作をしたい、

という一貫性を保ちたいって考えるからと思えます。仕事だって例外ではないからです。

 

だってその方が楽ですよね?

 

「正しいのか間違っているのか」や「似たようなものを区別する」とか「バランスをとったり」「話の道筋を通したりする」のは、結局は自然な流れだからなのでしょう。

 

いかに自己保存から抜け出せるのかが成功のカギ?

とはいえ相手の意見が正しく、理屈を理解していても、つい自分の意見を通してしまうことってありませんか?

 

「コイツ分かってないな」などイヤ~な感じになってしまい、相手の話しをさえぎってしまうことや、

「どんだけ自分が正しいのか」を証明するために必死に自己弁護した経験もあることでしょう。

 

その自分の考え方を守ろうとする回避行動も「自己保存」と合わせて「統一・一貫性」によるものなのだと著者は言っています。

 

おわりに

先日わたしは、同僚が好きなお店だという事情を知らずに、そのお店を悪く言ってしまいました。

 

なぜかと言うと、たまたま買った商品が大ハズレ。「これが現代の弁当なの?」って思えるくらいのクオリティの低さだったからです。

そんな経験もあり、わたしはそのお店にを全否定したんですよ。

 

そしたらその同僚は、自分は美味しいと思い、よく使っているのに否定されたと思い、どれだけその店の商品が良いのかの例えを次々にあげてきたのです。

 

その理由の1つとは、

「自分の息子はふだん麺類は残しがちだけど、あの店の焼きそばだけはペロッと食べてしまう。『あのお店はうまい』って学校でもみんな言ってるみたいだよ?」

 

など、自分が選んだもの。自分がイイと思うお店が、どれだけ最高なのかをこれでもかというくらいに説得は止まりません。

 

でもどれだけ説明しても、わたしには、「あのお店はダメというレッテルを貼った自己保存」を否定することはできませんでした。

 

なぜならその人は、ファミレスやコンビニや大手外食チェーン店とかのような、当たり障りのないミーハーな商品ばかりを好み、マニアックであることを恥だと思っている傾向が強いからです。

 

そんなお子ちゃまな舌を信用できるのでしょうか。

 

裏通りにある古い定食屋さんだって上手いし、美味しくてもお客が入らない店だってあるからです。

 

もし美食評論家とかが絶賛していたら考えなくはないのですが・・

 

その相手と意見が対立してしまい、気まずいムードになってしまう結果となってしまいました。

 

自分も含めて、これではお互い何も学ぶことはないことでしょう。

 

「自分とはちがう意見もあるんだな」と自分を見直す習慣が脳にいいのかも知れませんね。

 

▼人つき合いのポイントはその人のイイところを見つけること。
リンク他人の悪口から身を守るには?人は自分とおなじ意見を聞きたいものです

 

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