子供にとっては「ふるさと」でも「地元育ち」じゃない「よそ者」な親としては、どうしてもその土地に馴染めないものです。だって思い入れもなく、知り合いがいないんだもん。
そして元々人見知りな人にとっては更にハードルは高かったりもします。そんなわたしですが、先日、子供の卒業式に行ってきました。
入学式の当初、そこは未知の世界。けど今回はちがって、ほんとリラックスした卒業式となりました。
「もう私達家族は”よそ者”じゃない」そう思える様になっている自分がいたのです。時が経ち、歳を重ねて鈍感になったのかと思いきや、わたしは違うと振り返っています。
引っ越して来て10年。出たがらない性格が改善されたかも
いま住んでいる場所を選んだ理由
わたしは自分が生まれ育った”ふるさと”じゃない場所に家を建てました。きっとそんな人は少なくないかと思います。
結婚当初は会社も近くにぎわいのある街に住んでたけど、色々あり郊外にやって来たのです。
当時、住む街の地価は高く郊外は安い。家も大きく建てられて広い庭も持てるから。低所得だと「どこに住む」より「家を持つ」を優先にしがちです。
そしてボロアパート生活のストレスや、隣人達が次々とマイホーム購入ラッシュ。妻のイライラと私自身もあせっていた事情です。ヽ(`Д´)ノプンプン
「中途半端な知り合い」がいる土地は返って面倒だ
都会と違い田舎とは”その他大勢”に埋もれにくい環境。つまり「あの人は、どこの誰々さん、何をやっている人」と浮き彫りにされやすいってこと。
けど実際は「そんな虚構を自分勝手に思い描き、それに踊らされていただけだった」のです。
自意識過剰で恥ずかしがり屋で緊張シイのわたしにとっては不適材不適所。実に生きにくい場所と考えてしまう。(;_;)
しかも厄介なのが、この地域には同じ会社の年配のジモティーが多数いるってこと。地元育ちは情報を共有するもの。これって「わたしの情報をにぎる」状態でもあります。
別にわたしが「何かに追われている」「犯罪歴がある」ではな無いけど、掘り出せば誰にでも黒歴史はあるもの。自分独りならまだしも子供にそれを背負わせたくはありません。
そんな理由もあり、会社でも地元でも”自分らしさを抑えて生きることがストレス”になっていた。
人は「づっとその地に住むつもり」だと低姿勢になるものです。子供が小さいと交流せざるを得ません。家族は人質の様なもの。
そんなシガラミを”縛り”だと思うと「うかつなことは出来ない」し「ちゃんとしなくちゃいけない」って思ってしまう。
そうなると地域の行事や公の場に顔を出したくないし”かしこまって”しまう。
そんなストレスを避けるのは、人は「知らない事」「得体の知れない物」に対して警戒する防御本能を持っているからでもある。
けどそんなネガティブ思考にはデメリットがあるのです。
昔ほどのシキタリは無くなりつつある感じ
まずイヤだったのが自治会の班長になったこと。まだ誰一人知らない場所に行く訳です。
- この先、一体どうなるのか
- 吊し上げられ大勢から尋問を受けるのか
- いままでの生き方(都会的・個人主義)を否定され、村の掟(おきて)を叩き込まれるのか
- 変な役を押し付けられるのだろうか
そんな想像をしてしまう・・
けどそんな想いとは裏腹で、実際は地元住民でさえ、もう昔ながらのやり方に疑問をいだき、行事とか集まりとか辞めたいくらいに考えているのが肌感覚でわかったのです。
なので極力本心を出さず、なるべく顔を出さないスタンスで恐る恐る関わっていたのです。妻に任せることもありました。(^^ゞ
PTA役員候補から逃げるための行動
次に考えたのが、学校のPTA役員から逃げること。
入学式が終わると保護者は別室に集められPTAの役員決めをします。育成会の役員とはちがい、その地域全体が候補です。ここはどうにか逃れることができました。
けど、いつ「お声がかかる」のか分かりません。(/_;)
例えば「運動会の当日、朝イチで場所取り、終わりまで残る」行動をすると、話しかけられる機会にもなりえる。そうなると積極的に学校の行事に参加しない目的になってしまうのです。
そうやって逃げることとは、誰とも知り合いにはなれず、友達作りを避けている状態。
そして地元育ちのパパ同士が仲良くやっている光景を目の当たりにする「とどうせ私はよそ者よ」と自分で壁をつくって引きこもってしまう。増々、機会損失です。
地域活動は奉仕することの喜びを思い出させてくれた
次にイヤだったのが育成会の役員になったこと。多分みんなやりたくないと思います。そうなると育成会の行事に参加しない様になる。
わたしの地域には「夏祭り」という行事がありまして、公民館的な場所で親達が「焼きそば」や「かき氷」などを振る舞います。子供たちにとって夏休みの楽しみです。
けど、そんな場所に自分が行ったら「次の役員はどうですか?」的な誘いや、目をつけられてしまうと考えて、ただの一度も顔を出したことはありませんでした。本当にダメ親です。(;_;)
仕事が忙しい振りや、興味無いアピール。それに知らない集まりに独りでいる勇気が無かったのが正直なところでした。
時は流れ、ついに順番がやってきて、しょーがなくヤルことになったのです。
そしてその結果以外にも、ここに社畜魂(命令を遂行する達成感と誰かの役にたつことの喜び)を持つわたしにとっては、密かにやり甲斐を感じてしまう自分がいることに気づいてしまう。
「誰もがやりたがらない事」の達成感は、ちょっと快感でもありました。
低学年の小さな子供たちが目を輝かせ、わたしが作るかき氷が出来るのを待つ姿を見ると「きっとこれがボランティアをする人の気持ちなのかなぁ」と思わせてくれました。
もちろん会長とかはもっての外、一般役員止まりの意見です。こうして知らない世界へのハードルがまた1つ下がったのです。
人と会うほどに”知らない人”は減り、”知り合い”が増える
心理学に「ザイオンス効果」という法則があります。
意味としては「接触回数が増えると好印象を持つ様になり親近感も湧くこと」
ぱっと見「苦手かも」と感じた相手でも、何度か合ううちに仲良くなってしまうことってありますよね。
第一印象が良くない相手の評価とは「0スタート」です。0からは何も引けません。後は点数が加算されていくだけ。「以外にイイヤツだった」と思うのはそのためだからです。
わたしは当初、新転地の住民に対して警戒モードでした。自分から望んだことではないけれど、自治会や育成会の役員などをやりました。
その結果、未知の知らない世界から知っている場所へと慣れていったのです。
もし全ての役員から逃げ、地域社会と関わる機会が無かったら、きっと10年たったいまでも、怖いものと恐れ、敵対心さえ抱いていたかも知れません。
言い換えれば、役員をする機会に恵まれたとさえ思え、運命に感謝すらしています。我ながら人としてすっごく成長できた経験だと自負しています。そんな思いの中むかえた卒業式でした。
おわりに
わたしの「よそ者感覚」からの卒業の真の立役者とは我が子です。子供は、よく色々と話しをしてくれます。
「誰々君はどこに住んでいて」とか「あの猫はどこの家の猫で」とか情報を与えてくれます。それによって相手を知り、話しかけるネタや行動の後押しとなってます。
もし何の情報も無かったら、警戒したことでしょう。きっと知ってる道しか通らない。いつまで経っても同じ道を通る様なもの。
つまり、分からないことを分からないままにせず、自分から攻めて行くことも必要だったという訳ですね。恥や失敗を恐れる自分の気持が自分を追い詰めていたのでしょう。
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