「働き方改革」や「その会社の背景」によって、稼げなくなっている人はいるものです。
「NO残業」や「有給消化」すると、まともな給料にならないのが中小企業。大企業とはちがいます。自分が許せる範囲で、少しでも働きたい人はいるものです。
わたしはこの一年、給料が減っています。そんな内容を書いています。
「65歳で定年」は終わる。働きたい人は会社に残れる時代
「なぜわたしは稼げなくなってしまったのか」をザックリいうと、
職場環境が変わってしまい、仕事量に対して人員が増えてしまった結果、労働時間が短くなってしまったからです。
時間=給料
1人一つの業務に対して2人でシェアするようなもの。大勢で群がれば直ぐに終わってしまいます。
ではなぜ人が増えてしまったのかといえば、定年を過ぎてもそのまま再雇用で人が減らないことにプラスして、新しい人材も入ってきたからです。
ではなぜ会社は、仕事量に対して人員が多いのに、再雇用してまで首をつなぎとめているのかと言うと、
求人募集をしても人が集まらない。入っても辞めてしまうから。それと非正規社員は安く使えるから。仕事慣れした人材は安心です。
つまり後継者不足。多少パフォーマンスは落ちても最低限の仕事さえできさえすれば、一人でも残して置きたいのです。
業務内容にもばらつきがあります。もし大量発注が来たとき、きちんと対応出来ないと、クライアントのニーズにこたえられません。控え選手。スペアは欲しいところです。
ちょっと特殊な業務なのもあって、誰でも出来るというわけじゃない。忙しいときだけ臨時社員やアルバイトを雇えない理由もあったりする。その前に人は入ってきませんけどね。(^.^;
つまり会社にとっては人材不足。一人でも人手は欲しい。「質より量」頭数をそろえて置きたいのでしょう。正社員も非正規社員も同じ「余剰人員」になってる状況です。
年功序列でベースアップがあったり、ボーナスも大企業の様にもらえる訳ではありません。妻子ローン持ちのわたしは、いったいどうすればいいのでしょうね。
なぜ、じいさん達は会社を辞めないのか
快適な環境とはちがい、ある意味3Kの職場です。年齢的にもこたえている感じ。それでもなぜか辞めない高齢者達。そにには理由があります。
じいさん達にはデメリットを上回るメリットがある。
- 年金と給料でウハウハになれる
- 稼いだ分は将来に備えて貯蓄
- どちらか片方だけでは生活費が足りない
- 他で再就職するよりも、ここにいれば先輩として居心地がいい
- 無職による社会からの孤立を避けられる
- 暇つぶし。話し相手の確保
会社に残れば美味しいことだらけだからです。全盛期の超ハードに戻ったら多分辞めると思います。給料と、つり合わないから。
中々新入社員が入らない会社。自分たちは必要とされている。窓際ではなく即戦力。
しかも仕事は最盛期の半分近くまで減少。当然、体は楽です。若い人が少なく平均年齢高い職場だから話も合う。まさに最後の楽園。辞めるわけがないのです。
結果、ほぼ定時退社。残業はなくなってしまったという話です。
言葉に出したものはやがて実現する
元々わたしは残業反対派の人間です。そのために前職を辞めました。命より大事なものはないからです。
本当に忙しいのなら、そこにもやり甲斐はある。ですが、そうじゃない。インチキ・ズル残業をする人が一部いたからです。牛歩戦術で時間稼ぎ。
わたしの職場は流れ作業とは違い、ある意味「出たとこ勝負」な業務。なので、やってる本人の屁理屈次第でいくらでも誤魔化せてしまうんです。
コンビニのレジ係に例えると、買い物をするお客さんとの話をわざと長引かせて、いつまでも会計精算を終わらせない様なスタイル。時間1分でも過ぎれば時給になる仕組みだから。
こんな人がいるなんて初めて知りましたよ。概念すら無かった。
こんな人に付き合ってられません。若い時代は金よりも時間が欲しかったから。自分の時間が優先です。
若者とはちがって働き盛りの40.50代はそうでなくお金が必要な背景がある。背に腹は代えられなかったのでしょう。
おじさん達は食うために必死だった。「卑しい仲間割れ」を何度も見させられました。(「誰が残業するか」とか「休んだ人の代わりに会社にどっちが出るか」の醜い争い)
今度はわたしの番が回って来た。でも仕事は無い。
それでも仕事をもらえる人がいます。金が必要なのを上司にアピールしている人です。
一方、わたしは違うと上司に認識されています。過去に残業反対をしていたグループだったからです。
が、人生の背景は変わってしまった。
じゃあ、かつてのオッサンたちのようにモラハラ人になり下がり、嫌味や文句をいって、仕事を奪うことをするしかないのでしょうか。
「真の利口」って何?
わたしはそうは思えないでいます。
- ものは考え様
- 全てに意味がある
- 何かが作られる前には、まず破壊がある
- 考える力を与えられているんじゃないのか
べつにスピリチュアルにハマってるわけじゃないけど、そう思うことにしました。
とにかく、このままでは、ダメなのはわかります。
- 人は子孫を残し、いかに生き延びるか
- 環境に順応できた人が行き長らえる
生き残るには自分をかえる必要があるってことです。
この会社に適応して、「俺が間違ってたよ。頼むから仕事くれ」って泣いてすがるしかないのでしょうか。
もちろん仕事があればやるつもりです。それにプラスしてわたしは、自力で生きていける人間になる選択も付け加えることにしましたよ。
- 家計の支出を見直す
- 無駄遣いを改める
- 自分に投資する
- 不健康な習慣を絶つ
- 副業も視野に入れる
確かに会社で働く方が楽だし早いです。けれどそれでは不安定です。会社の都合で収入は変動してしまうから。
もし、裸で会社から出された時、自分の市場価値はあるのでしょうか。
いつまでも会社におんぶにだっこは危険な気もします。「これは自分にとって考えるイイ機会」とポジティブにとらえてみることにしましたよ。
おわりに
人生100年時代の中まだ40代。まだ何の武器もなく弱い状態です。「このままじゃいけない」という危機感は持つべきです。
「何かてきることはないか」試行錯誤する絶好の機会だととらえ、ボジティブに生きることにしましたよ。
進化とは常に「どん底からもがくことで生まれるもの」だからです。何もしないで、ただ暇を持て余すにはまだ早いんじゃないでしょうか。
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