
自分、ココにいるよ!
不適切動画投稿の対策として社員研修をする企業の光景をニュースで見ました。個人的な印象は、「また意味ないことをやってる」が正直な想いです。
なぜなら「ダメ」を分かってる人はやらないから。&その場所に投稿者は不在。もう遅い。
ただ「やった実績」をつくって次への責任回避策とも思えてしまう。
真の対策とは何なのでしょう。色々と思ったことを勝手に書いてみます。
ダメなことは出来ないようにして置くしかない
完璧な状態で世に出たものはなく、想定外から機能追加して最適化されていくもの。だから変な使われ方をされるのはしょーがないこと。
「なぜスピード違反する運転手がいるのか?」も同じ課題。
そもそも車が100キロ以上のスピードが出せるから検挙者がいて当然。飛ばせる仕組みを提供して置いて、その判断を人にゆだねている状況。責任転嫁ともいえる。
動画も同じで、「撮って即公開・リアルタイム公開」が出来るのが良くないだけ。不適切動画をブロックするアルゴリズムとか、一旦審査する手間が必要なのだ。
炎上による経済的損失に対してのみのアイディア
トラックの荷物には保険がかけられています。人は間違いやミスを犯もの。どんなに注意しても100%無事故は無理。そうなると「なってしまうことの前提」が求められる。
その流れで考えると、「炎上保険」があってもイイかも知れない。信用の回復はまた別の話しだけど、企業にとっての経済損失は保証される。
個人の場合だと、たとえば生命保険の新プランとして炎上特約をつくるのだ。
もし我が子がイタズラによって社会的制裁を受けたり、精神的にダウンして収入が無くて、もしばらくは食べていける。既にあったりして・・
好奇心はヒトして正常
キレイに貼られた障子(しょうじ)紙に指を突っ込みたい。どんな感覚なのか味わいたい。(肌感覚体験)
線路のレールに石を置く。石はどの方向へ飛ぶ?砕ける?石の断面は綺麗?が知りたい。(物理の勉強)
ストーブの側に缶スプレーを置く。結果を知りつつも、爆発する様を実際に見てみたい。(科学の実験)
ピンポンダッシュ。された相手の人がどんな反応を見せてくれるか。不思議がるのか?怒るのか?追っかけられて逃げ切れるのか?(心理学・マーケティング)
行動だけ見ると何も悪いことではない。けど、人命に関わることは絶対にやってはいけない。
すべては好奇心。試したい。実験と研究。人として健全な証ともいえる。ただ現代に置いて「それやっちゃダメですよ」って言われているだけの話し。
なぜ不適切動画をupしてしまうのか?
- 仕事がつまらない
- 自分の価値表現・承認されたい
- 自分にとって大事ではない
- 世の中の期待に答えているだけ
- 俺、他の人がやらないことが出来きちゃうアピール
他にもあるけどこんな感じ。その中からいくつかピックアップしてみることにする。
まず、「なぜ仕事がつまらないのか?」だけど、結論からいうと、
- 自発的にではない
- プロセスの問題
- プライドの問題
が考えられる。
熟練の域に達した寿司屋の板前さんは、「寿司握りたい!寿司で食っていく」という熱意があるはず。それは元々「覚悟や決意が自分発」だったから。
けど収入のみが目当なバイト君だとそんな感情はあったのだろうか。
■厨房において”包丁を握れるのにどれくらい時間がかかるのか”を比べてみるとどうなのだろう。
日本料理界のしきたりによって、メイン料理をつくるポジションにつけるのはそう簡単ではないと聞いている。何年もの間、下準備をへてやっとのこと料理長の許可が出たりする。
でも大手外食産業はどうだろう。レシピはマニュアル化。料理も機械式を導入。誰でも失敗なく同じ味が出せる仕組み。手順さえ覚えれば誰にでも同じ味を再現できてしまう。
工場で作ったものにプライドが持てるのか?
出汁をカツオや昆布からじっくり取る(目を離せない・火加減・味覚)など絶妙な経験が必要なのだろうか。それもマニュアルって言えばそうだけど・・
つまり、
- 自発的に「寿司を極めたい」とか
- 「やっとの思いで包丁を握れた」とか
- 「料理に対するこだわり」など
自分の職業に対してのプライドが持ちにくいことになる。プライドとは言わば自分が歩んできた人生の道の様なもの。経歴や過去ログ。
時間をかけるべき部分はある
そして、人は簡単に手に入れたものに思い入れはなく、価値も感じない。
■音楽制作において、どちらの過程に価値を感じるのか。
1)毎日毎日、練習を重ねて楽器が演奏できる様になる。そこから曲のアイディアが閃く様になりセンスが磨かれる。音作りや録音技術も覚え、やっと1つの音源となる。
2)音符も読めない楽器演奏も出来ない人間が、アプリで簡単に作曲ができちゃった。
きっと後者は、飽きるのは早く、次に楽しいことが見つかれば簡単にそっちに行ってしまうだろう。
それは自分の力で作られた(長い時間をかけけて、血がにじむ思い)もなく完成したた”おもちゃ”だから。つまり自分は何の損失も出してない状態。取り返そうとも思えない。
「職人さんはいらない。ロボットがやればいい」以前ホリエモンが言っていた言葉がある。
確かにそれは素晴らしい未来だ。けどそれは完全オートメーション化(人が手出し出来ない状態)が前提だと思う。なぜなら、人によっては、つまらないダダのやっつけ作業だからだ。
人は特別な存在、オンリーワンでありたいもの
人はマニュアル化されたものに魅力を感じない。なぜなら誰にでも再現出来るから。
職人がカッコ良かったり、プロスポーツ選手の技に感動したり、手品に驚くのは、一日やそこいらでは到底まね出来ない神業。正にスーパーヒーローに憧れも抱く想い。
「どうやったらそんなこと出来るの?」と尊敬。人々がアッと驚く技だからこそ魅力になり、それをヤリタイ動機にもなる。
ホリエモンの話しに戻すと、「全て自動化され、遊びを楽しむ時代になる」的な予想がある。
結局は、「楽しむ=人力」の構図。それは「アナログに戻る」の意味。「手作り=価値」「価値=モチベーション」を表していることになる。
従業員には現場で得た考えがある
「社員が経営に参加してる感」を与えることも重要。
自分の意見アイディアとは自分の分身の様なもの。大事にしたいし、それを壊されたくないとも思う。だから守ろうとする。それは自分が作り手(経営陣)だから。
もし参加している感を持てれば「いい環境を自分達でつくっていこう」と考えられるはず。そんな前のめりなスタンスを経営陣と共有できると思う。
やり方を教わり、ただ実行するのは、言い方を替えれば「お前ら社員は、余計なアイディアとかいいから。このマニュアル通りにやればいいんだよ!」と同じ。
そして、「本人の自由意志の元、物事の試行錯誤の経験が無い状態」とは、
- 失敗も成功の喜びも、ドラマも無い
- 職場に愛着も何も無く
- 仕事を愛せる分けもない
この仕組に気づいて欲しいものだ。
仲間だと思っていたら自分に関係ない場所だとは思わないし、相手が傷つくことはしない。
社員には「経営者・同僚・職場みんな仲間だと思ってもらえるにはどうしたらいいのか?」を考えた方が遠回りなようで近道ではないでしょうか。
おわりに
従業員の考え方は経営者の考えが反映しています。ダメ出しするのは「自分は勉強しなかったくせに、子供には勉強して欲しい」親と同じです。「子は親の背中を見て育つ」といいますしね。
好奇心は子供たちや若者達の習性です。そして、いつの時代も若者には革命家であって欲しいです。大人や権力者の意見に100%したがうのは逆に怖いです。
「バイトテロ」とは若者たちにとって、ある意味レジスタンス。既存社会の隙間を指摘しているとさえ思えます。
最後に、炎上を狙って書いた記事ではありませんからね。(*^_^*)
もっと探してみる