【お正月帰省】2つの実家の”おもてなし”から人生を学ぶ

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どちらの家に帰りたい?

お正月にかぎらず「実家に帰ることに対しての思い入れ」って、ほんと人それぞれだと思います。

 

将来に子孫たちを自分の家にむかえる側になったときを想像してみましょう。

「(さみしい思い)をするのか、(嬉しい思いを味わえる)のかはアナタ次第」といってもいいでしょう。

 

この世に正解はありませんが、とりあえず極端な両者のケースを見てみましょうか。

 

相反するタイプを比較して自分なりの何かを見つける

相手思考をする人は利他的な人が多いことが見て取れます。なぜなら自分の都合よりも相手を優先しているからです。

 

一方、自分思考をする人は基本的には利己的といってもいいでしょう。なぜなら自分を基準に物事を考えているからです。

 

お正月の実家の様子。祖父母・兄妹による子孫への対応

A:自分思考の個人主義タイプ

「明日は子供や孫たちがやって来る」って思うと何だか憂鬱になるようです。どうしてかというと、面倒だし、お金もかかるし、自分たちの得をうばわれる気がするからです。

 

  • 正月料理は面倒
  • 作るのは手間がかかるし買うと高くつく
  • お年玉を渡した上に料理まで用意してはお金がかかってしまう
  • 結局は食べ残す。あぁもったいない

って考えているようです。

 

たしかに老後の収入は現役時代とはちがいます。椀飯振舞では今後の生活に影響も出るでしょう。正しい考えなのかも知れません。

 

実家にいる未婚の子供にしても、家族をしたがえ帰ってくる兄妹は迷惑です。

 

未婚者すべてとはいえませんが、学生時代のままの様な生活をしている傾向もあるらです。夜いつまでも起きていたり、休日はいつまでも寝ている。

 

そんな生き方をしている中、甥っ子姪っ子の騒ぐ声で朝早く叩い起こされ、お年玉をせがまれてしまう。「何のメリットも無い」と考えるかも知れません。

 

でもすべては相手がいてのはなしです。

 

「してあげたこと、してあがなかったこと」に対して相手の対応にちがいは出てしまうでしょう。

 

やって来る側も不愉快

一方、お正月実家に帰る子孫兄妹たちも同じような気持ちでいる場合も少なくはないようです。なぜなら、実家でむかえる側の家族の本心が伝わってくるからです。

 

そして「してくれない人にしてあげよう」とは思わないものです。一緒にいる価値をどこに見い出せばいいのでしょう。

 

そんな気も知らずに、むかえる側(じいちゃんばあちゃん)は子孫(息子娘)たちと出来るだけ長くいたいって考えます。核家族化がすすみ、いつもさみしい思いをしているからです。

 

「まだ来たばかりじゃない、正月だし、もっとゆっくりしてきなよ」って言うセリフはお約束ごとでしょう。(同居の子孫は逆)

 

ところが子孫たちはちがいます。

 

「まだこんな時間かよ、早くここからいなくなりたい、家で寝てた方がマシ」って思い、実に居心地が悪い。孫達もゲームやスマホで完全シカト。ってことはよくある状況です。

 

A:まとめると
  • じいさんばあさんは「なるべく与えずにむかえたい。楽してお金をかけずに正月を堪能したい」
  • 子孫は「そんな実家はつまりない。何のメリットもないことに時間をさきたくない」

という具合になっています。

 

結局は「お互い同レベル」って言われればそれまでだし、どちらが優先という判断もないでしょう。

 

B:相手思考の集団主義タイプ

「明日は子供や孫たちがやって来る」って思うとワクワクが止まりません。どうしてかというと、喜ぶ顔が見れるし、自分をしたってくれるからです。

 

では、なぜ子孫たち(息子娘・孫達)はこの人たち(実家の家族)をしたってくれるのでしょうか。こたえはいたって簡単です。

 

子供や孫達に「たくさんの何か」をその人は与えているから。

 

「お正月だし、ふだん食べられない特別なメニューで子孫達をもてなしたい」そう思い、大人には大人のメニューを、孫には孫達に合った品を考えて、それぞれ選んで料理を用意します。

 

「え~お正月ならどの家庭でもやってるんじゃないの?」って思うところでしょう。が、「もてなしたい本当の思い」って結構相手に伝わるものですよ?

 

パーティー料理を買ってきてハイどうぞという場合もあるでしょう。

 

そんなときでも、もちろん相手思考者は子孫兄妹たちを優先して尽力(じんりょく)をつくします。一緒に料理を食べないこともあったりします。おもてなしで忙しいからです。

 

そんな親(ばあちゃん)を見て育った子供たち(息子娘兄妹)です。

(実家のあとを継いだばあちゃんの家族や、未婚で実家に住んでいるばちゃんの子供たち)

 

実家にやって来た客人(子孫)に対しておもてなしのベストを尽くそうとします。

 

  • ばあちゃんの料理の手伝いをする
  • ばあちゃんが作った料理の配膳をする
  • 料理の品切れや飲み物を用意に気を配る
  • やって来た孫の面倒をかってでる

 

本人は座りません。客人たちを座らせて自分のことは全て後回しです。

 

そして、もてなされる側も同です。「自分だけ食べて終わり」というような利己はありません。

 

食べた料理を片付かるのはもちろん、食器洗いまでやってしまうこともあったりします。息子の嫁(客)がやることは多くても息子が洗い物をするのって基本的には多くはないでしょう。

 

結局はお客としてもてなされる側の客人も、お客をむかえる側の実家の家族と一緒になって儀式に参加することになるようです。

 

なぜなら、「そういうものだ(相手に尽くす)」ということを小さいうちから見て育ってきたからです。

 

血のつながりはみな家族思考

そして、なぜ歳が離れている婆様や未婚のおじさんなのに子孫それぞれの趣味嗜好を知っているのでしょう。

 

きっと、盆正月冠婚葬祭にかぎらず、ふだんから進んで自分の方から関わりを持つことに積極的だからだと思うのです。

 

つまり、親戚づきあいを、「面倒」とか「ウザったい」とか「出来れば関わりたくない関係」って思わないからなんです。

 

もし自分たちの生活の範囲内でしか生きていなく、自分(世代)に関係のあることしか興味を持たなかったとしたら、若い世代や家族持ちが欲することなど当然知り得ないでしょう。

 

「明日は子供たちが帰ってくる。孫がやって来る」という想いを、前の日に買い物をしているときも、料理の下ごしらえをするときも考えている、

 

自分の喜びにも変えているところが幸せなのかも知れませんね。

 

おわりに

「どっちの生き方が正しい」と決めつけているわけではありません。

 

入ってくる収入に対して必要以上にお金を使ってしまってはお金はなくなってしまいます。ひょっとしたら、使いすぎたそのツケを子孫達が払う羽目にもなりうるからです。

 

逆に、ケチも堅実ともいえるでしょう。そのケチな人がココぞというときにポンとお金を出し助けてくれることだってあるのです。

 

ただこれだけは正しいって思うのは、相手が何を望んでいるのかに気づく人に幸があるということです。

 

考えたいのは、「両者から学ぼう」という姿勢が大切だと思った次第です。

 

▼ケチな人について書いています。
リンクそのセコイ行動は「出会い」を遠ざけている?

 

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