一度は時代を制しても、やがて若い世代に追い抜かれてしまうのは人の世の常です。でも何とか君臨したいと思うところでしょう。
自分の実力に限界が来ていることを知りながらやり続けるのは、本当に辛いことではないでしょうか。
「もうこの辺が潮時」そうなると、やめてしまおうって考えるのは仕方ない判断です。
それでも踏ん張って、それをやり続けてれば、いつかまた注目されるのでは?と思えてなりません。
新商品を開発できる能力だけが才能ではない
かつて一世を風靡(ふうび)したアーティストだとしも、いつかは消えてしまうのはよくある話しです。
次々に流行りを生み出せたはずなのに、なぜかヒットチャートに入らない。
なぜなら受ける側の人間とは常に飽きっぽく、いたってワガママ。いつ、どこで何を選ぼうが本人の自由だからです。
そんな気まぐれネコさんを導き続けるのは本当に大変な作業だと思います。
進化し続けることを基準にするのは”争う”ということです。争いには勝者と敗者がいて当然ですよね。
だったらそんな多くの敵がいる戦場で戦うのをやめて、新天地を開拓した方が敵は少く一人勝ち出来るんじゃないの?って思ってしまいます。
もちろん新天地を見つけるのは簡単ではないでしょう。運や偶然だけでは難しい世界ですからね。
勝つためのリサーチや傾向と対策などを分析し、日夜研究をしているから最先端に立てるのでしょう。
しかしながら、同じことをやめずに継続するのも能力だと思うのですよ。というか、この方がすっごく優れているのではないでしょうか。
- ”受けなくなった”からやめる
- ”飽きた”からもうやめた
出し手も受け手も、そう言って1つの時代は変化していくのが流行りです。そう思ってしまうのは、生き物とは、見慣れたものを警戒しなくなる様につくられているからでもあります。
人の特徴に逆いつづけることこそ能力だといえるのです。
古いものでも極めれば価値へと変わる
どんなものでも永続的な繁栄が無いのは歴史をみても明らかな事実です。何事にも浮き沈みがあって当然と考えるしかありません。
たとえ山の天辺からふもとへ下がってしまい、ずっと低迷していたとしても、山に上がれる機会がまたやって来る可能性もあるということです。
「それも知っています。何度か経験済み。でもダメだった」という人もいるかも知れません。
時代について行けなくなってしまい、人々に受け入れられなくなってしまっても、「また注目されたい」と考えるのなら、それでもやり続けるしかないって思うのです。
V字回復を信じてみるのです。
若い世代が古い世代に火をつける相乗効果
かつての20世紀は”アナログから、いかにデジタルに近づけるのか”を時代は追いかけていました。
■音楽を聴く
- レコード・カセットテープ→
- CD・MD→
- データ保存(USB・SDカード)→
■映像を観る
- 8ミリフィルム→
- VHSビデオテープ→
- レーザーディスク
- DVD・ブルーレイ→
■録音する側も
- オープンリールテープ→
- DAT(デジタル・オーディオ・テープ)→
- PCハードディスク→
2018年現在では、音源は電波をつかってスマホにダウンロードする文化へと変貌をとげました。「どこでも誰でもお手軽に」をもっとうにして開発しているからです。
「温故知新」は流行りの絶対法則
ではなぜ今(2018年現在)また昔のものが注目され始めているのでしょうか。
「温故知新」とは”古きを訪ねて新しきを知る”意味です。
「カセットデッキのフタをパカッと開けて、カセットテープをカシャッとはめる感覚がたまらない」とTVで若い世代の人たちが言っていた。
ラジカセ世代には古いものだとしても、ラジカセを知らない世代には新鮮な道具だからです。
80年代の当時はカセットテープが現行で、レコードはすでに古くCDが最新の装置でした。
まさか、あのカセットテープにまた需要が来るとは思っても見ませんでしたよ。いま新盤としてCDとレコード盤の2つが販売されているものもあるようです。
ここから、どんなことが学べるのでようね。
- 同じことを”ただしているだけ”で
- ”古いものを守って、そこに存在し続けているだけ”で
勝手に時代がついてくるとうイイ例だと思うのです。
そして、流行りに便乗して、かつて飽きてしまい”古いもの”と思っていた古い世代の人たちが、また群がりヒットとなっていく、
古い世代の人にとって、自分たちが関わった文化とは愛着があるものです。自分たちを理解されたような気にもなり、共感されたと思い、嬉しくなってしまうでしょう。
でもこれは、カセットデッキを捨てずに持ち続けていた人だから成せる技なのです。
リバイバルは必ず起きるもの
骨董品やアンティークの価値とは高価なものだけとはかぎりません。
- もともと個体数が少なく
- 現存数が少ない古い時代のもの
- いま持っている人が少ないもの
ほど価値があるものです。
昔は価値がなくても古いから価値が出る。
だったら、いまは例え古いコトや人気がなくなってしまったコトだとしても、やり続けることで、いつでも直ぐに価値を提供できるのでは?って思うのです。
一過性で所持していた人と、それを愛し、つかい続けてきた人とでは、その文化に対しての知識に差が出て当たり前です。
やり続けてきた行為とは財産です。
ここは踏ん張りどころと考えて、いま古くなってしまったものを守り続けてみるのです。
おわりに
80年代が古いと時代が言うのなら、80年代思考人は2018年思考の努力はしないことです。
80年代に特化した、80年カフェとか80年ディスコとか80年音楽バーとか80年代ファッション限定の企画をやればいいんです。
年を取れば、だれだって昔を心のよりどころに思うもの。懐メロは不滅の文化です。
新しいようなものでも、実は同じことを繰り返しているのがこの世の法則になっています。
人は慣れひたしんだ過去のものを懐かしむ習性を持っているのが、復活のヒントじゃない?って思えてなりません。
一度は需要があったコトなのに、だれにも見向きもされなくなってしまえば、本当にコレを続けていいものか迷うこともあるでしょう。
しかしながら、ダブルワークがあるように、食うための手段を他に確保しながら、密かに続けていくこともありだと思うのです。
どうか気を落とさずに、進化ばかりが文化じゃないってコトを信じて継続してほしいものです。
いまはマニアが認知された時代です。リバイバルが来るといいですね。
▼自分の好きなことを続けましょう。
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