「出来ない自分」から「出来る自分」になるための4マインド

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最初から完璧に出来る人は居ない。

わたしのドラム人生の気付きから、恥を忍んでお伝えします。

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1.「出来ないままの自分」に対してリベンジをする

物事を自分のモノにするためには、それについてよく学ぶこと。

でもどうやってそれを学べばいいのか知るすべが分からないこともある。

そして何かよくわからなまま、有耶無耶にして次のステージに行くことはよくある話だ。

突然だけど、わたしがドラムと出会ったのは中3のとき。

当時仲が良かった友人の部屋に突如ドラムが現れた。

どうやら文化祭でバンドをやるために知り合いから借りたらしい。

わたしはちゃんとした叩き方もわからなかったが、右手右足だけをつかって、気づいたらリズムを刻んでいた。

あれは確か、REBECCAのラズベリー・ドリーム。

まるで夢中で狂ったようにマタタビを舐め回す猫。

自分の世界に入っていたらしく、わたしの叩く姿を見た友人が笑っていた。

そしてドラマーが居なかったようで、わたしがドラムを担当することに決まり、文化祭で実際にやってのけた。

いままで全く経験は無かったのに、なぜか最初からリズム感はしっかりしている。

とはいうものの「チキチキ」とハイハットを使わないスタイルはやっぱ偽物。

だからその後わたしは、部屋にこもって、割り箸を手に取り、イスに腰掛け、机をスネア代わりに練習した。

ああでもない、こでもない試行錯誤。

いまはYou Tubeで手軽に学べるけど、1987年当時にそんな手軽なツールなどは無い。

でも何とか基本的な他足の組み合わせは出来るようはになった。

自分の中にある「偽ドラマー」の違和感のリベンジに成功。

そしてドラムを買って部屋で叩く様になった。

もし、「プロじゃないし、スネアとバスドラムだけでも何とか演奏になってるし、これでいいよね」

ってドラムの叩き方を試行錯誤しなかったなら成長は無い。

だから「出来ない自分」をそのままにせず、自分なりに試行錯誤すれば何かはつかめると思う。

2. 本物にふれ、今の自分の現状を知ること

そして高校に入った頃、世は丁度バンドブーム。男子はみんなBOØWY一色。

ギターをやる人が多く、ドラムは貴重な存在に。

すでに形になってたわたしは「ドラムが上手い人」という立ち位置になった。

それが良くなかったんだと思う。

正直いうと、天狗になっていた。井の中の蛙。

確かに自分よりも上手い先輩が他校にいたけど、身近なドラマーで、自分よりも上手い人は居なかった。

そんな理由もあってか、基礎をちゃんと学ぼうとはしなかった。

というか、基本ってダサいとさえ考えてバカにしていたと思う。

それよりも当時売れ出してきたX(現X JAPAN)の様な派手なツーバスを攻略することに必死だった。

そして高校を卒業すると同時にバンドは解散。興味は車へと変わった。

そから時は経ち23歳のとき、メンバーの結婚式の二次会でバンドを再結成。

そのまま30過ぎあたりまでやり続けた。

このとき、「いまのドラムの叩き方じゃだめだ」と自分が恥ずかしくなる気づきを得た。

それはインディーズで活動する本気の人達のライブ活動にたまに参加したからだ。

本物の叩き方。タム回し。リバンウンド。ハットの刻み方。

手首をつかって悠長に軽やかに叩くその姿。

「ドラムとはパワー。疲れるもの」という思い込みが消えた。

「いままでの自己流では駄目なんだ」と気づくことが出来た。

そんなマインドになれれば、「上達するためには?」という「問」や「疑問」を持てるようになる。

本物にふれた機会が、大事な経験になったと思う。

3. 今の自分をさらす勇気

そして時は流れ40過ぎた辺りにまた友達とバンド練習をはじめた。

理由は、当時メンタルダウン気味になったわたしが「またバンドやりたい」と話したことがきっかけ。

メンバー全員は集まらなかったけど、何かを悟ったメンバーが親身になって関わってくれた。

本当にありがたく感謝している。

今度は、その時やりたい曲を決めて好きなようにコピーする。

練習場所はスタジオだけ。ライブ活動は無し。

ドラムはギターと違って家での練習が難しい。やっぱり生ドラムで練習したと思ってしまう。

たまに個人練習でスタジオを借りたことはあるが、正直いうと練習に身が入らない。

理由は、「下手だと思われるんじゃないか?」という自意識。

そのスタジオは防音されてるとはいえ音は漏れていた。

わたしはデモンストレーション的なドラムを叩けない。

かっこいいジャズみたいなのが叩けたらいいだけど、出来るのは何かの曲の伴奏。

もし基礎をコツコツやってきたとしたら、その一つ一つのパーツを組み合わせで何か出来るのだろう。

そしてもし基礎をしっかり学んできたなら、「自分は正しいことをやっている」という自信につながったはず。

年齢的にも「この人、ドラム歴長いんだろうな」と思わてもおかしくない。

確かにメタル系のツーバスを踏めるし、速いテンポで叩くことも出来る。

けど「それは子供だまし」だと気づいてしまったから仕方ない。

「何だよ。しょぼっ」って思われるを考えると、堂々とプレイする勇気を持てないでいた。

しかしながら、そんな考えではいつになっても上達することは無い。

聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」という言葉があるように、

分からないままでは、いつにはっても分からないまま。

出来ない自分をさらさずして成長は無い

4. いまの自分を認め再出発

でも人の性格を変えるのは難しいもの。

そこで、ドラム練習パッドを買って部屋で基礎練習するようになった。

ところがここでも同じ様な心境から「やらない選択」をしてしまう。

それは練習パッドをコツコツと叩く音が意外に大きく、外に漏れている恐れ。

「いい歳したおっさんが、近所の迷惑も考えすに何かやっている。しかも下手くそ」

そんな声を妄想してしまう。

そうなると、人が聴いた時、「へぇ〜。上手いじゃん!」って思われる叩くパターンを、ついやってしまう。

確かにその叩き方も練習ではある。

けど本当にやりたい、やった方がいい練習は、自分が苦手とする別の叩き方。

なぜ、上手くないと駄目なのか最近気づいた。それは最初の記事で書いた、

学生時代から「ドラム上手い人。天才」とか言われきたことのギャップだと思う。

上手くないと駄目。みたいな感情が自分を縛っていた。

でも上手くなるためには、出来ない現実の自分を認めるしかない。

そこからやっと最初の一歩を踏み出せるからだ。

出来ることだけ続けても、出来ないことが出来る様にはならない。

今の自分よりも上を目指すなら、過去の栄光を捨てる勇気が必要。

やらないままでは下手なまま、何も変わらない。

おわりに

出来る自分になるには、下手な自分を好きになることから始めよう。

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