何をやっても続かないのは目標がズレているからという話

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きっちり楽しむ

 

「いま俺、コレに夢中。一生の趣味になるだろう」と息巻いてはじめても結局はつづかない。

「だって状況が変わってしまったんだもん」と言い訳をしてフェードアウト。

 

「コレだったんだよね!」

そしてまたやることを見つけ夢中になる。でもまた辞めてしまう。

 

別に悪いことではありません。自分にあう水が見つかるまで探すのは人の勝手です。

でも、そんな自分を直したいって思うのなら、少し考えてみましょうよ。

 

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目標とは「達成したら終わりだ」と思い込んでいる

■こんな人はいませんか?

 

目標をかかげ→達成→

満たされない→

また悩む→考える→

次の目標を見つける→

 

この一連の流れを永遠繰り返している人がいます。

一見、ポジティブな人に思えますよね?でも、ただ目標を達成するだけでは幸せを感じることが出来ないでしょう。

 

確かに達成感はあります。

いままで持っていなかった(なっていなかった状態)から前進したわけですからね。新しい自分に変われば、次のステップへの原動力にもなるでしょう。

 

でも不思議とその感動は長くはつづきません。ではいったい何がよくなかったのでしょう。

それはきっと、

目標を達成するだけで、きちんと楽しんでいないからではないでしょうか。

 

課題をクリアーするだけでは負の連鎖。終わりなき戦いを続けているだけ。

 

では、どうすればいいのでしょうね。こたえはいたってシンプルです。

その達成した状況をたっぷりと味わい、楽しめばいいだけなんです。

 

目標を達成したら迷わず「味わうこと」

「こうでなければならない」

「こうしなければならい」とあなたは考えていませんか?

その「ねばならない」という基準は誰かが勝手につくったもの。世の中の常識から外れることへの恐れです。

でもそれは「ものすごくあいまい」だということをもう一度よく考えてみましょうよ。

 

何のためにそれを始めたのでしょう。何をしようと思って、それを手に入れたのでしょうか。それが幸せになれるポイントです。

 

そしてもう1つわたしたちをしばりつけていることがあります。

 

「楽しむことは『よくないこと』だ」と無意識に考えていしまうことです。それはこどものころに教え込まれた思考と、経験から生まれた考え方が潜在意識を支配しているからです。

 

成功した(手に入れた)とたんに不思議と邪魔が入ってしまうこと。家族、会社、友人、世の中の情勢、様々なヨコヤリという状況の変化が襲ってきます。

そしてあきらめてしまう(合わせてしまう)のです。

 

そんな「あいまいなこと」に、いちいち合わせていては人生を楽しめません。

 

「なぜ、それを始めたのか」をふり返ってみた

ふり返ってみると、まさにわたし自身のことでした。

 

わたしはこの記事を書く約10年前に家を建てました。そして当初、庭造りに夢中でした。

「ここに芝を植え、庭にテーブルを置き、そこで家族とランチする」という、絵に描いたようなことをやってみたかったからです。

 

そして実際にやりました。マジ感動です。すごく充実した日々。「幸せすぎて怖い」ということばの意味をこのときはじめて理解したのです。

 

ところが、マイホームごっこも長くは続きません。

 

リーマンショックに東日本大震災、社内の変動、子供の成長とともに増える出費。家のメンテナンス費に車の買い替えを経験すると、家を楽しむどころではなくなってしまったのです。

 

「この家を失いたくない、失ったらこの幸せが壊れてしまう」と考えるようになると、第一優先が住宅ローンの返済という思考に切り変わってしまいます。

 

さきほど言った「幸せすぎて怖い」という思いとは、同時に(どうぞこの状態をだれも壊さないでくださいね)という守りの姿勢でもあったのです。

 

そうなると、家のことよりも仕事が優先。出費は必要最低限。という感じに変わっていきます。

 

庭で楽しむことは無駄なこと。

「それをやるのにいくらかかるのか?」が先にきてしまい「楽しむために」という感情が後になってしまい、

「庭いじりの時間はロスタイム」そんな思考に変わってしまい計算ロボットのような感情に変わり果ててしまったのです。

 

つまり「出費をおさえて収入を増やすことが一番大事なことだ」と思ってしまったという分けです。「第一優先=金」という図式のできあがりです。

 

「楽しむ=無駄遣い」そうなると、何をやっても楽しめなかったと、いま理解することができました。

 

そしてその「不安と恐れ」が、わたしの人生までも変えてしまったんです。

 

ブログが原点回帰になりました

ところが、そんなわたしの心境は最近変わりつつあります。その要因はブログです。

 

もっと深く掘り込むと「人生につまづいてしまった」ことが発端でした。

そしてイヤというほどの屈辱(くつじょく)を味わいました。その失敗からたくさんの気づきを得ることができたのです。

 

すると「このままではイケない」「何かしないとマズイ」という気持ちに心が変化するようになります。この経験がブログの起点になったのです。

 

「そこで学んだことをシェアしたい」って考えました。というよりも、自分をなぐさめだったのかも知れませんね。

最初に立ち上げたブログサイトはそんな感じの記事がほとんどです。いまはまったく更新してませんけどね。

 

次にアドセンス(Googleの広告収入)取得用としてこのブログを立ち上げました。そしてご存知の通りアドセンスには規約があります。

 

「ブログに何を書いたらいいのだろう」オリジナルな内容を記事にするのに書きやすかったのが「庭のこと」でした。

初回を見てくださればわかりますが、最初の方は芝生や庭のことを書いています。

 

するとどうでしょう。

「どうせなら、ちゃんとした庭にしてみたい」面白いもので向上心がわいてきます。それまでは本当に無関心だった庭。荒れ放題でした。

 

ところがいま正にリバイバルです。

写真を撮ったり管理したりしているうちに思い出したんですよ。こどもが幼かったころの思い出や、家を手に入れた初心に返っている自分を。

 

そして、何で何をやっても続かなかったのかがわかったのです。

ただ、庭を作って管理していただけで、あれからまったく庭で楽しんでなかったことを。

 

「庭造り」という目的は見栄からくる気持ちがメインで、そこで楽しむことを目的(ゴール)に設定しなかったから面白みがなくなってしまい、つづける理由にはならなかったのです。

 

でもいまはちがいます。「ここで何かしたい!」という思いが庭いじりの原動力です。

なのでこれからは「この庭で人と何かすること」を庭いじりの意味に設定し直しました。

 

じっくり向き合い味わいうことで、ほかのことも楽しめる様になれる、そんな風に変われるのでは?って思いましたよ。

 

おわりに

「頑張った自分へのご褒美」わたしが一番きらいなことばでした。なぜならプレゼントとは人からもらうものだと思っていたからです。

 

自分でやって自分が審査員では甘すぎます。「そんなんじゃ成長はない」って考えてしまうからです。

 

釣った魚を味わってこそ人生です。たまには自分の書いた作品をじっくりと眺めるのも人生です。

 

せっかくそれを手に入れたのですから、しっかりと楽しまなくてはダメですよね。何のためだったのか意味がありませんからね。

 

▼「愛とは動詞」という意味を自己啓発の先生のことばをかりて説明しています。

リンク奥さん冷たくないですか?もう一度やり直す気があるならコレ

 

エッセイ
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