よい先生とは、
「生徒が本来持っている能力を見極める指導者のスキル」ともいえます。
「何でうちの子は、もっといい成績が取れないのかしら」
つい思ってしまうことがあります。それが果たして正しい意見のでしょうか。
では、今回もちょっと考えてみましょうよ。
■世間体を気にした言葉は、こどもをがっかりさせるだけです。
学力だけでこどもを評価するのは、燃費だけで車を評価するようなものです
「車の使いみち」って人それぞれです。使う人によって評価は別れます。
つまり、使う人が「これは使える」って思えば、それはその人にとっては「いい車」になります。
「(業界最高の低燃費、パワーもあって、定員数も多い車)が誰にとっても素晴らしい車」なのでしょうか
1人の男性を例にとって考えて見ましょう
- 都会に住む未婚の友達が少ない、おじさん
- 趣味は部屋でゲームをすること
- たまに友達を乗せる程度
- 車を使うのは通勤だけ
だったとしたら、この人にとって、どんな車が評価される車種なのでしょう。
家が密集した下町は道路がせまいです。家族みんなで出かけたり、山間をドライブして観光する分けではないです。都会の街中を走るのに、大きくって力がある車はいりません。
この人にとって評価される車とは、コンパクトカーです。
彼女を横に乗せる分けでもなく、車が好きな分けでもないなら、中古の軽自動車で十分用はたります。
そんな贅沢な車を買って優越感に浸ってる場合じゃないです。将来のために、そろそろ計画的なお金の使い方をしないと将来が大変ですからね。
住宅ローン妻子持ちのわたしからみても、同じことがいえます。
車とは、もともと、移動手段です。
家族との思い出をつくるのに大きな車があるに越したことはないです。でも、ローンにローンを重ねたあげく、ほかで不自由な思いをすることが、本当に幸せなのでしょうか。
■「節約の思考」について書いてあります。
■「お金の教訓」が書いてあります。
その人の目的に合った車選びが正解
「カーレースが趣味の人」にとっては、速く走れる性能を持った車は評価される車です。2人しか乗れなくても問題はないです。
「ウィンタースポーツが趣味」の人は、四輪駆動車は必要です。急な坂道や危険な雪道を、安全に走れる車が評価に値します。
「旅行が趣味の人」にとっては、室内が広々とした、寝泊まりできる車が欲しい車です。別に加速や最高時速はいらないでしょう。
人それぞれに合ったニーズがあるからです。
そんな人に対して、
「最新の人気車種が(今なら安値でお得)で売っているのに、何で買わないの?」
って疑問を持ってどうするのでしょう。
評価されるベキは、
その人の目的に合った選択をしているか、近い選択をしているか、目的に対して正しい選択なのかどうか、が評価される行動です。
他人や世間の評価基準ではなく、本人に合った評価をするこが正しい評価といえます。
つまり、親として子供を評価するなら、
その子の目的に合った行動を結果を出しているかが大事なんですね。
街を歩く人のファションチェックをする番組があります
- 「この人スカートの色がちょっと残念ですね」
- 「その上着にそのバッグは合わないわ」
- 「時代遅れに気づきましょうよ」
チェックされている人にとってファッションセンスを問われることがその人の目的になっているなら、評価してもらい、改善してくれる言葉には価値があります。
でも、服に興味がない人にしてみれば余計なおせっかいです。
「知らんがな・・」
「放って置いてくれませんか」としか思えないです。
寒くなれば厚着をして、暑くなれば薄着をする。
自転車通勤の人が、雨のとき、雨合羽(あまがっぱ)を着れば効率がいい。ダッサイから、多少濡れても傘がいいなら、自転車には乗れません。時間をかけて歩くしかないです。
- ファッション第一なら、ファションを主体にした服選びをする。
- 何事も効率的で最適化を考える人は、環境に合った服選びをする。
どちらも間違えではなく、どちらも正しい選択です。なぜなら、その人の目的が違うからです。
寒くってもスカートをはくことが可愛いことって考える女子は、よく思われたいっていう目的があるからです。
それを、「こんな寒いのにオカシイよね?若い娘って」と批判するのが間違いなんです。
ただで配っている商品に手を出さない人にも目的はあります。もしからしたら、貧乏におもわれたくなかったり、勘ぐり癖があるのかも知れないです。
「タダ=お得」って思う人とは、そもそも思考が違うんです。
「(品位を落としてまで、ただで手に入れることに価値がない)って思っている人」を批判すること自体が間違いなんですよ。
「親がすべきこと」とは?
「何を目指せばいいのか」を子ども自身が知ることが大事です。
「学校の先生になりたい」って、もし、こどもが思っているなら、もっと勉強していい大学に入る必要はあります。
「お医者さんになりたい」って思えば、お医者さんになるための勉強が出来ることが評価に値します。
もし、こどもが夢や目標を持っていて、それに向けて行動しているのなら、出来ないことに対して評価してもいいでしょう。
「もっと頑張ろうね」って言ったり「どうすればもっといい成績が取れるのか」を教えることが親の役目だからです。
「ただ漠然と勉強ができることに越したことないよ」って親が言っても、こどもにはその意味は伝わらない。
日本には義務教育制度があります。言い換えれば、子どもたちは、
「勉強をやらされる立場」です。
「ぼくは勉強したくない」って思うのは当たり前です。
遺伝子に答えはあるのか?
なぜだか知らずに出来てしまうことが誰にでもあります。それは、ご先祖様から受け継いだ情報が遺伝子にインプットされているからです。
わたしは「絵が得意なこども」でした。
誰に言われたわけでもなく、毎日もくもくとノートに落書きを描いたり、マンガを作ってました。それを、クラスメイトや友達に見せてあげることに喜びを感じていたんです。
わたしのこどもも、まったく同じ行動をしています。
ペンを持てる年頃になると、朝から寝るまで、ずーと絵を描いていました。
人は成長する段階で、色々な外からの刺激によって違う方へいくものです。だから途中で目的が変わってしまいました。
しかし、どうしてもマンガが好きなんでしょう。描かなくなった今でもアニメ鑑賞は大好きだからです。
親の親を知る
「なぜなのか」は、母から答えを知ることが出来ます。
母も絵を描くのが好きです。母のお兄さんは昔、絵を描く仕事をしていたそうです。そして、父方にも画家の先祖がいます。
母は隠居(年金暮らし)になってから、絵画教室で絵を描くようになりました。
ほかにやりたいことがあったようですが、どうしても忘れられないのは、やり残した仕事があるからです。
「あなたは絵を描くことが仕事です」って遺伝子にインプットされているからです。
そして「そのメッセージが答えなのかも知れない」って考えてしまいます。
本人が目的にしてないことを評価するのは筋違いです。本人が潜在的にしたいことを実行することが幸せだといえます。
それを手伝うのが親の役目なんです。
まとめると
こどもをダメにする親の答えは、評価基準ではなく、
「こどもを評価する対象が間違っている」といえます。
本人の目的にあった手段を教えて力になることが、子供の能力を伸ばす親です。
「何になりたいのか」、「何がしたいのか」子供は、まだが分からないだけです。大人のわたしですら、目的を持ったのは最近です。こどものころなんかは、想像もつきませんでしたよ。
こどもが「何をしいのか分からない」なら、新しい知識をつけるために、色んな場所に連れて行ってあがげることも必要になってきます。
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