なぜ嫌なことが起こるのか。なぜ望む結果がでないのか

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種をまいたなら

本当は、「こうした方がイイんだよね・・」と分かっていることがあったとしても、つい楽な方に流されてしまうのが人と言うもの。

今回は、わたしが思うクソ真面目な話に、しばし付き合ってみてやってくださいな。

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答えは「感謝の気持ち」が無い・忘れいるから

もう何ヶ月経ったのか。わたしの部屋の床には、一冊の本が置かれている。

理由はネットで買った中古本が超カビ臭いので、本と消臭剤をビニール袋に入れて臭いを消そうと考えていて、そのままの状態に慣れてしまったから。結局その臭いは消えませんでしたけどね。

通販で買った中古本のカビ臭は消せるのか?もう「良書」を中古では買わない

わたしは以前、自分の責任の下、そのツケを払うこととなり、人生を見直す思考にチェンジし、その一つとして、整理整頓に夢中になっていた時期があります。

あれから時は流れ、いま現在、掃除の習慣は減りました。部屋の床にはホコリがたまり、今は夏なのに、冬の布団が部屋の角に畳んで放置している。

ヤりたいことがあり、どうしても後回しにしてしまのです。ビニール袋in本もその中の一つという訳です。

その本とは『「原因」と「結果」の法則 ③』世界的ベストセラーの3番目の著書です。

内容はタイトルそのまんま、「自分がまいた種は自分が刈り取ることになる」的な内容になっています。キリストさんの有名な言葉とかぶりますよね。

わたしは無宗教ではありますが、読んだ人が「正にその通りだ」と思ってもらうための根拠が延々とか書かれています。なのでわたしは以前はこの本の内容をベースにした行動をするのを理想としていました。

しかし、自分が望む結果を出すのは難しく、そしてこの教えを守るのは本当に難しいものでした。てか、本当にこれで合ってるの?と疑いたくなるケースもありまして、つい他の情報に移ろいで行く自分がいるのです。

なぜなら、結果という実が成熟するにはそれ相応の覚悟・忍耐・誠実・恐怖心の克服・そして長い時間がかかるから。そうなると、つい楽な方に流れてしまうのですよ。(/・ω・)/

たとえばトイレ掃除です。過去、夢中になり、ぞうきんを素手で床や便器をフキフキしてました。

その理由とは正直なところ、

  • 何かイイことあるかも
  • これで金運アップするかも
  • 妻に良く思われたい

という不順な気持ちもありました。というのも、切っ掛けは、精神的に不安定な時期だったので、何かに集中することで、その症状が和らぐと聞いたから。実際気が紛れてだいぶ楽になりました。

そして、そんな穏やかな気持ちで生活していると、職場の人間関係に変化が現れ、いい方向へと流れている様な感覚もありましたね。

ところが、こういったことを過度にやりすぎると、逆に迷惑だったり、痛い人にも見えたりします。家では家族からの批判もあり、徐々にフェードアウト。いまその習慣は無くなりました。

そして世の中には、たくさんの人生の地図を示してくれる情報が転がっています。たとえば、心理学や脳科学などを駆使し、生きやすい人生のポイントとつかむノウハウです。

確かに、人当たりが良かったり、場の空気を読むのが美味かったり、相手に好かれる何かをつかめるかも知れません。

けど、それは、自分の真の問題を改善せずにやった策。長い目で見ると、必ずしもそれで解決にはならないこともあるって思うのです。表面上では上手くいっている様に見えるだけ。

わたし自身、家族・親戚・会社・友達・地域社会の全てにおいて、それを感じずにはいられない。やはり上手くいかないのには訳があるし、その逆もまたしかりです。

そこを正さない限り、また同じ様な問題がやってくるし、良い部分を伸ばしていかないと、イイことも続かないってわたしは考えています。(´・ω・`)

そして改善をおこたった部分、逃げた部分などを先延ばしにするほど厄介になり、必ず解消する様に仕組まれています。不思議ですが「やり残し」からは逃れられません。これ本当です。

少し話がそれましたが、原因と結果の法則を参考に物事を進めると、壁にぶち当たり苦しんでしまう。もしかしたら、その部分がわたしにとっての人生のテーマ(課題)なのかも知れない。

なので、たまにチラッと床の本を見て、「うぅむ・・」書庫(押入れ)の中には閉まって置けない存在。忘れてはイケナイ大切な考え方で、必ず必要になるであろう良書だと思っている。

先程、家の掃除の件に触れましたよね。確かに、やり過ぎによって毛嫌されました。けどもし考えて、(相手の理解の段階)ずっと継続してきたとしたらどうなったのか?

当然いまトイレはピカピカだし部屋は綺麗なはず。そして、人が持つ『一貫性の原理』が働いて、他の分野も同じ様にしていたことでしょう。

人間関係も地道にコツコツ取り組んでいける様になったかも知れない。汚い(嫌な・苦手な)ことも、もしかしたら、克服出来ていたかも知れません。

そして、トイレ掃除をしようと思い立った動機が間違っていたことにも気づきました。先程書いた、

  • 何かイイことあるかも
  • これで金運アップするかも
  • 妻に良く思われたい

これって全て自分目線。自分の都合ですよね。精神的に辛いのは、自分のことばかり考えているからです。

「嫌われたくない・失敗したらどうしよう・認められたい」などは結局、自分目線なのですね。上手く行かないのは、真の意味で利他的では無いからでした。

攻撃から身を守るため、無意識にそうなってしまったとしてもです。もし感謝の気持ちが動機だとしたらどうなのか。

わたしいつも会社の昼食は愛妻弁当です。先日、子供の運動会がありまして、その日は、いつもとは違うスタイルの特別使用なになってました。(果物とか)

最近、思うことがありまして、もし、わたしが独身だったら、もし妻が居なくなり、子供を独りで育てなくてはならなくなったらどうなるのか?

そしてもし子供が居なかったら、運動会使用のお弁当はありません。その前に、愛妻弁当すら食べられない。

以前、離婚経験者の同僚との会話がありまして、わたしはその同僚に「いいな、毎日自分が好きな物が食べられて・・」と昼食中に話かけたことがありました。(超節約中だから)

するとその同僚は、「俺はお前が、いま食べてる、その手作り弁当が食いたいよ」と、マジ顔で言ってきた。(´Д⊂グスン

そう言えば、以前わたしは同じ経験がありまして、若かりし頃、独り暮らしで、ほぼ毎日外食をしていた時期がありました。

「人が作った普通の物が食べたい」そう考えて、当時新婚だった後輩の家に上がり込み、普通の玉子焼きとか味噌汁とかを食べさせてもらった過去があったのです。(/・ω・)/

その手作りの有り難みを、すっかり忘れていた・・・

そうなんです。いま自分の環境(レベル)が、どれだけ恵まれているのか、という感謝の気持を持つことが必要だったのですね。でないと、それを分からせる出来事がやってきてしまうのです。(,,゚Д゚)

しかしながら頭では分かっていても「言うは易く行うは難し」です。それでも、どうせなら「幸せの種」をまきたいですよね。

そんな「人が幸せになるための基本的な心得」を思い出させてくれた本の話でした。長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。!(^o^)!

ただ、この本は本当にカビ臭が半端ないので、どうしたものか考えもの。

  1. こんな物に頼らなくてもイイんだよ
  2. 中古でケチるからこうなるんだよ
  3. カビとか気にする性格を直しなさい

なのか?どんな意味があるのでしょう。それとも意味何か無いのでしょうか?

おわりに

もしわたしと同じ様な迷路にいる人がいるとしたら、取り敢えず「いまある状態」と「過去」を見比べて見ると、何か見つかるかも知れませんよ?

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