金運財布に興味が無くっても、お店に行ったり、ネットで調べると、金運財布の売り込みを受けますよね。
「この財布に決めている!」という確固たる意思がないと、「どうせ買うなら金運財布」って思うよになるから不思議です。
かつてわたしは、自分の収入に釣り合わない値段の財布を買いました。その経験から自分なりに思ったことを書いてみます。
⇒買った財布が人生の価値観を変えた?金運アップ術を実践した結果をレポートします
思い通りになれないのは100%自分のせい。外側を悪者にしても金運は上がらない
基本的に人は「楽して得をしたい」と考えるもの。
自分が働かなくても、
- 銀行に自動でお金がチャージされていて
- 誰かが美味しい食事を用意してくれて
- 誰もがチヤホヤしてくれる
無条件で王様的な待遇になれることでしょうか?
また、
- 自分が捨てるほど無価値になったモノを誰かにあげる見返りに
- それ以上に価値あるモノを手に入れたいとう欲
少ない掛け金で大きなリターンを期待するってことです。
「いいえ楽したいとは思わない。自分は苦労派の人間です」的な人もいることでしょう。けれどその苦労とは真の努力なのでしょうか。
もしかしたら労働したくない理由から必死に勉強をしていることもある。逆に勉強嫌いから肉体労働者になっていることもある「逃げ」とも考えられるのです。
「また安月給。奉仕残業か。イヤになっちゃうよ」と言いながら、その職場に居続けるのは、その環境が楽だから。
「就職の内定が取れないよ」と言って働き口が見つからないのは、スーツ姿の仕事にこだわって、他の職業に目を向けないからかも知れない。
もし本当にイヤだったら、抜け出すための正しい努力をしなくては前に進みません。そのためには、自分が本当に苦と感じる行動を起こさない限りそこから抜け出せないのです。
なぜなら偶然を期待しても成功する確率は低し、ラッキーとは再現性のないものだから。成功の持続には成功するための「何か」が不可欠だからです。
「人事を尽くして天命を待つ」の様に、その時、やれる最善をした人だからこそ結果が現れるのです。そしてこんなことを言う人を批判しないこと・ω・
つまり、いまの現状(金無し)から抜け出すには、次の(金有りに向けた)展開につながる行動をする、または、しない(ダメなことは止める)必要があるというわけです。
そしてその展開が「本当に金運財布を買うことなのか?」というのがこの記事の論点です。ですが苦楽とは「その人や、その時々によって違ってくるもの」だと思うのですよ。
金運upの基準だけで財布を選ぶのは「金持ちになるための行動をしない行為」と同じではないでしょうか。なぜなら、
- 自分がお金持ちになれない理由を金運の条件に照らし合わせるから
- 財布の購入は直接収入が増える行為ではないから
「そうだったのか!ヨレヨレの赤い二つ折り財布をパンパンにして使っていたから金運に恵まれなかったんだね」ですが長財布を3年ごとに買い換えて金運アップするのでしょうか?
(その行為をビジネスにしている人は別)
厳しいようですが金運が上がらないのは、お金持ちになるための努力をせずに、他力本願になっているからなのは否めません。
つまり自分がお金持ちになれないのは「自分以外のモノが悪いからだ」と考えているからです。まずはその「間違った思考を正しく変える作業」が前提になるのでは?
でも「自分が心から楽しいと思うことを続けた結果、成功者になっちゃいました」という人もいると聞いています。どこに違いがあるのでしょうか。
実際、自分が好きなことを続ける行為とはそう簡単ではありません。何かを続けると決まって邪魔が入ります。
人は飽きる性質もある。いくら好きでも自己満足だけでは生きられない。そして諸行無常。全ての物は動いています。
「財布で開運」そんな虫のいい話がこの世にあるとは思えません。冷静に考えてみましょうよ。
「ハイ分かってます。だからお手頃価格にしています」ですがその考え方にこそ問題があるって思うのです。
実際わたしも神頼み的な心理で行動していた時期がありました。そんな私だからこそ言えるのです。
スピリチュアルは気の持ちようが大事
占いに置き換えて考えるとわかりやすいかと思います。
「○○の占い師が当たるから、よく鑑定してもらってます」というのを街頭インタビューで観ますよね。
ではなぜその人が「当たる」って思うのでしょう。やはり自分にしか知りえない情報を赤の他人が言い当てるからですよね?でも、ある程度は当てられる様です。
知っての通り、占いと言っても色々と流派がありますよね。
手相・人相・生年月日など、様々な条件の元、総合的に「そういう人は、こんな風になる」傾向を割り出す作業が多いようです。
■ちなみにちょっと話題から外れますが、
「お葬式の日取りを『友引』にするのはダメなこと」と言われていますよね。
でもそんなの気にする必要はないのです。なぜなら明治政府が作った習慣だから。ただの「お遊び」だからです。
太陰暦→太陽暦へと暦(こよみ)を世界基準へと国民に根付かせるため、カレンダーに「仏滅」とか書いて興味を持たせる役目だったから。政府の都合なのです。「六曜」が由来。
問題は「言い伝え」に対してのリアクション。それが「運」だ、とわたしは思っています。何事も反応が結果につながると考えているからです。
人は自分の信念に嘘をつけない様に出来ている
そして人は自分の信念に忠実です。信念とは心の中で一番に考えている絶対ルール。
たとえば、お金が欲しいと言いながら、貧乏な人がいます。でもそれは本心ではお金が第一だと考えてはいないからです。
- 体を壊してまで
- 家族との時間を失ってまで
- 自分の時間を割いてまで
「金が欲しい」とは無意識の領域に刻まれてないからでなんです。
つまりこの人の場合「お金よりもプライベートにこそ幸せがあるものだ」というのが信念になります。逆だと「人をだましてでも金が欲しい」が信念になるでしょう。
極論言えば「あの状況で人を殺めてしまっても仕方なかった」の言い訳は通用しない。「殺人は絶対ダメなんです」の信念だとしたら他の選択肢をしたはずです。これが信念。
話をもどしますと、占い師とは、その人の信念に気づかせてくれた人なんです。
たとえばあなたは「絵が大好き。漫画家志望」と信念に刻まれているとします。ですが当然厳しい現実が待っています。周りの人からの現実思考の影響も受けてしまうもの。迷いです。
そうなると
- 絵では食べていくのは難しいかも
- 地元で就職して友達とワイワイやる方が確実
- 現実的で、それが幸せなんだ
という一般論で自分の心をだまして生きることになるのです。
でもそれでは真の幸せにはなれません。なぜかと言うと自分の信念に嘘をつき、別人を演じて生きてく様なものだからです。
そこで占い師の登場です。
「あなたには絵の才能がる。大器晩成(年取ってから成功する)タイプ。そっちを選ぶと良いでしょう」的な話が聞きたかっただけ。
もう分かりましたよね?
つまり、あなたの本心を言い当てて「どうすればあなたらしく生きられるのか」を導いてくれるから占いにハマるのです。確信をついてくれたから信頼してしまうとも言えます。
スピリチュアルは”お遊び”として生活に取り入れ、楽しみにすると良い
現実的に「占いが当たる」とか「財布で金運アップする」とかを求めるのではなく、
- 自分の本音に気づくため
- 本心に基づいた行動を起こすため
- 行動を持続するためのツール
として活用することが望ましい使い方になるのです。
つまり占い師に未来を見てもらう行為とは、
なりたい自分像は元々こころの中では決まっていて、自分の本心の後押しをしてもらいに行っているだけに気づくことです。
「この白のワンピースと、花柄の振り袖のどっちが私に似合う?」という同窓会に着ていく質問と同じで、元々自分の中に答えがあって、ほぼ決まっている。
そしてそんな自分がルンルンしている気持ちを一緒に味わい共感して欲しいだけだったりもしますけどね(^.^;
ようやく金運財布の話にもどします。
つまり、自分の本心が望む姿を実現するに至るために必要になるモノやコトにお金を使うことが運気を上げることなのです。正に先行投資。
そして人が執着するものとは、自分が大事にしているモノやコト。貴重な時間・お金・情報などと引き合えにすることによって、期待の反面、価値を失うことも恐れます。
たとえば収入が月に手取り20万円の人にとって5万円の財布は高価です。安物の金運財布と呼ばれる条件の品を選ぶよりもグンと価値を感じるはず。
そうすれば出した金額よりも価値が下がらない行動をするはずだし、引き返せない状態に入ることによって価値を最大限に感じる様になります。それが行動の維持へとリンクする。
そんな高価な財布を無駄にはしたくないと思うようになります。自分が頑張って働いた対価ですからね。
物を大事に使えば長持ちをして買い替える必要がなくなり出費は減りる原理が働くのにも気づくでしょう。
色や形だけを条件に安物の財布を買い替える行為とは、上辺だけの付き合いをくり返し、関係がダメになったら、また新たな人脈を築く、くり返しに似ています。
「3年ごとに買い換える?バカバカしい。本当にイイものを大事に使おう」と思うようにもなるです。そうなると「別に今年のカラーとかは関係ない」って気づくのです。
もし金運財布を買うのなら、その財布を持つことによって「この財布が自分の金運を後押ししてくれている!」と心のそこで信じられる財布を選ぶことでその効果を発揮します。
現状が変わらないのは自分が選択した結果
そして先程、占い師とは「自分が本心で望んでいる未来像を客観的に助言してくれる人」だと言いましたよね。
金運アップの結果だけに視点を向けるのではなく、その金運財布を買ったという行為自体を味わうことで、既に対価を果たしているって考えるのも大事です。
「宝くじは当選日までも楽しみの1つ」と買う人は言っています。「何か欲しい物を手に入れるまでの待ち時間こそに幸せがある」的な考え方に似ています。
「何だこの財布じゃ金運は上がらなかったよ・・」と失望するのではなく、まめに買い替えるタイプの人は、「もしかしたら?」という幸福感を既に与えられていると知ることです。
そして身を切るほどの値段ではないってことは、まだお金に余裕があるという証拠です。逆に言えば、いまこの状況を変えるまでのキッカケにはならないということです。
もしお金が無い中で高額商品を買ったなら少なからず生活を圧迫するものです。
収入を増やすか、無駄な出費を減らすなど、何らかの自己努力をすることになるでしょう。そうなるとイヤでも次の展開が生まれます。
おわりに
実際わたし自身、当時37000の財布を買いました。大事にしているので5年近くたちましたが、買い替える必要をまったく感じません。
というのも、定期的にメンテナンスをしているし保存法も考えています。持ち運ぶときや使うときも劣化しないように大事にあつかっているからです。
そして、普段は小銭入れしか使いません。お札が必要なシチュエーション以外、そもそも長財布を持ち出さないから長持ちしています。
スーツ仕事とは違い現場作業に高級革財布は似合いません。汚れます。もったいないです。その「もったいないと思う心が大事なんじゃない?」というのがわたしの持論です。
お陰様で、この先もまだまだ使えそう。もし安物をかったとしたら、こうはいかなかったことでしょう。また買えばいいからです。
もちろん安物でも大事に思えば同じことではありますが、やはり「高額と神秘という付加価値」があるからこそ気持ちが動くのです。
なにはともあれ、その買った財布によって信念が動かされるほどの価値なのか?が大事だとわたしは考えています。
あなたの信念が動かされる「何か」が見つかるといいですね( ^ν^)
もっと探してみる