職場の社員の遅刻でとばっちり。直す気がない人をどう扱うべきか

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他人に迷惑をかけておきながら、あえて空気をよまず、ニコニコ笑ってごまかすタイプはいると思う。

もし他人のルール違反によって自分がその影響を受けたとき、誰でも不愉快になるはずだ。

自分が不本位な扱いをされた時の対応として「それを止めてください」と直談判(じかだんぱん)した未来を想像してみよう。

きっと、本当の意味では、その相手を変えることはできないだろう。正論をかざしてやり返すべきか。

実際にわたしは困っている件を元に、あれこれ考えてみた。頭の中での話を書き出してみよう。

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世渡り上手は何でも許される

事の詳細を話すと長くなるので簡単に説明すると、ある社員の遅刻による被害を受けている件。

その社員の遅刻によって、わたしはすごく面倒な状態になっている。

この人の遅刻は前々からで、上司が諭しても一向に直らない。てか直す気もない。はいはい返事はするも、のらりくらり。

しかも世渡り上手。愛嬌もあり人気もある。そうやって人間関係を作っているので、誰も遅刻に関してとがめようとしない。

言っても無駄。諦める方が懸命。その件にかみつくと逆に悪者にされてしまう。主題は別にある。

わたしは遅刻に対してとやかく言うつもりはない。

口では「申し訳ありませんすいません」と言っておきながら全く反省する余地なし。

わたしは何に対して怒っているのか?というと、自分に対して「別にこんなヤツどうでもいい」そう思われていること。

誰だって自分を大事に扱って欲しいものだ。

そうなると自分の権利を守りたくなってしまうのが人情。

「僕をもっと大事にしてくれ」という意思表示をしたくなるものだ。

「堂々と遅刻して来てヘラヘラしていい気になりやがって」そう考えてしまう。わたしは、なめられてる。

もし相手が人事担当者や給料をコントロール出来る立場の人だとしたら態度を改めるはず。いつもそうだから。

でもそこで「まぁ仕方がないか・・」と大人の対応ができれば事態は丸く収まっていくのだろう。

そして反省とは、次にどんな態度をするか。改善するか。

でも遅刻を改めないということは「自分を変えるつもりはない」という意思表示でもある。

そんな強者に対してどう対処すればいいのだろうか。

その場をやり過ごせても本当の解決ではない

一番賢いのは「場をやり過ごす」こと。「相手を変えようとしない」こと。遅刻による原因と結果の法則が現れるまで待つこと。それが最も自分も相手も傷つけない方法だと思う。

そうすることで同じ仕事をするとき互いに嫌な思いをしなくてすむ。しかしそれだとわたしがずっと嫌な思いをすることになってしまう。

結局いつもの様に耐えきれなくなってギクシャクして悪い関係になるという歴史を、ずっとわたしは繰り返してきた。

だから今回からは少し変えてみようと考えた。その場合どんな行動を選んだらいいのだろう。

そして心から納得していない状態で「場のやり過ごし」をしても何の進歩もない。

それは大人の対応の「ふり」しているだけ。場をやり過ごすという「形」だけ演じても意味がない。

自分の中で腹落ちしてこそ精神レベルを上げることができるし、上辺だけではない本当の意味での成長を遂げることができるとわたしは思う。

そうなれたときに初めて「気にしないふり」ではなく、気持ちが動じなくなっているはず。そうなればもはや悩みではない。

つまり「経験」と言う、その「過程」が必要なのだ。それは失敗を成功に変える道でもある。

もし次にまた同じような問題が起こったときに素早く対処できるし、今まで腹を立てていた事柄に対して気にならないだろう。

なのであえてあがいてみることにした。

相手と自分が納得できる「落とし所」を決める

思い当たる方法は「しっぺ返し戦略」。しっぺ返し戦略とは、まずこちらが誠実な対応をする。

それなのに相手が不誠実な対応をしたときは、同じように不誠実な対応を返す。

それに反応した相手が誠実な対応をしてきたときは、また相手に対して誠実な対応をする。

つまり、やられたらやり返す。やらなくなったら元に戻す戦略。

この方法が遅刻魔に効果があるのでは?と考えてみた。

繰り替えすが、そうは言ってもわたしが折れてることが最も丸く収まる方法だと思う。

今までのわたしだったらそうしてきただろう。その結果、煮えきれない嫌な思いをする。

結局は不本意な状況に耐えきれなくなって怒りを顔に出したり、ふてくされてみたり。業務以外に関して無視したり。そういう態度をとってしまう嫌な自分がいた。

この様な態度は絶対によくない。与えるどころか逆に奪うようなこと。だったら最初から、いい人間の「ふり」をしない方がマシだ。

しっぺ返し戦略をつかえば、自分の心を守ることはできる。

しかしながら、わたしの仕事はチームプレイで結果を出す内容でもあるので仕事を頼みづらい関係性を作ることに成りかねない。長い目で見るとお互いにいいことはない。

実は以前、ネットで知ったこの方法を試したことがあった。

大まかに言うと、仕事を少しストライキすること。でもそれは、わたしらしくない子供じみたやり返し。

その結果、相手の怒りをかってしまい、関係性は最悪。相手の方が1枚も2枚も上手。結局その相手の機嫌が治るのに約1年ぐらいかかっている。

しっぺ返し戦略とは、完全に相手と切り離しても自分に害がない場合や、相手が大人の場合は通用するが、そうでない場合は余計関係がこじれてしまうことが分かった。

そして、どうするか決まらないまま朝、出勤する車の中で、あることをひらめいた。

それは「次元の高い人を味方につける方が賢いんじゃないのか?」言い換えれば、第三者の視点に立つこと。

ここでいう次元の高い人とは、会社の上層部の役員。ジャッジする役割の人。

そのためには「誰が見てもちゃんとしてる」という誠実な背中を見せる必要がある。

実際わたしは遅刻魔とあまり変わらない時間に出社しているので、その相手と大した変わりはない。なので上の次元の人から見ればわたしとその人はどっちもどっちなんだと思う。

「同じように始業開始時間ぎりぎりに来ておきながら何を言ってんだこの人は?」そう思われても弁解しようがない。

そこで思ったことが、まずは自分を正すこと。もっと早い時間に出社しよう。義務を果てこそ権利を主張できるもの。

そうすることで、「おかしな行為をしているのは君だけだよ」と倫理違反を浮き彫りに出来る。

そして仕事をする中で、いままで自分が不本意にも相手に合わせていた事柄に対して、合わせるのを止めようと思う。

もちろんその対処というのは報復や嫌がらせではない。良好な関係を維持しつつも、そういうタイミングが来たらやってみようということだ。

もしかしたら相手は「あれどうしたんだろう。」と分かってくれるかもしれない。

もしわたしの気持ちに気づいたとして、態度を変えなかったとしても、自分は嫌な思いをしないですむ。

なぜならその相手と同じ様に、わたしも自分の思うようにしているからだ。

しかもそれは自分勝手ではなく、社内ルールや社会人としての倫理に沿った行動。特別扱いは終わりの意味。

もちろん相手から何らかの報復があることも覚悟しなくてはならない。

でも、こうすることで「あの時あなたに○○してあげたのに・・」という、期待を裏切られたかの様な思いをせずに済む。

「私は私のことをする。あなたはあなたのことをする・・」ゲシュタルトの祈りの様に。お互いが自立した関係性だから怒りも湧いてこないだろう。

そうは言ってもひょっとら、わたしが気づかない部分を、その相手がカバーしてくれていたこともあると思う。

そのときは、「お互い様だった」と思って相手を許すこともあるだろう。

要は、その相手の行動を許せるネタを見けることが落とし所で妥協案になる。

ユーモアが事態を解決する

色々と考えを巡らしてみたが実際わたしがやった行動は次の通り。

いつものように遅刻魔は始業開始時間過ぎてミーティングルームに入ってきた。

あいさつ代わりに部署の社員とああでもないこうでもない、お約束の冗談交じりのトーク連発で悪ぶれる様子もない。

バツが悪い感じでわたしに対してニコニコへらへらペコペコ。

わたしが座っている前を遅刻魔が通り過ぎるとき、わたしは何を思ったのか、とっさに遅刻魔のお尻をギュッと揉んでみた。

すると相手は「ワォ♡。揉まれちゃった〜」と、笑いながらおちゃらけた反応によって場が和んだ。

わたしの「ケツを揉む」というツッコミに対する遅刻魔の「ワォ♡」というリアクションを皮切りに、わたしの怒りはスーッと消えて、また以前のように冗談を言い合った。

「この人に何をやっても無駄」だとわたしは悟った。

そしてわたしは「本当によかった」そう思った理由は、「この人とは喧嘩したくない」という心の底からのメッセージに気づいたこと。

思い返せばこの遅刻魔は時間にルーズな以外は、ずっと一緒にいたいタイプの人だった。そう思うのは、遅刻魔はたくさんわたしに恩恵を与えてくれた記憶から来ているのだろう。

怒るのは簡単だし正論をいっても人の心が動くことはないのは百も承知。その場は収まるだろうが、いたちごっこ。

使い古された言葉だけど、相手を変えるよりも自分を変える方が早い。

なので、遅刻は直らない前提で、何かポジティブな対処法を考えることにした。

求めるならコミュニケーションが先

唯一、人を動かす方法があるとすれば、その相手とコミュニケーションが取れているかどうかだと思う。

コミュニケーションが取れていないのにも関わらず、何かを要求しても人を動かすことは難しい。

その人が居ない場所でも、ちゃんと動いてもらうには信頼関係という前提を築けているか否か。

「買って下さい」と商品のメリットをアピールしてもお客に買う気は起こらない。

何気ない挨拶から始まって、雑談をして、知った仲になってこそ情が育まれていく。そうすれば自然と買おうかなと思うようになる。

それなのに子供に「勉強しろ」と言っても子供が話を聞くはずがない。勉強のメリットを語っても意味がない。やってるふりをされて終わる。

まずやるべきはコミュニケーションを取ることで、心のシャッターを開けること。子供の興味関心に寄り添うこと。子供と一緒に遊ぶこと。

だから人間界関係を一発でひっくり返すような方法など存在しない。

もしその方法があるとして、使ってしまったとしたら必ずしこりが残ることだろう。そういう末路をわたしは幾度となく見て知っている。

「その人は変わらない」と思いつつ、コツコツと良好な関係を築き上げていくことこそが、遠回りのようで実は近道なんだ。

おわりに

そしてわたしはこの遅刻魔と決別する道ではなく、バカになる道を選んだ。

大人の喧嘩は怒った方が負け。いつも微笑んでいる人には敵わない。

悔しいが、たとえその人がルール違反をしていても、その人柄によって罪に問われないこともある。

それどころか、その人の個性となり魅力にもなってしまう。

今回のわたしが魅了された様に。

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