知り合いが亡くなった。葬儀に行くべき関係か分からない

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葬儀に出席するかどうか?の判断基準として、親族や友達や職場の関係者の様な、自分と親しい間柄なら迷うことはない。

ところが、その亡くなられた相手が、自分と親しい間柄ではないケースだとしても、自分とその相手が、何らかの社会的な役柄で繋がりがある場合は、迷ってしまうことがある。

そんな微妙な関係性の場合に置いて、葬儀に参列した方がいいのだろうか。

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「行った方がいい」と思うなら行くべき

あなたの知り合いが亡くなったとき、「行った方がいいのか?」迷ってしまう間柄はあるものだ。

では、なぜ迷ってしまうのだろう。

きっと「行かない方がいいのでは?」という想いによって、綱引きしているからではないだろうか。

その行った場合の理由は「場違い」や「空気が読めない人」などが上げられる。とくにコロナ禍では判断に悩むところだ。

そして行かなかった場合の理由は「義理を欠く(かく)」「道理知らず」など、世間の常識を問われる恐れもあったりもする。

しかしながら、亡くなった人の親族の立場を想像してみよう。

きっと式に来てくだされば、どんな立場の人だって嬉しいはず。てか、遺族としては、あなたのことを知らない人も多いはず。

ここはやはり、最初のひらめきを大事にした方がいい。そう、わたしは思う。

最初のインスピレーションはあなどれない。

テストの回答を後で書き直した結果、最初の答えが合っていたこともよくる話だ。似た様な経験は誰にでもあると思う。

そして、「やってしまった後悔」よりも、「やらなかった後悔の方が自分を苦しめる」ことを思い出してほしい。

告別式か?お通夜か?迷ったらお通夜が良い件について

葬儀に出席するかどうか迷ったら、お通夜がいいとわたしは思った。その理由を体験談を交えて説明しよう。

先日、微妙な間柄の知人が亡くなられた。その一報を聴いたとき、わたしが最初に思ったのは、「式に行かないとまずいよね」だった。

理由は、地域活動的な、社会的関係性での繋がりがある人だから。

ところが、その件について色々思考しているうちに「行くのはどうなのか・・」と迷いが出た。

それは、「そこまでの間柄なのか?」と「コロナ禍」の判断。

「もし式に出なかったとしたら」「もし式に出たとしたら」など、それぞれの立場になってのシミュレーション。

そして「世間の流儀や常識や分別をふまえ、お年を召した先輩方だったらどうするのだろう・・」と、知り合いに成り代わって考えてみた。

その時点では51対49の割合で「告別式か、お通夜に出た方がいい」になっていた。

まだ決めかねながらも、一応、喪服や香典など、式に行く方向で準備を進めた。

ネットで告別式とお通夜について調べると、お通夜は親族や友人などが行くもので、それ以外は告別式だそうだ。

でもいままでのわたしの経験でいうと、その逆。

職場関係の人の親族の不幸があったときでは、労働組合委員は告別式だったけど、それ以外は、お通夜と相場が決まっている。

そんな訳で、今回わたしは斎場で行われるお通夜に行くことにした。

あっという間にお通夜を切り上げる人達

わたしは午後6時から行われるお通夜の30分前に斎場に到着した。

早めに来た理由は、混雑回避もあるが、香典を渡すと、香典返しを渡されるので、それを車まで置きに戻ろうと考えたからだ。

実際、駐車場に着くと、わたしと同じ様に、駐車場と斎場の受付を往復する人達がけっこうな数が居た。

わたしも受付で記帳し、香典を渡すと、係の人が、紙袋入りの香典返しを渡しながら、

「お焼香できます」と言いながら、手のひらをかざし、祭壇の方を示した。

見ると、先に受付を済ませた人たちが、祭壇の前でお焼香をしながら、手を合わせている。

わたしも同じ様に、祭壇の前に立ち、手を合わせ、拝み終えると、先にお焼香をすませた人たちの後を追う様に、香典返しを手に、車を止めた駐車場へと歩いて行くことにした。

まだ時間はあるし、受付付近にいくつかの集団に分かれた人たちが、それぞれたむろって居る。

わたしは知り合いも居ないし、時間もまだあるから、車内で時間調整しようと考えつつ、駐車場に戻ってきた人たちの様子をうかがった。他の人は何やってるのだろう・・

すると驚くことに、駐車場へ戻ってきた殆どの人たちは車に乗り、駐車場を出て幹線道路へと走り去って行く。

つまり、斎場に来て香典をあげて、お焼香をして、すぐ家に帰る。まさにトンボ帰り。

そういえば、お通夜を行う会場の座席数は少なかった気もする。

きっと、トンボ帰りした人たちは、個人との関係は近くない、近所の人など、義理をあげに来たのだと思う。

葬儀のあり方は、宗教や、その地域の風習によって様々だと聞いている。

もしかしたら、お通夜に出るなら、やることを済ませたら、さっさと切り上げることが常識だったのかも知れない。それを見越しての座席数だったともいえそうだ。

「この人誰?」と思われながら、式に参列するよりも、このまま家に帰った方がいいとわたしは考えた。

やはり、コロナウィルス感染防止策としてトンボ帰りが、密かな常識になっていたのかも知れない。

そんな訳で、微妙な関係な人が亡くなったとしたら、お通夜に出て香典を渡し、式が始まる前に切り上げる。そんな方法も存在した。

相手の想いや状況を直接聞かずに「察する文化」がある日本。たしかに思いやりはある反面、こんな場合はデメリットになってしまう。

おわりに

今回、亡くなった知り合いと、わたしとの間柄は、同じ地域に住む人で、同じ地域の、とある機関の役員の関係者。あまり話す機会はありませんでしたが、ご冥福をお祈りします。

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