あなたが入るお墓って、もう決まってますか?
「家をつぐ」という人はすでに自分のお墓は決まっていることでしょう。でもお墓がない人にとっては考えなくてはならない将来の課題です。
- 兄がいるからお墓に入れない
- 親が次男で亡くなった
- 都会で墓地を購入できない
- そもそもお金がない
亡くなった後の形式が、もっと簡単にならなのでしょうか。
しかしながら、もう既にヤッてやれない時代になっています。あとは「ヤルかヤラナイか」それだけなんです。
今回は、「人をともらう儀式がもっとコンパクトに出来ないか」とう概念について勝手に未来空想してみましたよ。
仏様をもっとコンパクトに管理できる方法ってないのか?
「お墓を持てない人」は、いま結構増えています。そんな中、自宅で仏様を供養する人もいることでしょう。それでは何となく心配ですよね。
「本当にこれでいいのか」何か罰当たりの様な気がするからです。
そこで登場したのが「マンション仏壇」です。
お墓を購入しなくても、そこで仏様をあずかってもらい供養することができます。生前の映像を流したりして、故人を思い出す演出もされているそうです。
確かに仏壇よりもかなりコンパクトになっています。お墓を持つよりは場所を取らないのでしょうね。費用対効果もバッチリです。昔に比べたら画期的な方法だと思います。
もっと、もーと小さくしたいなら
それでも仏壇とは形あるもの、亡くなった人の分だけ仏壇の面積が必要になるのは当たりまえの法則です。
いつかは無くなってしまうものです。利用期限と規約があればその都度場所を確保することが出来るでしょう。
でも何かそれって悲しですよね?死人に口なしの様で心あるビジネスには思えないからです。
そこで、もっとコンパクトに出来る方法を思いつきました。とは言ってもだれでも想像できる概念です。その方法とは、
故人をデータ化する方法です。
つまり亡くなった人の情報をデータベースで保存する概念にするのです。
会いたいくなったら、ボタン1つで立体的に映像として現れてくれる。
どんな人生だったのか、どんなDNAで、どんな特徴だったのか、のすべてを記録で残しデータベースに保存してしまうのです。
後で供養するときに骨を取り出して見る人はいないでしょう。だったら、骨は粉砕。ギュッと圧縮して1つの固形物にしてコンパクトな形で残すのです。
故人情報といっしょに骨の成分を微量残して保存すれば列記とした亡くなった人の代わりになるはずです。
もちろん国営がベースです。既に亡くなった人もマイナンバーのようにしっかりと国に管理してもらいましょう。
その情報は人類の財産になりえる?
だたお墓に骨を埋葬するよりも、骨や生前の情報をデータ化して置けば何かに役立つことも考えられます。
もしかしたら将来科学がもっと進化したときに、その故人情報を活用することが出来るかも知れないからです。
もちろん亡くなった人の尊厳を守る法律も必要になるでしょう。
埋葬法は変化して来た
「え?いいの?」って思うかも知れません。でも最初は亡くなったままの形で埋葬して来た歴史になっています。
土葬もその1つです。でも、そのあと時代背景によって火葬することが一般化する様になりました。
だったら、データ化しもいいのでは?というのがわたしの持論です。
問題化しているということは、時代にまた変化が起きているということ。なので仕組みを変える時が来ていると思うのです。
「え?そんな罰当たりな!そんな簡単にしちゃってもイイの?」って言いたいのはよくわかります。
自分が愛したその魂を機械的にあつかわれるのは心無い行為だと思うし、イケないことだって考えてしまうのは当たり前の感情だからです。
その供養とは、供養する側のためにあるのでは?
いままでの固定概念を捨てる
人類はなぜ式典を開くのでしょうね。お葬式にかぎらず、結婚式や入卒式など世の中には色んな式典が存在しています。
儀式のはじまりって「災いから身を守るためにはじまった」と聞いています。
何か良からぬことが起こるのは「見えない何かによるものだ」という概念を最初だれかが思いつき、それを広め、多くの人々が信じ込んだからだと思うのです。
別の背景の方が大きいのでは?
災いって天からふってくるよりも、人の手によって起きることの方が多い様な気がします。
もし自分が相手に対して何か迷惑をかけてしまったとき、その相手に対して「あやまる」ことがあありますよね?
その「あやまりたい」という行動ってどんな動機からくるのでしょうね。
もちろん自分側に罪があれば迷惑をかけてしまった相手にあやまるのはこの世の道理です。でも、本心で「本当に『謝罪したい』って考えているのか」と思うのです。
きっと、自分の気が楽になるからではないでしょうか。
不安や心配から開放されたい心理
もしあなたがヘマをしてしまったとしたら、まちがえたその状況の言い訳をいち早く報告したいと思おいませんか?
「いや、ちがうんです部長。急に変更になったんです(汗)」
状況を説明して、なぜそうなったのかを伝えて相手に理解してもらいたいって考える気持ちになりますよね?
もし、まちがって車で人を引いてしまったとしたら、自分の誠意を被害者側に見せたいって思うことでしょう。
確かに、もし引いてしまた相手が小さなお子さんだとして、加害者側の自分にも家庭があったとしたら、被害者の気持ちは痛いほどよくわかることでしょう。
でも共感だけではないはずです。
「取りあえずあやまりたい」って思うのは、相手に許してもらいたい。少しでも罪悪感を軽くしたいという心理が働くからだと思うのですよ。
だから被害者は加害者の謝罪を受け入れないことがその理由の1つになっている。むしろ「自分のために謝罪しに来やがった」と思ったり、見えてしまうのです。
お祝い事もおなじ
七五三や入卒式や結婚式も同じです。
本人に対して自覚させその決意を示すための儀式と同時に、それを見守る「親」のためでもあるのです。
- 「小さな羽織袴(はおり・はかま)超かわいい!」
- 「ああ立派に成長したものだ」
- 「あ~この子も無事に難なく育ったなぁ」
「よくここまで投げ出さずに育てた自分ってえらい!っていいたいよ」という自分に対してのエールと親の自己満足行為でもあるのです。
何事も時代によって変化するのは当たり前
永代供養問題が事件になっているのを最近(2017年)テレビニュースで拝見しました。この事件には理由が2つ存在します。
1つは「後継者問題」と、もう1つは「墓を持てない」という背景です。
近年、供養法は進化をとげています。お墓に納骨するのではなく、お寺やビルのような建物の中で仏様を祀る(まつる)方法です。
場所をとりません。墓を持つよりもすごくリーズナブルでお得です。
管理する方も楽です。墓を持てない人にとっては大変ありがたいシステムになっています。
先祖代々生まれた土地に住む人だけではない時代
当たり前ですが、人がどこに住もうとその人の勝手です。そしていまは自由な時代。だれも実家に引き止めることはできません。
わたしの両親は田舎の産まれです。若い頃東京に出てそこで出会って結ばれました。
このような人たちはたくさんいます。当然新しい土地には先祖のお墓はありません。自分たちで自分のお墓をたてなくてはいけない境遇です。
そして、お墓とは誰もが気軽に買える金額ではありません。貯金や保険で購入することでしょう。
でも亡くなった後にすることってお墓だけではありませんよね?お葬式代もかかります。世の中にはお墓を持てない人も存在するのです。
「いかに平均的にすますのか」に悩んでいる
■お葬式を家族葬にしたり、書類だけで済ませる人も増えているそうです。
わたしの知人も、親が亡くなった後についていま悩んでいます。
堅実に生きてきた人であっても、不慮の事態によって生前お金を使い果たしてしまいお金が無いという状況もあるのです。
病気にかかったり身体が不自由になればそれなりにお金はかかります。国からの支援で全てはまかなえない人もいるからです。(難易度によって給付金は変動する)
おなじ年配者でも健康で働いている人とでは亡くなった後に残されているお金にちがいが出て当然です。
「え?これしか無いの?」って残金を聞いてがっかりしたことを話してくれましたよ。これからの日本の問題になっていくことでしょう。
わたしには現在70歳を過ぎた母がいます。とても他人事とは思えません。
ただ助かっているのは、母はとても健康でまだ働いているからです。出費が少なく収入がある状態だから金銭的には心配はありません。お墓も父が亡くなったときに母の資金で建てることが出来ました。
ちなみにわたしは家を継いでいないので、自分と家族用に何か手立てを考える立場になっています。どうするのかは、きっとそのときに考えることでしょう。
そんな中、お墓を持つことよりも低価格で供養できる仕組みがはじまったとういことは、お金がない人たちにとっては実にありがたいことなのです。
それでも、80万円は高いのではって思うのですよ。だって、亡くなった後の儀式よりも、いまにお金をつかうことを優先するので精一杯だからです。
そんな中、仏様をデータベース化して埋葬費用が低価格になったとしたら本当に助かるって思うのですよ。
おわりに
亡くなった人を墓石の下に埋葬する習慣を、一体だれが決めたのでしょうか。
「土に埋めるって昔から言われているから」ですよね?
つまり、「みんながやっているから当たり前」という心理がそうさせているという状況です。
故人の尊厳も大事です。お世話になった人を大切に敬いたいって思うのは健全な気持ちです。
でも、様々な事情があるものです。
何を優先すべきなのかをいま一度よく考える時期にきてるのかも知れませんね。
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