あがり症のドキドキ反射は止められない。それでも出来ることはある?

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ドキドキを止めて!

自分は「あがり症」だと認識するとで、ドツボにはまり、益々あがってしまうものです。

どうにかあのドキドキを治めることはできなかと、本やネットで検索しても、実際はそう簡単に克服できるものではありませんよね。

そんな記事の1つとして、何かのヒントになれたら幸いです。

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それ!思わずやってしまう”悪い癖”かも知れない?

自分の”過度な自尊心”に気づいてみる

「過度に自尊心を守る気持ち」を意識的に辞めてみてはどうでしょう。自尊心とは何なのか?米心理学者ウィル・シュッツはこう言っています。

  1. 理解されたい・好かれたい(自己好感)
  2. 有能でありたい・高く評価されたい(自己有能感)
  3. 特別な存在として認められたい(自己重要感)

逆に、こう考えてはどうでしょう。

  1. 理解されなくてもイイ
  2. 有能でなくてもイイ・評価もいらない
  3. 特別あつかいされなくても、認められなくてもいいさ

俺は俺、私は私。だれも自分なんか見てないし、興味も無い。別にそんなに一生懸命になったり、完璧じゃなくてもイイ。そのままの自分でイイ。これでイイのだ!

と声に出し、唱えてみてはどうでしょう。これではちょっと浅いですよね?「そんなの、もう知っているよ・・」って思うことでしょう。

結局、意識が自分に向いているからで、自分が可愛から、自分のことしか考えられなくなるって症状なんだしね。でも何とかそんな自意識から脱出したいものです。

とにかく、その状況を考えないこと

なぜドキドキしてしまうのかを思い出してみましょう。その「”あがってしまう状況”を想像するから」ですよね?

  • 「みんなが自分に注目している」
  • 「いや、失敗するのを期待しているに違いない」
  • 「失敗した部分をみんな馬鹿にして笑ってた」
  • 「てか、自分自信も面白がっていたし」

そう考えてしまったりもする。

脳は注目したことを認識する様に出来ています。だったら考えない様にすればイイんです。単純だけど、これが一番です。

それじゃ、上手く話せている。場に溶け込んでいる自分。ポジティブな自分。を想像しればいいのでしょうか。

「出来ている自分」の想像を膨らませ過ぎは危険?

入学卒業の式典などでスピーチをするとします。

いつも変わりない恒例的な絵に描いたような挨拶ではなく、どうせなら生徒受けする様なギャグや、理解ある大人ぶって、話す自分を想像するかも知れません。

もともと自意識が高いあなたです。

  • 「きっとこうすればイイんじゃない」
  • 「こうしないとダメなんじゃないか」

って色々と期待や脅迫されているなど、何か勘ぐってしまうかと思います。

想像の中では、

  • 自分のスピーチに観客が爆笑
  • 「こんなスピーチ聞いたことないです」
  • 「○○君のパパすごい」

って評価をされる自分にキラキラするかも知れません。でもこれには副作用があります。

それ、実際に、あなたは出来ますか?

「・・・・・(~_~;)」

つまり、「現実の自分」と「すごく輝いている自分」との落差に落ち込みます。よけいに自分が惨め(みじめ)になるだけではないでしょうか?

それでは、空想どおりにならい”のび太”がドラえもんに泣きつくの一緒です。想像するなら、

  • 普通に話せている自分
  • まずは客席の前に立てる自分
  • 頼まれたスピーチを断らない自分

スピーチする自分を思い浮かべるとドキドキするくらいなら、何も考えない方がイイんです。

ところが考えない様にしようと思った時点で意識している証拠。「脳が注目している」ってことなんですよね。

答えは脳機能を知ればわかります。脳は同時に異なった別の感情にはなれないという仕組みになっています。感動しながら怒ったり、深い悲しみを感じながら、ワクワクなんか出来ません。

そのあがってしまうかも知れない状況のことを忘れる努力をしてみてはどうでしょう。意識してまったく別のことに集中してみるのです。

意識しない方法は様々。その人その時、その段階で変わる

人の意識をそらす方法はたくさんあります。歩いたり、掃除をしたり、スポーツなどの肉体的にあがることから気をそらす方法に、たどりつきましたか?

わたしも実際、過去にやったことがあります。でもこれは、やっている時は高揚感を味わえるけど、結局、その魔法は解けてしまうのです。

なのでわたしは知的見解をオススメします。というもの、運動だけでは「脳が反射的にドキドキしてしまう」という仕組みを変られる訳じゃないからです。

たしかに筋トレやランニングをした後、リラックス状態になれるのも事実です。いつもならイライラすることや、怒る出来事があっても、些細なことだと認識し、スルーできちゃいます。

その結果、たとえば、緊張する相手の警戒心が取れ、身構えなくなった人もいます。そうなれば、不安材料は減るわけです。

しかしながら、そのドキドキしてしまう出来事の直前に激し運動ができるのでしょうか?

結局、人の体を動かしているのは脳みそです。運動は「その状況はドキドキする」という脳の命令を一時的に耳をふさぎ、無視している状態なだけなんですね。

そして知的見解とは考え方を書き換える文章を読むこと。恥や恐怖だと思い込まされた記憶を塗り替える作業になります。わたしは「本」を読みました。てか、いまも読んでいます。

効果があったのか?といえば、以前よりは結構マシになっています。

当時は、その当日を想像したX-dayへのカウントダウンのごとく、何日も前から寝ている時もドキドキしてました。いまはそれはありません。年の功や時間経過もありますけどね。

運動は「あがり症の根本的な解決にはならない」と、経験から、わたしは思っています。

あがり症のメカニズムを、もう一度振り返ってみましょう

まずは「あがり症のメカニズム」を思い出してみましょう。

  • 恥ずかしい思いをしたくない
  • 失敗したくない

そう考えると、あがってしまいますよね。じゃぁ何でそう思ってしまうのでしょうか。

そもそも、その「」や「失敗」とは、どこからやって来たのでしょうね。

それは人生の最初の案内人からの教えと、「生命を脅かす」と自分が認識した出来事からの警告のせいなんです。どういうことかと言うと、

行動重視派と形式重視派の家系

たとえば、日本人なら和食の時、お箸(はし)を使ってごはんを食べますよね。それは自分が幼いころあなたの保護者(この世の案内人)が、そう教えてくれたからですよね。

「お箸の使い方」の教え方も保護者にとって様々。

■Aさん家
この2本の棒で食べ物がつかめて、口に持って行ければそれでいいんだよ?何ならホークもあるよ?(行動重視)

■Bさん家
箸の持ち方は決まっている。変な持ち方だと人に笑われるよ。友達できないよ?上手に持てないなら食べない方が無難。(威厳重視)

Aさん家の保護者は見た目(箸の持ち方)よりも中身(食事をする行為)がメインです。

Bさん家はその逆。持ち方(形式・しきたり・習慣・風習)の保護者から箸の持ち方を指南されています。

あがり症の人はBさん家の思考の持ち主な傾向があります。

  • もしかしたらBさん家の先祖は上流階級だったり
  • 人前に立つ職業で多くの人の目にさらされる人
  • 他の人達と同じ行動をしないと生きられない立場
  • 逆に貧しさのコンプレックスから「シッカリしなくちゃ」的になってしまった

そんな保護者なのかも知れません。旦那の上司や、隣の奥さんや、友人など、世間一般的なものと張り合っていることも考えられます。

と同時に、そういった人達が勝手につくった形式(箸マニュアル)さえ守っていれば、人は社会に認められるという自尊心を満たせます。

もちろんこれはわたしの持論であって、経験的観測ではあります。が、外れているのでしょうか?

とにかく、「こうしなければならない」を辞める努力を始めましょう。

人には「自尊心を守る」とプログラムされている

先程も話しましたが、ヒトには「恥をかきたくない、失敗したくない」という「自尊心を守る」セキュリティが脳に組み込まれています。これは理性(心・気持ち・精神)を正常に保つのに必要だからです。

なので、あがり症の人は、この自尊心を脅かしかねない状況を察知すると、その信号としてドキドキや手足、声の震えなど、体が訴えかけてきます。

「大勢の前でのスピーチで間違ったらどうしよう」と緊張するのはそのためです。でもそれは、さっきも言ったように、「間違うのはダメなこと」だと信じてしまったからなんですね。

「教えられた形式」が「通用しなくなる」こともある

形式ではなく中身教育を受けたAさんは、そのままずっと生まれ育った環境と変わらず過ごせれば幸せです。ところが人は同じところにずっと留まり(とどまり)続けられないものです。

保育園に通い、やがて進学する。クラス替えもあるし、担任も変わります。勉強や運動なども、レベルに対応する様に求められるでしょう。

引っ越したら最悪です。なぜなら今まで教えられたことが通用しなくなることもあるからです。

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そうなると、人は自分とはちがった状況や考え方に合わせ様とする傾向があります。なぜなら、

  • Bさんは形式が大事だと教えられたし、
  • Aさんにしても、みんなと同じじゃないと不安になるのが人間だからです。

両者とも新たな生き方を再構築。いままでの価値観を書き換えしたくなるものだからです。

「人は一人じゃ生きられない」のを本能が知っている

人類は太古の昔から、共同体つくることで生き延びてきました。

他の人達とちがったり、その集団に貢献できる能力が無いと、そのコミュニティを追放される恐怖から、新しい環境に適応しようとするのです。

そうなると、

  • 「これで合ってるのだろうか」
  • 「人とはこういうものだったんだ」
  • 「うまく出来なかったらイジメられる」
  • 「間違ったら恥。自尊心を傷つけたくない」

など、色々な思いが頭の中を支配してしまうのです。特に未経験に対しての不安を抱くのは、身を守ろうとする本能が強く表れるからです。

本能(考え方のプログラム)を書き換えるのには長い時間がかかります。「何度も何度も挑戦と挫折。少しずつ繰り返しながら、学習していくしかない」とわたしは思っています。

ですが正直、何がいいのかわかりません。とはいえ、逃げていても、逃げグセがつくし、逃げたことに罪悪感になり、自尊心を削るのも事実です。

そして「いつかやらされる」とおびえて暮らすのも地獄です。後回しとは、他の人に出遅れている状態でもあります。

そうなると練習は必要不可欠です。なぜならそれに関わり続けていればいつか当たり前になります。

まずは簡単な役回りから逃げないことから始めてみるといいですよ?あがるのは脳が正常に機能している証拠だと聞いています。

なので、手始めとして、いまあなたが出来きることとは、ドキドキするシチュエーションを予測しないこと。

おわりに

その”あがりの症状”が出るとわかっていても、その場所に行かなくちゃならない状況から逃げ出せない人はたくさんいると思います。

どうせその場所でドキドキしてしまうのなら、そのドキドキはそのときだけでいいんじゃないでしょうか。

何日も前からその状況を予期するのはやめましょうよ。だって辛いじゃないですか。

無責任だと思うかも知れませんが、どうしてもあがりの症状が出てしまうなら、そのあがってしまうことは考えない様な過ごし方にシフトしてみてはどうでしょう。

現代社会は戦えず逃げられない時代です。

ドキドキして辛くても逃げ出せない状況や、「そんなのやらねーよって」逆ギレも出来ません。そうじゃないと生活できないし、信用もなくなってしまいます。

わたしには、自分の都合が悪くなるとプイッと消える友人がいます。連絡が付きません。そうやって転々と逃げ回るかの様な人生を彼は歩んでいます。

「俺は悪くない。何であいつらはわかってくれないのか。何でそんなことやらなきゃならねーんだ。どいつもこいつもまったく頭にくる!!」と言いながら、自分のスタイルを決して改めようとしません。

でもそれも「有り」だと今は思います。だって、本当の自分でいられるんですもの。そうやって自分の自尊心を守っているのです。

目に見える症状で恥を恐れ苦しむよりはマシじゃないって思います。

まぁーその半面、成長もないわけだから、決して幸せには見えませんけどね。それはわたし自身も同じなのでしょう。

そんなわたしですが、潜在意識(信念・根本的な思考)というヤツを変えるべく、少しずつメンタルチェンジを日々、試行錯誤していく所存でございます。

では検討を祈ってます。(^o^)/

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