お金とは、何かを手に入れるための交代ツール。
その使った金額が手元から無くなっても、それと同等の価値を手に入れている。
お金を失う恐怖を乗り越える
本日わたしは、ずっと前から考えていたプランを実行した。
それは、大きくなり過ぎた庭の樹を切り倒すこと。
その樹は家の直ぐ側に植えてあり、高さは2階の屋根まで伸びている。
しかも樹の幹の根本の太さは約30センチ。
このままでは根が家の基礎を破壊し兼ねない。実にやばい状況でもある。
出来ればこの冬の内、遅くても来春までには決着をつけようと決心は固まっていた。
問題は道具。この樹を、どうやって切ろうか。その方法について悩んでいた。
電動ノコギリか手ノコギリか迷っが、結局6,000円の手ノコギリを買った。
わたしが買い物をする時に使うお金の出どころは、ほぼ毎月のお小遣いか、先月の残金から。
だからちょっと大きな買い物をすると直ぐに小遣いは無くなってしまう。
これが幸せから遠のいてしまう原因。
というのは、お金は使うと無くなってしまうという心理状態を自ら作り上げていたからだ。
わたしのお金の出どこはタンスだけじゃない。銀行に、わずかばかりの貯蓄がある。
けど銀行から使うことは無い。
それは、もしもの保険だから。何かあったとき困りたくない理由。
けどよくよく考えてみると、いままでそのお金が無かった訳だし、その貯金が必要になる事態になったことは無い。
そしてこの先必ずお金が必要になる状況がやって来ることがある。
それは子供達を育てる上で必要な資金だったり、家のメンテナンス費だったり、車だったりなど。
これらの費用を、銀行のへそくり残高で払うことは出来ない。
きっと妻が管理する銀行の貯蓄か、金融機関に融資してもらうことになると思う。
もし不慮の何かに見舞われたとしても保険がある。
保険が効かない事態になっても、へそくりされた額ではどうすることも出来ない。
いままでを振り返ると、毎月の給料やボーナスなどをやりくりして何とか生活してきた。
だったらそんなへそくりを貯めて置いてどうなるだろう。
確かに貯金が増えるには、小さな額の積み重ねが必要でもある。
けど、将来とは「今」の積み重ね。
いま何とかしないと将来に悪い影響が出ることが分かるなら、いまそこに使う方が賢明だ。
「将来のために」と幸せを先延ばしにしていては、いつまで経っても幸せを感じることは出来ない。
もし自分が年金生活者だとしたら、それは仕方が無い発想だと思う。
しかしながらわたしはまだ現役バリバリの社会人。
仕事をしてる内は、お金は入ってくる。
「またお金は入ってくる」と自分に言い聞かすしかない。
自分を疑うのは止めて、自分を信じるてみる。
そう思い直したので、銀行に行ってお金を下ろしてきた。
しかも口座を作って5年経って始めてのこと。
いま使っているPCはローンで引き落としされているが、雑費としては始めて。
もしお小遣いからノコギリを買ったとしたら、今月はもう使えるお金は無い状況でもあった。
人が幸せを感じるには、ある程度のお金は必要。
ただ闇雲に貯金しても幸せにはなれない。
お金とは、使ってこそ意味がある。
おわりに
お陰で樹は切り倒せた。しかも超楽勝に。
こんなことならもっと早く買えばよかった。
「いままで自分は、何てバカだったのだろう」そう後悔した。
お陰で悩みの1つが消えた。
樹の管理が無くなったので「何かをする時間が確保出来た」意味でもある。
幸せを増やすのも大事だが、不幸せの元を断つことも重要。
貯金残高を確認しながら、使うべきところに使っていこうと思う。
そして、いままで我が家の庭のシンボルツリーとして頑張ってくれた樹に敬意を持って感謝します。
といっても、まだ根は生きているから芽は出ることだろう。
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