ツッコミどころがあることが本当の自由だ!指定されたお店でしか学生服が買えないのはいいことなのか?

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学生服を指定販売店でしか買えないのは本当に困ります。

学生服の販売って、地元の商店街の特権になっているのが現状ではないでしょうか。

最初、批判しようと思ってました。でも、書いてるうちにちょっと変わってしまったんです。

 

「特権になっている仕組みが全てのバランスを保っているのではないか?」って結果にたどついたんですよ。

 

「え?高い制服が世の中の秩序を保っているの?」って思うかも知れません。

学生服の販売自由化になると、どうなってしまうのかの「1つの未来」を想像してみましたよ。

 

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学生服はどこの店で買ってもいいですよ?自由化すると変形学生服が増えるのか?

 

今まで学校が指定したお店で制服を買わなくなると、

学校の制服に似たような制服を買う人が現れます。

 

「安いから」という理由が考えれます。

制服が正規の価格だとしても、他と比べると値段は高目です。2017年現在では、100円ショップや、格安ブランドが消費者に根付いているからです。紳士服でも格安ビジネススーツが、当たり前に売ってますからね。

 

でも、生徒にとってお金は問題ではありません。

「はい、これ制服代ね?あまったら、好きなことに使ってもいいわよ?」っていわれたら話しはちがってきますけどね。生徒にとっては、制服自体が関心事なんです。

興味の矛先は「はどんな制服にしたいのか」が問題なんです。

 

人の人間性がジャンルを開拓する「民族大移動」

「その制服可愛い~!どこで買ったの?」

制服の購入先が自由になると、変形制服を着る生徒が現れてきます。生徒にも人間性があるからです。

じゃぁーなんで、「変形制服が着たい!」って思うのでしょうか。

きっと、手頃に自分を変えることが出来るからです。

 

若い頃は誰でも「個性を大事にしたい」って思います。服装を他人と変えることは個性じゃないけど、今の時代は見た目も個性なのです。

あと、「わたしたちは同じグループです」を表現する道具にもなります。つまり、

「標準制服から離れようとする動きが起きる」という流れになるでしょう。

 

「少ないこと」こそが価値です

みんなが変形制服を着だしたら、変形であることに貴重性がないくなり、価値がなくなってしまいます。

そうなると、面白いことが起きるのですね。

 

各ジャンルの流行りから時代をよむ

2000年代に入るとシャコタンの価値がなくなりました。シャコタンとは車の高さを低くする改造のことです。

 

わたしが免許を取った90年代の初頭は、シャコタンで走っているだけでも目立ちます。お巡りさんも摘発の対象にしていましたね。

(少なかったのは、80年代まで続いた車ブームが終わりを告げていたのもあります)

 

でも、その後シャコタンは珍しくなくなってしまいます。

90年代半ば当たりに始まったVIPCARブームによって、

大人でも車を改造することが許されるようになったから

 

シャコタン乗りの年齢層が上がって、絶対数が増えたからです。

 

90年代のVIPCARとは

TOYOTAのクラウンや日産のシーマなどの高級セダン車種を改造することです。

車体を下げて、大き目のタイヤをはいて、フルエアロ(純正外バンパー)組んで、大きな音がするマフラーに変えつつも、下品ではなく、高級思考にドレスアップすることです。

 

参入障害が低くなると、どうなるの?

昔、不良だった人も大人になると見た目は変わり、おだやかになったりします。昔不良だったことを知ってか知らずか、真面目な人たちとのつながりもできたりします。

そして、シャコタン文化が一般にも広がっていきます。

 

「俺たちも車を、もっといじってもいいんだ」

そうなると、ヤンキーや走り屋から見たふつうの人たち(車にこだわりがない人)も、車を気軽に改造することに抵抗がなくなってきます。

みんながやっているからです。

 

シャコタンからローダウンと名を変えて、車を下げることが社会的に認知されていきます。和風な略語から横文字に変わり、より一層、受け入れられやすくなったのだと思ってます。

 

私の会社に進学校出身の頭のいい人がいます。その人がローダウンにしたのを見た時、

「時代は変わったな・・」って想いましたよ。もう車を下げることに何の価値も感じません。

 

改造が社会的に認知されるのは、見慣れてしまい、それが当たり前になってしまうからです。ダメだったことが過去になり、いつの間にかヨシに変わる時代転換ともいえます。

 

これで、どんなジャンルの人でも、気軽に改造できる仕組みの出来上がりです。

「一部の人たちの特権がなくなった」という分けですね。

 

時代の流れに乗るのが商売の基本

売上を出すには、人が欲しがる商品を提供することが基本です。

 

車のメーカーは「車がどのように改造されているのか」リサーチします。

「へー。いまはこれが流行りなのね?」って解析結果を出します。たぶん、

「だったら、最初から、改造してある風に車をデザインすれば売れるのじゃないの?」って考えるようになります。

そうなると、ちまたで人気のあるデザインの車が発売されるようになります。

(純正なのにフルエアロなフォルム感)

 

こうなると、益々、他人との差別化が出来なくなってしまいます。なぜなら、イジるところがなくなってしまうからです。つまり、

 

改造した車の価値が下がる

価値がなくては、目立たない

デザインのインフレ状態です。

 

「もう車を改造するのは、や~めた」といって、人とちう生き方がしたいと思う人たちが、違う方向に興味が移ってしまうんですよね。車では自己表現がむずかしくなったからです。

 

人とのちがいは自己ブランディングの一貫です

 

その前になぜ、ヤンキーは「悪いと呼ばれること」をするのでしょう。理由は色々あります。それぞれに事情もあり複雑です。でも言えることがあります。

 

人がやらないことをして、自分の存在をアピールしたいと考えるからではないでしょうか。

その1つの方法が、車の違法改造であり、改造制服です。

 

「ヤンキー行為はアートだ!」って、わたしは思います。

自分の本当の気持ちを自由な形に表現するからです。

「ふつう、やってはダメですよ」ってことでも、お構いなしな行動をすることが、新しいと思うからです。ちょっと話がソレましたが、改革だと思います。

 

みんながみんな「同じ行動」「おなじデザイン」になってしまっては、アピール度は下がってしまいます。

「わたしはココにいますよ?」って、同じ格好をした人たちの中から手をふっても気づいてもらえない「ウォーリーを探せ」状態だからです。

私たちの気持ちを、他の人たちに示すことが難しくなってしまいます。

 

そもそもなぜ、持ち物や格好を改造したいのでしょう

もともと売られている品では、自分らしさをうばわれてしまうから。物足りなかったからです。言いかえると、

 

ツッコミどころがたくさんあったから。

 

  • 何でバンパーが出っ張ってないの?
  • 何でマフラーの音が静かなの?
  • 何で車体が角ばってるの?
  • 何でターボついてないの?
  • 何で金色は売ってないの?

 

  • 何でズボン細いの?
  • 何でスカート長いの?
  • 何でノータックなの?
  • 何で変な色のネクタイなの?
  • 何で好みのリボンじゃダメなの?

 

つまり、「そのジャンルの人たちにとっては完全体ではなかった」から、

自分だけの味付けが出来る状態だったから。イジり甲斐があったんですよ。

菓子パンではなく、食パン状態だったといえます。

 

進化とは「もっと過激になるか、シンプルになる」

80年代不良女子学生は、スカートの長さを短くすることが流行りでした。制服とはちがいますが、その前の70年代にミニスカブームがありました。

 

90年~2000年代に入ると不良はギャルにかわります。可愛いことが支流に移り、スカートの長さは逆に短くなりました。これは当時の男子にとっては、ありがたかったのではないでしょうか?

 

でも2017年現在は、シンプルに標準を着こなすことが可愛いとされているように、おじさんには見えます。制服をキッチリと着こなしたアイドル(AKB48)が全盛の時代でもあるからです。

 

ラーメン界にも流行りはある

野菜たっぷり、厚切りチャーシュー、コッテリ濃厚豚骨ラーメンだったとしたら、それ以上イジることって無いですよね?

 

そうなると、「やっぱり、ラーメンって、なつかしい昔ながらの味がいいよね?」逆に、和風あっさり醤油味のお店に注目が集まります。人はあきる傾向があるからです。

 

「サッポロ一番塩ラーメン」の売り方が時代をよくあらわしています。サッパリとした塩味に、炒めた野菜をトッピングさせる方法がCMでやってましたね。(2015年位に)

 

「(消費者にツッコミどころを残した商品が受け入れられる)ことを分かっているからではないでしょうか。

 

学生服も同じように、改造できるシンプルな状態がいい。

 

つまり、最初から標準的にしておくことが、真の自由なのです。

好きなように本人が自分仕様にすればいいからです。

「その自由を保ってくれているのが地元で固い商売をしているお店だ」と結論になりました。

 

おわりに

2017年現在、車を改造する人達はどこへ行ってしまったのでしょう。

わたしの知る限り、車イジリはマニア化してします。エアーガンを持って山を走り回るサバイバーや、ヘビーメタル愛好者と同じです。

 

続けている人は、本当に車を愛している人たちと、続けていること事態がやめられない人たちです。

なぜ、車をイジる人は少なくなってしまったのでしょう。

「みんなと同じことに価値がなくなってしまったから」ではないでしょうか。

 

制服とは話しがソレましたが、時代の流れを感じたので書いてみましたよ。

 

エッセイ
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